第十一話
たった二時間を除くと、僕はとても幸せなのだと思う。
理恵の存在が消えてしまう恐怖に比べれば我慢など物の数ではなかった。
桜木という存在は気になるが、所詮シルエットと名前しか知らない存在なのだから、嫉妬以上の思いを巡らせることが出来なかった。
夫婦という括りを用意してくれた事を今更ながらにありがたく思う。
僕が続けと思う間はこの部屋で理恵と共に過ごしていたいという欲望が強くなっているためか、二時間を除いての理恵を支配しようとしている事が多くなっている気がする。
彼女は休日になると部屋にこもってインターネットで検索していろいろな情報を閲覧している。
僕の相手をしない事にとても苛々したし、理恵の常の穏やかな様子にさえ憤りを感じた。
加えて、自分に対する失望もずいぶんと増えてしまった。
どれだけ貶そうとも理恵に至らない点など無いことに気づいて、嫌悪感は殆どが自分の中を行ったり来たりする。
要はとても馬鹿らしい。
連日連夜理恵を求め続けたのは自分の無力感を埋めるためだったのだけど、他の理由もあった。
実際にどうかはよく分からないけれど、自分と同じ血が通う子供を産ませることで人は徐々に家庭に呑まれて行くのだと聞いた事がある。
何処となく馬鹿らしい話だ。
理恵との暮らしが半年以上経ったある日、 結婚して初めて、理恵が調子を崩した。
いつも青いまでに白い肌が尋常でないほど色を失くした様になっていた。
色を失っていく理恵はあの時のようで、僕は彼女を失うのではないかと思う。
僕は左足を引き摺りながら理恵を抱きかかえた。
まだ理恵を抱きかかえるだけの筋肉は残っているようだ。
理恵をそっとソファの上において、呼吸が楽になるように顎を上げさせる。
見ることも叶わない場所へ理恵が行ってしまったらどうしようかと動揺する自分を慌てて叱咤する。
迷走する頭の中を必死に落ち着け、ゆったりとした口調を意識する。
「病院へ送った方がいいかな。それともしばらく様子を見ようか?」
「いえ、構いませんよ。ゆっくりしていたらきっと治りますから」
「自分の身体は本人が一番分かるというからね。でも、無理はいけないよ」
「ありがとうございます」
理恵は僕の前で気丈に振舞うけど、顔色は戻ってこない。
焦ってばかりで、どうする事も出来ない。
手近にあった毛布を理恵の身体にかけて、部屋へと戻った。
僕は彼女の体調が気になったが、少し眠かったので寝ることにした。
理恵も弱り目の時くらい一人でいる方が楽だろうから。
それにあんなに青い顔の理恵など見ていたくは無かった。
妻の理恵はいつも穏やかで優しい、これは変わることがあってはいけない。
僕達の生活を守るために。