8. 囚われの海(3)
ふとユキは遠藤の言葉を思い出した。
(僕はこの世界では異物なんだろう……)
それはユキ自身にも当てはまるのではないだろうか?
確かにユキは遠藤と比べればこの世界には馴染んでいる。
基本的な欲求もあるし、代謝も普通だ。
それでも過度な体へのストレスは感じないのかもしれない……。
まさか私も…………?
ユキはその時、丘の離宮での火事を思い出した。
あの時はユキの呼吸が止まっていたとアルスは言っていた。彼の人工呼吸で息を吹き返したのだ。
そう!
だから、私は違う
火事の中で息が止まっていたのだから……
希望を見いだしたはずのユキの瞳はまた暗く沈む。
甲板での出来事が頭をよぎる。
遠藤の指から煙が上がる。それは煙草の火で黒く煤けたものの、火傷を負う事は無かった。
痛がる事すらなかったのだ。
――――そうだ
そうなんだわ
…………結局私は生きている
全てが灰燼に帰っした中で、火傷すら負わず、息が止まっていても何の後遺症も無く助かったのだ。
ユキはあの時の藍色の瞳も思い出した。
(女神は病気や怪我では亡くなることはありません…………)
確かに彼はそう言っていた。
女神が特別に守られた「何か」などではなく、この世界の理から逸脱した存在だからではないだろうか…………。
――――自分もこの世界の異物だ――――
ユキはゾクリとして鳥肌がたった。
冷たい北国の風のせいでは無い。自分をこの世界に存在しえ無いものとして、認識してしまった事が恐ろしくなったのだ。
こんな事には気づかない方がよかった。
自分の腕を強く包み込んだ。
粟立つ肌を均そうと必死に手の平で擦りつける。
ユキは炎の中で、時折舞い上がる火の粉を眺めていた。
温かい
確かに熱を感じる。
なのにユキにはそれを渇望するほどの冷気を感じない。全てを幻だと思えば、そう思う事ができるような気がした。
「ユキはキレイだな」
レオの声が突然洞窟に響いた。
暗い海の中に囚われていたユキは、レオの言葉に急に現実の世界に呼び戻された。
レオの言葉と自分の気持ちの落差に当惑する。
「な…何言ってるの? もう寒くないの?」
ユキが咄嗟に話をすり替えようとする。
「初めて教会で話した時の事覚えてる? あの時ユキが先生に似てるかって言っただろ? 俺笑いそうになったよ。あんなおっさんに似てるわけ無いだろってさ。……ユキを見て、こんなに白くてキレイな人間がいるんだなってビックリしたんだ」
レオがお構いなしに続ける。
「頭でも打ったんじゃない? 少し横になれば?」
ユキもレオの言葉には耳を貸さない。
「俺、ユキが好きなんだ」
ユキが顔を伏せる。
「見た目だけじゃなくてさ、ユキといるとすげー楽しいんだ」
ユキは何も言えずにただただうつむく。
「だからさ……」
レオが一歩腕を出し、ユキの方へ身を乗り出した。
ユキが手でそれを遮る。
「ちょっと待って。それ以上こっちに来たら、私だけ泳いでレハルドに行くわよ」
レオがジッとユキの顔を見つめる。
「そんなの無理に決まってる」
「無理かどうかは知らないけれど、どちらにしてもここからは出て行くから」
ユキが言い切ると、レオは腕を引っ込め舌打ちをした。
「……わかったよ」
そう言うとレオはむくれてユキに背を向け横になった。
しばらく経つとレオが規則的な寝息を立て始めた。
ユキはたき火に小さく折れている流木をくべる。
レオに目をやると、上から羽織らせていたファーのベストが大きく傾いて、肩が寒そうに出ている。ユキは立ち上がると、絹の上掛けに袖を通し、レオの側まで歩いた。そっとベストに手をやり肩に掛け直すと、その手をレオが取った。
むくりとレオが起き上がる。
「眠ったんじゃなかったの?」
ユキが驚いて声を出す。
「眠ったふり」
レオがいたずらっ子のような顔で笑う。
「驚いた」
ユキが立ち上がろうとすると、レオがユキを抱きしめた。
「レオ! 離しなさい!」
ユキがレオを怒鳴りつけもがく。
「ちょっとだけこーしといてよ。寒いから」
ユキが振り上げていた拳を下す。やはり少し眠っていたのだろう。レオの体はひんやりとしていた。
「はあー…。俺がもっと早く生まれてたら違ったのかなあ……」
レオが耳元で呟く。
「……ああは言ったけどさ、やっぱり年とか関係無いんだよね」
「ホントに?」
レオの瞳がわかりやすく輝く。
「年齢関係なく、私はアルスが好きってこと」
「何だよそれ! そんなハッキリ言うなよ!」
レオがうらめしそうにユキの顔を見る。
「……ひでえ女だ」
「そうだよ。考え直した方がいいよ」
ユキがそう言うとふわりと笑った。
その顔をレオはジッと見つめた。
「…………あのさ、一回だけでいいからキスしてもいい?」
「はあ!!?」
ユキの声に怒声が混じる。
「そんな事したら一生口聞いてやんないからね!」
そう言うとユキは勢いよく立ち上がった。
干している服の乾き具合を確認すると、レオにポイポイ投げつけた。
「ほら、もう乾いてるから着なさいよ!」
そう言うとユキも自分の服を手に取った。
「あっち向いてなさい!」




