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9. ララバイ(3)

――――無機質な色と形の巨大な建物の群れの中に、そびえ立つ真っ赤な塔――――

 

 その前にシャツとパンツとピンク色の靴を履いて立っているユキは、もうこちらの世界の住人の様には見えなかった。

 

 医者が何かを叫び、ユキに手を伸ばす。

 自分に絡みつくような闇を振り払おうと、アルスは更にもう片方の手で刀身を握り締める。

 

 ユキの手がピクリと動き手を伸ばす。


 アルスが頭を振ると絡みついていた何かが剥がれ落ちた。



「ユキ――!!!!」


 叫ぶとユキがこっちを振り向いて寂しげに笑う。



(……結局かぐや姫は…………)


 ユキはその後を口にしなかった。

 

 息が止まる。

 手が震えるのは傷のせいでは無かった。

 

(……アルス……)

 

 囁くように、歌うようにユキが声を出した。憂えた瞳がアルスの瞳を覗き込み、微笑んだ。


 ユキの伸ばしていた手がふわりとアルスの頬に触れる。

 さっき手にした雪のように、その指先は冷たく、アルスの頬に残る最後の熱を奪い去った。

 

 ユキが灰色の町を振り返る。

 


 花のように攫われて

 雪のように溶けてしまう――――

 


 手の中を滑るさらりとした髪も

 潤んだ黒い瞳も

 白く柔らかな頬も

 首筋の甘い匂いも

 見上げてくるあの笑顔も

 


 もうこの手の中には


 ――――――還らない



 アルスは離れて行こうとするユキの体に、血まみれの手を伸ばし抱きとめた。

 ユキが首を傾け何かに気付いたような顔を見せると、そっとアルスの首に白い腕が回される。

 

 ユキが医者を振り返った。


「先生! さようなら! お願いします!」

 ユキが何かを医者に叫んだ。


 アルスもユキの視線の先を見ると、遠藤の姿が背景に溶け込み、諸共薄れていってしまった。

 一瞬にして霧は消し飛び、そこには石版が何事も無かったようにそびえ立っていた。

 

 辺りからは欠伸あくびする声や、伸びをする声が聞こえてくる。何が起こったのかわからず、皆目をぱちくりさせたり、きょろきょろと辺りを見回している。


「ユキ……」

 アルスは自分の体に重りを乗せられたように、ガクリと膝を着いた。


 ユキが慌ててアルスを支えた。

「どうしたの? 大丈夫?」


 後ろで目覚めたモリが「ハッ」と起き上がるとアルスを見て、大声を出した。


「皇子!! どうされました!?」

 モリの顔からは血の気が引いている。


 ユキがモリの視線の先を見てみると、アルスの手からは血が流れだし、真っ赤に染まった抜身の剣が足元には落ちていた。


 見るとユキ自身も血まみれだ。


「どうしたの!? アルス!?」

 

 自分を心配そうに覗き込んだユキの顔を見ると、全ての力が抜け落ち、アルスは意識を失った。



◇ ◇ ◇ ◇

「ユキ!!」

 アルスがガバリと身を起こす。

 そこは陽の光の降り注ぐ暖かなベッドルームだった。周囲を見回してもユキの姿はそこには無い。


「皇子、ユキ様は…………」

 側にいたモリが慌ててアルスをベッドの上に押し止めようと手を伸ばす。


「離せ!! モリ!」

 

 ベッドから滑り落ちるように下りると、廊下に飛び出した。


「ユキ!!」


 どこまでが夢でどこからが現実だ――――?


 確かに腕の中にユキを抱きとめた。


 いや、こちらを振り向いた。

 悲しそうな目をして。


 見知らぬ町に溶け込んで――――


 

 足がもつれる。肘で壁を撥ね付けながら走った。

 息を切らせて廊下の角を曲がる。



「ワッ!!」

 ぶつかりそうになり、ユキが驚いた顔をしてそこに立ち止まった。


「……目が覚めたの? アルス…ビックリするじゃない……大丈夫?」

 呆然と自分を見ているアルスにユキは恐る恐る声を掛けた。


「ユキ……よかった」

 アルスがユキを抱きしめ大きく息を吐いた。


「アルス……手あんまり動かさない方がいいよ」


 アルスの両手には包帯が巻かれていた。


「いいんだよ。手なんてどうでも」


「良くないよ。……どうして手が血まみれだったの?」


 アルスがマジマジとユキの顔を見た。


「ユキがニホンへ帰ろうとしただろ? 皆次々眠ってしまうし。必死に起きてお前を止めたんだぞ」


 ユキがキョトンとした顔をする。

「帰ろうとなんてしてないよ。ヤダなあ」


「いや、帰ろうとしてたじゃないか! 俺にはわかった」


「そりゃ懐かしくて見てたけど、帰らないよ」

 ユキは笑う。


 絶対帰ろうとしていた。

 アルスが不満げにユキを見た。


「それにね、帰ろうとしても帰れなかったと思うの。たぶん私の帰り道はただ一つだけなのよ」



 それは「女神の書」を最後まで書き上げる事――――


 ユキはあの場に立っていてまざまざとそれを体で理解した。霧の向こうに伸ばした手には世界が自分を拒むような、そんな刺激を感じたのだ。



 それを聞いてもアルスの考えは変わらなかった。

 消え入りそうな声で、儚く笑い掛けて来たユキ。

 おそらくあの時自分が手を伸ばさなかったら、ユキはあの霧の彼方に消えてしまっていただろう。


「……あたたかい」

 洞窟で氷のように冷たくなっていたユキの体を思い出し、またギュッと抱きしめた。


 ユキは笑う。

「だから、カイロじゃないんだってば」



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ルーセント・ムーンの獣・・・「彼方からの手紙」はルーセント・ムーンシリーズの第三弾になります。第一作「ルーセント・ムーンの獣」からご覧ください。 ドラゴン・ストーン~騎士と少女と失われた秘法~新作もよければご覧ください。
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