第二十四話
これまでの生活で理恵が荒れる時がなかったわけではない。
なので、多少怒られて最悪殴られたりしたところで覚悟は出来ていたと思う。
だけど、理恵が壊れてしまう事は全くの予想外だった。
僕は声を発したつもりになっていたけれど実際には何も言えてなかったのかもしれない。
果たして謝罪の言葉すら言えていたかも怪しい。
僕が覚えているのは理恵がふらふらと立ち上がり、おぼつかない足取りで玄関へと向かいだしたのを止めた言葉だけ。
確か、待てと一言だけだったような気がする。
その言葉で彼女が止まる事は無かった。
それに、今更だが待てと言う暇があるのなら追いかけて止めればよかったのではないか、要は僕が腰抜けだと言う事なのだろう。
しかし、腰抜けなりに意地だけは他人以上に持っているつもりだ。
僕はやっと玄関を抜けてエレベーターに乗り、エントランスを抜けた。
出た先は電灯が照らす部分だけが明るく、そこに理恵の姿は認められない。
何処へ行けばよいのか全く当ても無く、目に付いた街灯の方へと吸い寄せられていった。
近づいて見てみれば、その明かりが照らす境界より外側に大きな影が立っていた。
いきなりの光景に足が竦んでしまった。
まさか、理恵との和解も出来ないままに襲われて死ぬかもしれないなんて、情けないにもほどがある。
足は強く思おうとすればするほど震えてしまう。
声だけは幸いながら出るようだ。
「何もするなよ。危害を加えたら警察を呼ぶぞ」
影は何も答えない。
僕も足を動かせないので口しか動かせない。
「聞こえているのか。なら、はやく行け」
「うるさい、聞こえている」
怒ったような声は間違いなく影が発したもので、驚いてしまった。
影はすぐにどこかへ行くとも思っていたし、なによりも耳に届くその低音があまりにも綺麗だったから。
「お前は何だ?」
ついには言葉すら震えながらも質問をする。
「理恵から聞いているだろ」
こんな影の男の話など、記憶にあるのか、必死で探ってみる。
「桜木」
僕が必死で思い出しているというのに不躾に言葉をかぶせてくる。
しかも、こいつがあの桜木だと。
「上橋直也。お前は消える前に理由を聞きたいか、聞きたくないか」
「理由って何の?」
「聞きたいかどうかを聞いている」
桜木の低音は荒くならない。
それなのに、気圧されてしまうのは何故なのか。
「なら、聞こうじゃないか」
不本意ながらも僕は答えてしまった。