第十四話
僕が彼女に教えられた条件の最たるものが22時からの二時間は決して干渉しない事。
そして、彼女の仕事について口出しをしないことであった。
この条件を覚えていたからこそ僕は理恵と暮らしていけるのだろうと思う。
それでも、後者は桜木の存在と相まって非常に不愉快な条件となっている。
前者に関しては特に興味を留めることもない条件なのだと思っていたのだが、とある変化により後者よりもややこしい条件となった。
そして、良く考えると前者と後者は似通っている。
理恵は桜木のことを仕事仲間だと言っていたようなきがするから、間違いはない。
妊娠したのなら、理恵は休むべきだ。
「仕事は続けるのか?どんどん子供も大きくなるのだろうから」
理恵のお腹が少し目立ち始めてきた時分にやっと言葉にすることが出来た。
「少しくらいは休めないのか?」
「いえ、休みたくないんですよ。やめてしまっては大切なものを失ってしまうことになりますから」
いつもどおりの穏やかな声、だけど明確な否定の意味もこもっていた。
彼女がいいえと言うことは、まず覆らないのだと数ヶ月の結婚生活で嫌というほど知った。
食事をインスタントで済まそうとすると彼女はしつこく食い下がったこともある。
「確かに便利ですが、どうしてインスタント食品などを。私は直也さんの妻なんですよ。私を置物のように扱いたいのですか?」
理恵が珍しく険のある言い方をしていたのが印象的だった。
彼女の沽券に関わる事を言ってはいけないのだとそのとき学習した。
僕も自分の沽券の為に譲りたくはないことがある。
あの桜木が、理恵のお腹をゆっくりと撫でていたのだ。僕の体中の血がざわめき怒りの余りに頭の血管が切れそうになった。
盗み見している自分を情けないと思う気持ちもそのときだけは無くなり、思わず桜木に殴りかかりそうになった。
肌寒いと思っていたのが消えて、血が沸騰しているように体が熱い。
桜木に向かって走ろうとするも足がもつれて、また走ろうとして動悸が激しくなって立ち止まる。
運動不足か、それとも本当に血管が沸騰でもしているのか。
なんにせよ、情けない。
部屋に戻るなり、まずはベッドのシーツを踏んだ。
枕を殴った。
マットを蹴った。
少し怖くなりながらも壁を殴りつけた。
僕の非力のせいか壊れなかった。
物に当たるのにもびくびくしている自分がとても情けなく感じる。
なので、ベッドにもぐる事にした。
もう現実逃避をしたところで責めてくれる人もいない気がした。