2. 花かごの少女(2)
自分を落ち着かせようと目を瞑り深く息を吸い込んだ。とりあえずもう片方の手に握っていた他の便箋を広げてみた。
――――敬愛なる月の女神様
何度もお手紙を差し上げる無礼をお許し下さい。
それでもおすがりできるのは、月の女神様だけなのです。
同封の古代文字を読むことができるのは、女神様だけだと言い伝わっております。
命を救って下さった、お医者様の為には古代文字が必要なのです。
私たちは自分のできる事は何でもやる覚悟です。
どうか私どもの恩人をお救い下さい。
満月の夜にサインシャンドの町でお待ちしております……――――
1枚目にはユキが今まで見た事の無い文字が並んでいた。それでもユキには何が書いてあるのか理解できた。
医者とはこの名刺の先生……?
『医学部』と書かれている名刺に目をやる。
ユキの全身に鳥肌が立った。
このお医者様はまさかこの世界に居るというの!?
震えはじめた手を落ち着かせようと、ユキはギュッと握りこぶしを作った。それが落ち着いてくるとゆっくりと便箋をめくった。
2枚目にはまた見知らぬ文字が並んでいる。
1枚目の文字とも全く似ていない様相の文字だ。
――――暗い道のり歩いて行けば、見えずに惑う
花も鳥も獣も眠る
子らよ眠れ
目を瞑れば聞こえてくるよ
かの甘き歌声
月の光が包んでくれる
古里の風、そよぐ睫毛に――――
詩のようだ。何の事を書いたものかは定かではない。
1枚目には古代文字だと書かれていた。
昔の詩なのだろうか……?
「それって〈月の子守歌〉ですか?」
横で見ていたサラナがユキに話し掛けた。
ユキが驚いてサラナの顔を見る。
「申し訳ありません。今、ユキ様がそう読まれていましたので……」
便箋に目を通しながら、ユキはいつの間にかその詩を声に出して読んでいたらしい。
「……サマルディア語で聞こえたの?」
「ええ。ユキ様がそう呟かれていました。小さい頃によく母が歌ってくれた、子守歌です」
古代文字は子守歌…………?
ユキは頭を抱えた。何が何だかわからない。
特にわからないのはこの名刺だ。
もう一度1枚目の便箋に目を通した。
「……何度も手紙を……?」
落ち着いて読み返すとまず、先頭の文面に目が止まった。
「サラナ。この文字はどこの国のものだかわかる?」
サラナに1枚目の便箋を見せるが首を横に振る。
「それじゃ、こういった手紙が届けられたことはあった?」
これにも「いいえ」と首をふる。
「ヘレム!」
隣の部屋で仕事をしていたヘレムの元にユキは走った。だがヘレムもこんな手紙にも文字にも心当たりは無いと言う。
ユキは考えていた。
だとしたら、手紙はググンかヒシグ……アルスの元に届いていたのかもしれない。
「……満月はいつ?」ユキが二人に尋ねる。
「えーと。今日……いいえ、明日の晩ですわ」
サラナがそう答えるとユキは手紙を引っ掴み、愛馬のスノウのいる厩舎へと向かった。
大宮殿へとスノウを走らせたユキは、通された部屋でアルスの会議が終わるのを待っていた。
落ち着かずにイライラと部屋を歩き回る。
小一時間ほど待っていると、ユキの待つ部屋の扉が開いた。
「どうしたんだ? ユキ。こんな所まで会いに来るなんて」
アルスは笑顔を浮かべて部屋に入ってきた。
しかしユキの顔を見ると、その笑顔が急速に萎んだ。
ユキの表情がどう見ても焦がれて自分に会いに来たのでは無いとわかったからだ。
「ちょっと。この手紙に心当たりは無い?」
ユキはアルスの目の前に3枚の手紙を突きつけた。
その手紙を見て、アルスの目が大きく開かれる。
やっぱり知っていたのね
ユキは確信した。
「……どうしてこんな物をユキが持っているんだ?」
「どうしてだと思う? 私の所に届いたからよ! 今までの手紙はどうしたの!?」
アルスが言葉を詰まらせる。
「これには何度も手紙を出したと書かれているのよ? どうして私に隠したりするのよ!?」
ユキは声を荒らげた。
「……何が書かれているかもわからないのに、お前に見せるわけにはいかない」
ユキは2枚の便箋を持ち替え、名刺だけをアルスの目の前に突きつけた。
「これはどこの言葉かわかる? 文字の形くらいは見覚えあるでしょ? いいえ! 原書を見れば一目瞭然だわ。これは私の国の言葉よ! この紙はね『名刺』というの。私の世界では自己紹介でこの紙を相手に渡すのよ。これには自分がどういう者なのか肩書きと名前が書かれているの。……そしてこの紙の所有者は、私の通っていた大学のお医者様らしいわ!」
ユキが一枚目の便箋もアルスに突きつける。
「これにはそのお医者様を助けて欲しいと書いてある!」
ユキの目から涙が一筋流れ落ちた。
アルスがそっとユキの手から1枚目の便箋を取った。紙に書かれている文字を順繰りに目線が流れて行く。
「…………読めるの?」
「ああ」
その文字はサマルディアの文字では無い。
「どこの言葉なの?」ユキが尋ねる。
「……ロベリアだよ」アルスがため息をつく。
今まで知らなかったが、ロベリア人の母を持ち、去年ロベリアに遊学していたアルスはロベリア語には通じているらしい。
「明日の晩、サインシャンドの町に出るわ。止めたらアルスの事許さないから」
ユキは腕で自分の涙を拭うと、アルスの手から便箋を引ったくり部屋を出て行った。