9. ララバイ(1)
翌朝支度を済ませると、ユキは遠藤の部屋へと向かった。
「先生、藤城です。今よろしいですか?」
声をかけると、遠藤はここへ来た時に来ていた、シャツとスラックス姿だった。
「先生にお願いがあるんです」
ユキはそっと手に持っていた封筒とコインを出し、机の上に置いた。
遠藤がそれを受け取り宛名を見ると驚いた顔をした。
その封筒には「藤城浩二様 洋子様 薫様」とユキの家族の名前と住所が記されていたのだ。
「……これは?」
遠藤がユキの顔を見る。
「先生。もしも今日、日本に戻れたらこれをポストに投函してもらえませんか?」
ユキも真剣な眼差しで遠藤を見た。
「私、ずっと考えていたんです。どうにか家族に謝れないかと。私はもう日本へは戻りません。どうしてそうするのか……本当は顔を見て話したいです。でもそれは絶対にできません。先生が日本へ戻られることは、私にとっても希望なんです。どうかこの手紙をお願いできませんか?」
「……わかった。必ずこれを君の家族に届けよう」
そう言うとユキの手紙をこげ茶色の鞄にしまった。
「それでこの百円玉は?」
「ああ、それは切手代です」
遠藤が目を丸くして笑った。
「久々に、百円玉を見たよ。僕はどうも小銭入れを家に忘れてきていたようで、お札とカードしか持っていなかったんだ。何だか懐かしいな」
遠藤は百円玉をつまむと表と裏を交互に見た。
そして机に置くと、スッとユキによこした。
「これは君が持っていなさい。二度と手に入らないものだ。大切にするといい。切手は僕のおごりだよ」
そう言うとニカッと笑った。
ユキもそれに笑い返した。
◇ ◇ ◇ ◇
遺跡のある場所は、このレハルドの中心地からそう離れてはいないという事だった。
歩いてもすぐの場所だったので馬車は断り、アルスもユキも歩いて行く事にした。
外へ出るとふわりと白い物が舞い落ちてくる。
「雪だわ」
みんなが空を見上げて歓声を上げる。
サマルディア人にとっては一生見る事も無い程に「雪」は珍しい物だった。
ロベリアに遊学していたアルスも、冬には訪れた事が無かったようで初めての「雪」に目を丸くしている。
手の平に落ちてくる綿雪を見つめると、それは手の中ですぐに溶けて滴になってしまった。
「冷たいな」
アルスが子どもの様に目を輝かせている。ユキはそれを目を細めて見つめた。
「そろそろ行くか?」
「うん」ユキは頷いた。
アルスが手を伸ばし、二人は手を繋いだ。
「久々に見たな、その靴」
ユキはこの世界に来た時に履いていたピンクのスニーカーを履いていた。
寒い場所に行くので、サンダルでは心許ないと思い、一応荷物に入れておいたのだ。途中寄ったロベリアのトムトルクで買った毛皮のブーツもあったのだが、それは暑すぎてユキは到底履く気になれなかった。
結局ユキはスニーカーに合わせて紺色の細身のパンツと白シャツという、おおよそ女神とは思えない恰好だった。
「ヘレムにドレスを着ろって散々言われたけどさ、せっかくなら歩きたいじゃない。雪も降っているしね」
「寒くないか?」
アルスの口から白い息が出る。薄着のユキの格好を見て少し心配そうだ。
「寒くないんだよ。日本人はそんなものなの」
ユキは慌てて答える。
本当はそんな事は無いのだけれど、そう答える事しかユキにはできなかった。
自分は異物だ――――
ごくんとその言葉を飲み込んだ。
そんな事は口が裂けてもアルスには言えない。
山際に入り、道は少し上り坂になった。
船に船員と料理長たちを残しているので、サインシャンドを出発した全員が遺跡へと向かっていた。
そこにこのレハルドの町長とその従者、レオやキーラ達も続いている。
「遺跡は洞窟の中なのよね? こんなに大人数が入れるのかな?」
「町長の話では洞窟は広いらしいぞ。屋敷もすっぽりと入るくらいの大きさだと言っていたな」
「そうなんだ」
ユキが驚いて声をあげた。
そんなに広い場所に石版があるのね……
「見えて来ましたよ」
前方を行く町長のクジマがユキ達に声をかけた。
山道の途中だが生い茂る木々の間にぽっかりと草地が広がっている。
「あそこです」
クジマの指さす方を見ると、崖下に大きな洞窟の入り口が見えた。崖の下に下りる小さな道が草地から作られていた。
一列になって崖下へと下りて行く。
手を繋いでいたアルスがユキを振り返る。
「大丈夫か?」
「うん」ユキは笑顔で答える。
額には汗が滲む。
歩いて山道を登っていると長袖のシャツでも暑いくらいだった。ユキが腕で汗を拭い、我慢できずにシャツの袖を捲った。
毛織のマントを着こんだアルスが驚いた声を出した。
「暑いのか?」
「歩いたからちょっとね」
白い息を吐きながらアルスはユキを見つめていた。
「ほら、行こう。後が詰まっちゃうよ」
ユキがアルスに笑いかける。
「そうだな」とアルスは前を向きまた歩き出した。
洞窟に着くと、既に中には篝火が焚かれていた。近づくと、トンネルくらいの広さの入り口に見える。
そんなに広くは見えないけれど……
辺りをを見回しながら中へ入って行く。
洞窟の中から涼しい風がヒュウッと吹いて来て心地がいい。
後ろにいたサラナが「きゃっ」と声を上げ腕をさすっている。
余程寒いようだ。
ふとその後ろにいた遠藤と目が合った。遠藤も風を受け心地よさそうな顔をしている。
ユキと目が合うと、微笑んだ。
「こちらです。もうすぐです」
クジマの声が洞窟の中で響く。
後に続いていくと、突然大きな空間に出た。ドーム球場の様に広く、天井も高い。
上には穴が開いている場所があるのか、いくつか光の筋が下りてきている。
足元は砂交じりの土だ。伸びてきた光の筋にキラキラと砂が輝く。
「凄いわね。きれい……」
ユキが光の筋を眺める。横のアルスもそれを見ている。




