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8. 囚われの海(5)

 ユキは潮でべたつく体を湯殿で洗い流すと、絹のワンピースに袖を通した。

 お供をしてくれたサラナは綿わたの入ったガウンを羽織っている。

 寒がりなサラナに「風邪を引かないようにね」と声をかけると、早々に下がらせた。

 

 アルスの待つ部屋の扉を開ける。

 ソファでくつろいでいたアルスも毛織の上着を羽織っていた。


「大丈夫か?」  


 疲れ顔のユキにアルスが声を掛けた。


 レンガで作られた暖炉は、サマルディアではお目にかかれない設備だ。

 木がパチパチとぜる。

 

 冷たい夜の海をレオを引っ張って泳いだのだから、それだけで確かにクタクタだった。

 疲れきった体にユキはホッと胸をなで下ろす。

 

 アルスの隣に座ると、ユキはアルスの肩に寄りかかった。


「明日は私の側にいてね」

 暖炉の火を眺めながらユキが呟いた。


「どうした? 不安なのか?」


 急激に不安になった。

〈女神の書〉を作っていた時よりも、それは常時そこに存在しているようだった。

 

 実態の無い悪夢が常につきまとう。表立たない分それはユキの中をただただ彷徨う。


「……それは不安だよ。明日何も起きなかったら、先生に申し訳ないもん」

 言いたいことはもっと別にあるのに、ユキの口からはそんな言葉が出てきた。


「いいさ、それでも。俺は何も起きない方がいい」


 アルスの言葉にユキは顔を上げる。


「先生には気の毒だが、その時はサマルディアで歓迎するよ」

 アルスが優しい笑顔を浮かべる。


 ユキはアルスの腕にしがみついた。


 心が震える。


 確かにここにある

 私が彼を思う気持ちも、彼が私を思ってくれている気持ちも

 

 実体の無いものがもう一つユキの中には存在している。

 そしてそれは確実にユキを満たしてくれるものだった。



「寒いんじゃないのか? そんな恰好してるからだぞ」

 薄いワンピース姿のユキを見ると、アルスがユキを抱きしめた。


「寒い……のかもしれないね……」

 

 そう、寒い

 凄く寒い

 

 レハルドの海より暗く冷たい物が、ユキを海底へと引きずり込もうとする。

 

 だから私を温めて――――

 

 手を伸ばせばすぐに届く。

 ここにある。

 

 ユキがアルスの首に手を回すと、アルスはユキを抱え上げ自分の膝の上に乗せた。

 アルスの手がワンピースの裾から入り込むと、ユキの太腿に触れた。

 

 ユキがピクンと飛び上がる。


「アルスの指冷たい!」


「そうか? ユキはホカホカだからこのまま温めてくれよ」

 そう言うと今度は両手でユキの太腿を触った。


「ちょっと、人間カイロじゃないんだから」ユキは笑ってアルスの顔を見た。


「カイロって?」

 アルスがユキに尋ねる。


 カイロもこの世界には無いのかな?

 それともサマルディアが南の国だから無いのかな?


「……カイロっていうのはね、冬の寒い時に暖を取る為に使うの。手の平サイズで紙袋の中に粉が入ってるのよ。それをシャカシャカ振るのね。そうするとその紙の中の粉が混ざり合って空気と反応して熱くなるのよ。

 なんだったっけ、えーっと鉄の粉だったかなー。あと他の成分が………………もう! もっといろいろ勉強しとけばよかった……」

 

 難しい顔をしながら顔をアルスに向けると、アルスはニコニコとしてユキを見ていた。

 


 婚約者の膝の上に座ったまま、私ってば何の話してるんだろ……?

 


 この状況を思い出して、ユキは色気の無い自分自身にガックリとした。


「……ごめんね。こんな話して」

 申し訳なくてユキが口を開くと、アルスがきょとんとした。


「どうして謝るんだ? 俺はユキが知っている物は何でも知りたいし、ユキの世界の事だっていろいろ聞きたいと思ってるんだぞ」


 そう言うとアルスがユキに顔を近づけた。

「それに一生懸命考えながら話してるユキが可愛い」

 

 ユキの顔がぽうっと赤くなった。

 


 ユキの中で何かのスイッチがカチャリと入った。


 頭の中で曲が鳴り始める。

 ハスキーボイスのせつないラブソングが、いきなり前奏もAメロもBメロも吹っ飛ばしてサビの部分を歌いだす。

 

 大好きなMIORAのヒットソングだ。

 日本にいれば今頃は彼らの曲が手元にあり、毎日聞いていたことだろう。

 

 目の前でアルスが微笑んだ。


 堪らずユキは思いっきりアルスに飛びついた。ユキの勢いでアルスがソファに仰向けに倒れ込む。


「どうした? ユキ?」

 

 ユキは答えずに、ただただアルスにしがみついた。


 暗く冷たい冬の海は消え去り、コバルトブルーの空を映したサマルディアの海が広がる。

 ユキは夏に泳いだ、澄んで美しいウルートの海を思い出した。


 さっきまでの不安も身を縮めたくなるような虚無感も、アルスが吹き飛ばしてくれた。


 興奮しているのか自分の胸の鼓動が耳に聞こえるようだ。



「アルス……愛してるわ」

 ユキが抱きついたままアルスの耳元で囁いた。


 アルスもユキをギュッと抱きしめた。

「俺もユキを愛してるよ」

 そう言うと体を起こし、ユキの体と自分の体を入れ替えた。


「ソファ……狭いね」

 ユキが下になりソファに横になっても窮屈な感じがした。頭のすぐ上に肘置きがある。


「……さっき頭打たなかった?」

 自分が思いっきりアルスに飛びついた事を思い出した。


「打ったよ。突然動くなよな」


 ユキがそれを聞いて笑った。


 アルスがユキの額に自分の額をコツンとぶつけた。

「狭いから移動しよう」

 そう言うとアルスはユキを抱え上げた。


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ルーセント・ムーンの獣・・・「彼方からの手紙」はルーセント・ムーンシリーズの第三弾になります。第一作「ルーセント・ムーンの獣」からご覧ください。 ドラゴン・ストーン~騎士と少女と失われた秘法~新作もよければご覧ください。
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