2. 花かごの少女(1)
昨日までのドタバタも過ぎ、あっという間に今日はサインシャンドへ帰る日だ。
あれからユキは湯殿に入れられ、ヘレムからたっぷりとお説教をくらった。
そして、日焼けに効果があるというハーブの湿布を全身に施され、その日はもう部屋から出してもらえなかったのだ。
夕食時、顔を見せたアルスはこんがりと日に焼けていた。
「ひどーい。自分ばっかりずっと海で遊んでたんだ」
ユキがアルスをねめつける。
「悪かった、悪かった。でも別に遊んでいたわけじゃないからな」
アルスがユキから目をそむけて答えた。
「また今度来よう。その時はユキもたくさん泳いだらいい。つきあうから」
思いのほかアルスはユキが泳ぐことに賛成してくれているようだ。
「うん。絶対よ! 楽しみ。水着作ってもらおうかな」
ユキは嬉しくてニコニコと答えた。
次は絶対に勝つ!
アルスの本心にはユキは気づく事はなかった。
ウルートの港には皇子と女神を見送ろうとたくさんの民が集まっていた。
大勢の人が手を振ってくれている。
集団の前方にいる人たちが、ユキに花を渡そうと手を振っているのが見えた。
花はこのウルート名産の、大きなフリルのような花弁が特徴のサンターナという花だ。
ユキがその花をにこやかに貰い受け、お礼を言いながら歩く。
ユキが側に来ると手を胸に当て祈る人や、涙を流す人も見受けられた。
ゆっくりとした歩みで船へと向かっていると、前方で後ろから押された少女が前のめりに倒れこんだ。ユキはそれに気づくと慌てて少女に駆け寄った。
少女は中学生くらいに見える。黄色いふんわりとした髪を二つに結んでいる。少女の肌はサマルディア人よりも少し白いような気がした。
アルスもサマルディア人にしては白い肌をしていた。ロベリア人の母親の遺伝なのだろう。何となくアルスに近いような気がユキにはしたのだ。
その少女の白い頬にはそばかすが浮いている。
顔を上げる少女の足元をぽんぽんとユキが払っていると、彼女は手に握っていた小さな花かごをユキに渡してきた。
細いリボンがかけられた、サンターナのフラワーアレンジメントだ。
ユキはにこやかにそれを受け取った。
「ありがとう。大丈夫? 怪我してない?」
ユキが声をかけると、少女は目を丸くしてジッとユキの顔を見つめた。それからにっこりと笑うと何かを言おうと口を開いた。
「大丈夫でしたか!? さ、ユキ様はお進み下さい」
後ろをついてきていたヘレムも駆け寄って声をかけてきた。
近くにいた護衛が少女に手を貸し、ユキはヘレムに手を引かれ船へと歩き始めた。振り返るがもうその少女は雑踏に紛れユキからは見えなくなってしまった。
◇ ◇ ◇ ◇
サインシャンドの暁の宮殿に帰ってきたユキの部屋には、ウルートの町で貰ったサンターナの花で溢れかえっていた。
白を基調とした花なのだが、黄色っぽい物、青みがかった物、薄紅の物などさまざまな色がある。
毎日花瓶の水を取り換えるヘレムやサラナも大変そうだ。
ウルートの町で転んだ少女がくれた花かごに、水を足そうとしていたサラナが花かごの中に見慣れないものが入っていた事に気付いた。
茶色い油紙に包まれていたので、かごと同化していて今まで気づかなかったのだ。
慌ててその包みを手に取ると、手の平サイズの手紙である事がわかった。
「ユキ様、すみません。今気づいてしまったのですが、花かごにお手紙が入っておりました」
ソファで本を読んでいたユキがそれを受け取った。
「あの港で転んだ少女のくれた花かごに入っておりましたわ」
ユキが油紙を外すと小さな封筒が出てきた。そこに窮屈そうに入れられていた便箋を取り出す。
すると一緒に入っていた厚手の紙がポトリと足元に落ちた。
ユキが屈んでそれに手を伸ばすとギクリとして手を止めた。
それに目が釘付けになる。
息が止まり、指先が少し震えた。
その厚手の小さな紙を拾い上げると、ユキはとても小さな声で呟いた。
「名刺だわ……」
そのユキの様子に気づいたサラナが声を掛ける。
「どうかされましたか? それはお手紙ですか?」
ユキの手に握られた厚手の紙に目をやる。知らない言葉が行儀よく並んだ、つるりと美しい紙だ。
ユキはそのサラナの質問には答えなかった。
瞬きするのも忘れてそれを見つめる。
『東旺大学 医学部
第一内科教授 遠藤泰昌』
うちの大学だ!!
ドクンドクンと胸が激しく音を立てる。
自分がこの世界に持ってきたのだろうか?
――――いや、そんなはずはない
うちの大学の先生らしいが、学部も違うし、ユキは会ったことも無かった。
それならユキの気づかないうちに、この名刺がリュックにでも紛れ込み、それをこの世界のどこかで落とした後、巡り巡ってまたユキの手元にあるのだろうか?
「そんなバカな……」
答えを導き出せないユキはそっとその名刺を机の上に置いた。