6. 遠方からの客(1)
それからひと月の間、サロールはなんとか発作を起こさずに、過ごすことができていた。そして深碧の宮殿に、モリたちがガシュインの港に着いたとのシラセが届いたのである。
今か今かと大宮殿(深碧の宮殿)の門前でユキ達が一行を待っていた。
「お帰りなさい! モリさん! みんなもお疲れ様」
ユキが笑顔で出迎える。
「医者は?」
アルスがモリに尋ねると、ジリムの後ろに一人の中年男性が立っていた。
白髪の混じる短い髪を少し後ろに流していて、縁なしのメガネに白いシャツとグレーのスラックス姿、靴は黒のレザーシューズだ。
やっぱり日本人だわ!
ユキの瞳が大きく開かれる。
彼もユキの顔を見ると驚愕した顔をした。
「こんにちは。遠藤……泰昌先生ですか?」
ユキが恐る恐る声をかけると、彼の瞳に涙が浮かび上がった。
「信じられない! 君は日本人か!? 手紙を受け取った時は震えあがったよ。壊れてはいたけれどスマホも入っていたし。どれくらいぶりだろうか? 人と話すのは!」
遠藤はメガネを外すと、眉間に手をやりギュッと押さえつけた。
「私は藤城雪と言います。先生と同じ東旺大学の学生なんです」
「ああ、手紙を読んだよ」
遠藤は笑顔を浮かべた。
「話したいことはたくさんあるのですが、まず病人を診てもらいたいのです。お疲れの所をすみません」
ユキが訴えると遠藤はこげ茶色の鞄を抱え、ユキの後に続いた。
サロールの寝室に入ると、遠藤は少し部屋を見回し驚いているようだ。豪華なお城に突然入った時の驚愕する気持ちはユキにもよくわかった。
サロールのベッドの側に来ると、そっとお辞儀をした。
ユキがサロールとエレノワとヒリク、そして遠藤にそれぞれの言語で紹介をする。
遠藤は鞄から聴診器を取り出すとサロールの心音を聞いた。
側にいたヒリクがその器具を珍しげに見つめる。
「先生いかがですか?」
ユキが尋ねる。
「うーん。狭心症だろうね。心電図やCTがあればいいんだけれどね」
「狭心症ですか……。この病気は治りますか? 手術とかしないとだめなんでしょうか?」
「そうだね。手術ができればいいだろうけれど。ここじゃ無理だし。そもそも僕は内科医だしなあ……」
ユキが遠藤の顔を見る。
そう言えば名刺には「内科医」という記述があったのだ。
「キーラの……あの、先生がいた町の黄色い髪の女の子のお父さんを、先生が助けたと聞いたのですが」
「ああ、あの子は『キーラ』と言うんだね」
遠藤が笑顔を浮かべる。
言葉のわからない遠藤には、今の今まであの少女の名前を知る術がなかったのだ。
「僕は若い頃は救急にも駆り出される事が多くてね。あのくらいの処置ならできるんだよ。器具や薬も鞄に入っていたしね」
「そうなのですね……」ユキの顔が少し沈む。
結局遠藤の手にもサロールの病は手におえないという事なのだろう。
「もし僕が……心臓外科医だったとしても、この世界で彼を助ける事は出来ないだろう。設備も器具も薬も何もかもが無いんだからね」
その通りだとユキは思った。この世界では知識や技術があっても、結局全てが追いつかないのだ。
「それでも患者さんはラッキーだね。僕は循環器内科が専門なんだよ」
「循環器……?」
「つまり、心臓の内科医さ」
遠藤が笑顔を見せる。
「しかも僕は患者の往診に行く途中だったんだよ」
遠藤は鞄を開いた。中からは幾つかの薬と点滴薬が出てきた。
「狭心症の患者のね」
ユキは遠藤の説明を聞きながら、サマルディア語でそれをアルス達に伝えた。
遠藤はまず鞄から出した消毒液でサロールの腕を拭くとゴムチューブで腕を縛った。
針を取り出すとサロールの腕に触れ、針を肌に突き立てる。
それを傍で見ていた大臣のダマクスが「何をする!!」と大声を上げて止めに入った。
「うおっと!…………危ないなあ」
遠藤が寸前で針を持つ手を逸らした。
「何をされますか!? こ…皇帝陛下でございますよ!?」
ダマクスは大声で遠藤の前に捻り込んだ。
「あのね、ダマクス。さっきも言った通り、これは体に直接針を刺して入れるお薬なのよ。何も危ない事は無いわ」
「なりません!! こんな恐ろしい事認められません!」
アルスも止めには入らなかったものの、複雑な表情を浮かべている。
「……本当に大丈夫なんだよな?」
「大丈夫だったら!」
この国にはまだ注射器のような医術は無く、皆一様に胡散臭い物を見る目つきだ。
「……どうするかな? やめておくかい?」
皆の表情で状況を察した遠藤が心配そうにユキに尋ねた。
「でもその点滴を打った方がいいのですよね?」
「そうだね……。患者さんの衰弱は激しいからね。点滴を打った方が確実ではあるんだよ」
その遠藤の言葉にユキは決心を固める。




