6. 遠方からの客(2)
「みんな信じて。この方法は私の国では特別では無い一般的な治療法なのよ。そして先生は心臓の病の専門医なのよ。……私は先生を信じる。……お願い!」
ユキの必死の様子に誰よりも先んじてエレノワが声を上げた。
「皆控えておれ! わらわはユキを信じる! そうであろう? アルス?」
「もちろんです!」
アルスも決意を固めていたのか即答する。
「ダマクス……お前は下がっていろ」
「皇子! しかし……」
「お黙り!! 邪魔するならばお前を無理にでも追い出す」
エレノワの迫力にダマクスは渋々と遠藤の前から離れた。
「……ダマクス……」
「陛下!」
弱弱しい声で目を瞑っていたサロールが口を開いた。
「私は……ユキさんを信じている。これは神のおぼしめしだ。全てを信じ……受け入れよ」
「陛下……」
ダマクスは涙を流しサロール陛下のベッドの足元にひれ伏した。
「……先生……お願いします」
サロールが首を傾け枕元にいる遠藤を見た。
ユキが日本語でそれを伝える。
「それじゃあ、いきますよ。力を抜いていて下さいね」
サロールの腕にスッと銀色の針が差し込まれた。
点滴の量を調整し腕にはめた革ベルトの時計を見ると、遠藤はサロールの側の椅子から立ち上がった。
サロールからは規則正しい寝息が聞こえ、深い眠りについていることが見てとれた。
侍従とユキの後に続き寝室を出ると、遠藤の為に準備されていた部屋へと向かった。
その部屋に入っても遠藤は部屋をキョロキョロと見回す。
「凄い部屋だね。ホテルのスイートも真っ青だよ」
遠藤はそう言うと笑った。
「先生、私もしばらく大宮殿に居ますので、何かあればいつでも呼んで下さい。侍従には声をかけられたら私を呼ぶように伝えてありますから。お疲れでしょうし、少しお休みされて下さい。それでは……」
「あ……ちょっと待って。藤城さんだったね? 君は疲れているかい?」
「いいえ。私は何もしていませんから」
「そうか……僕も疲れていないんだよ」
遠藤が微笑む。
「よければ聞きたい事はたくさんあるから、このまま話はできるかな?」
ユキが「もちろんです」と頷く。
でも20日もかかる長旅を終えて、すぐに診察までした遠藤が疲れていない事に少し驚いた。
ユキはそのまま遠藤の部屋のソファに腰を下ろした。
「手紙に書かれていた通り、君は大学にいてそのままこの世界に来たんだね?」
ユキは自分に起きた、あの大学での不思議な出来事を遠藤に話した。
「そうか……実は僕もね、丁度そのくらいの時間にあの校舎にいたんだよ」
ユキが驚いて遠藤の顔を見た。
「狭心症の患者の往診に行くと言っただろう? それに一緒に付いてくるという奴がいてね。高校時代からの友人なんだが、池田というんだ。私たちの恩師がその患者なんだよ」
「池田って……池田先生ですか?」
ユキが声をあげる。
「池田先生のゼミ生なんです。私……。あの時は講義の後で、忘れ物を取りにあの教室に戻ったところだったんです。池田先生の部屋は私の居た教室の隣です」
「そうか……。それなら君と私はあの廊下で同じ現象に巻き込まれたのだろうね」
ユキはあの目を突き刺すような強烈な光を思い出していた。
「私……お気づきかもしれませんが、この世界で言葉に困ったことがないんです」
「そうか……よく勉強したんだね」
遠藤は感心してユキを見た。
「違うんです。勉強なんてしていません。初めから何の苦も無く話しているんです。私は……自分では日本語しか話していないんです。それでも誰にでも言葉が通じるし、このサマルディア皇国以外の言葉でも話せるんです」
遠藤が驚いた表情を浮かべる。
「僕はね。結構語学力には自信があるんだよ。英語には全く困らないし、日常会話ならドイツ語も話せる。しかし、この世界の人にはどの言語も通じなかった。それどころか、会話の糸口すら見つからないんだ。何を言っているのか全く聞き取れないんだよ。単語の一つ一つまで通じないなんてことは、普通は考えられないだろ? ジェスチャーを加えても何の意味も無いんだよ」
遠藤は途方に暮れたような顔をした。
「それに……信じられるかい? 僕はこの世界に来てから髭を剃っていないし、髪も切っていないんだ」
ユキは改めてその遠藤の顔を見つめた。
すっきりと整えられた姿は、1年以上も放置していたようには到底見えない。
「それどころか、あまり眠くもならないし、お腹もすかない。疲れるという事も忘れてしまったようなんだ」
ユキが目を見開く。
人間がこんな状態で過ごすことなどあるのだろうか?
「君はそういう事はないかい?」
ユキはこの世界に来てからの生活を振り返った。
そしてゆくりと頭を横に振った。
自分はそんなことは無い。
短く切った髪も、もうとっくに肩の下まで伸びた。
お腹もすくし、眠くなるし、疲れる。
遠藤が寂しげに笑う。
「僕はこの世界では異物なんだろう。生きているという実感が湧かないんだ。とても孤独だよ。……早く家族の元へ帰りたい」
遠藤が遠い目をした。
ユキの胸にジリジリと焼けつくような痛みが広がった。
「先生。お手紙には書かなかったのですが、日本へ帰れる方法があるかもしれないのです」
遠藤が目を見開いた。
「試したわけでは無いので、確実にそうだとは言い切れません。先生の居た、最果ての町・レハルドに言い伝わった物なのですが……」
ユキがキーラとマルタから聞いた話を遠藤にも伝えた。
遠藤が口元を手で押さえ、それを黙って聞いていた。
「…………つまり君が『女神』というわけか?」
ユキは頷いていいのかわからない。
この世界の人がそう呼ぶだけで、言葉がわかる以外には「自分は女神だ」と人に語る確たる証拠を、何も持っていない気がしたのだ。
「私が古代文字を読んだところで、何も起きない可能性もあるのです。それでもやってみなければわかりません」
遠藤の瞳に強い光が宿った。
「可能性があるのなら、僕はそれにすがりたいんだよ。藤城さん一緒にあの町へ帰ってくれるかい?」
ユキは大きく頷いた。




