5. 選択肢(2)
大宮殿に辿り着くと侍従が出迎えてくれた。すぐに皇帝の居室へと案内される。
「皇子は?」
「陛下のお側に」
ユキが皇帝の寝室に入る。
「ユキ……」
アルスがユキを振り返る。
「アルス……」
側には医師のヒリクと大臣のダマクスの姿がある。
「陛下の容体は?」
「意識を無くされたままなのです」
ヒリク先生が答える。
ユキが陛下の側に行く。
顔色が悪い。呼吸はされているようだが、それはとても浅いような気がした。
アルスの顔を見上げる。
「大丈夫だ。……今までにも発作を起こされたことはあるし、きっとすぐに目を開けられるさ」
アルスが口元に笑顔を浮かべる。
気丈に振る舞っている事がすぐにわかった。
「アルス……」
ユキがアルスの手をそっと握った。
「ユキ様。…少しよろしいですか?」
ダマクスが後ろからユキに声をかけた。憔悴していることが見てとれる。
ユキはダマクスに言われるまま寝室を出て、皇帝の執務室へと通された。
机の上にはあのユキが書いた〈女神の書〉が置かれている。
「ユキ様。どうかユキ様の知識で陛下をお救い下さい」
ダマクスがユキの前に跪こうとする。
「止めて。ダマクス。お願いだから……」
ユキがダマクスの両腕を支える。ダマクスの目からは涙がこぼれる落ちる。
「……今までも何度か発作を起こされる事はありました。ですが意識を無くされる事はありませんでした。ヒリク先生はこのまま陛下がもう一度発作を起こされると、お命もわからないと仰っ……」
ダマクスはその後を言葉にできない。
ユキの目からも涙が落ちる。
「ごめんなさい、ダマクス。私にはどうする事もできないの。この本に陛下の病に効きそうな治療法は書いて無い?」
ダマクスが首を横に振る。
「……それなら、私にも何もできないのよ。……許してダマクス」
ユキが床に膝を着いて泣き崩れるダマクスをそっと抱きしめた。
涙を拭い、陛下の寝室に戻るとそこにはヒリク先生の姿だけがあった。
「皇子は……?」
「少し外の風に当たりたいと仰って外へ出て行かれました」
「そうですか……」
ユキはアルスの側へ行こうと扉に向ったものの、ふと足を止めた。
陛下の側で脈を取るヒリクを振り返る。
「先生。陛下は心臓が悪いとお聞きしました。やはりそれが原因なのですか?」
ヒリク先生は寂しげに頷く。
「幼少の頃より陛下は心臓がお強い方ではありませんでした。運動なども控えられて、発作など起こさぬように静かに過ごしてこられたのです。しかし年齢を重ねられたせいもあるのでしょう。最近では発作を少し起されることもあったのですよ」
「……お目覚めにはなりますか?」
「このまま発作が無ければ、お目覚めにはなるでしょうが……」
また発作が起こればわからないということなのだ。
「……手術とかはできないんですよね?」
「手術?」
ヒリクが顔をあげてユキを見る。
「手足の縫合くらいならばできますが、心臓を手術するなど、到底不可能です」
「やはりそうか」とユキは顔を曇らせた。
「ユキ様の世界ではそれができるのですか?」
ヒリクが驚いたまま言葉を継いだ。
「ええ。私の世界では心臓の手術はできます。陛下の病状などにもよるのでしょうけれど。私が医者であればわかるのでしょうが…………」
そこまで話したユキが、うつむいていた顔を上げた。
目には光が宿る。
「お医者様なら……一人心当たりがあります!」
ユキは外に出たというアルスを探した。
西側にあるホールからつながる広いバルコニーで、アルスは沈んでいく夕日を眺めていた。
「アルス!」
ユキがアルスの側に駆け寄る。
さっき浮かんだ考えをいち早く伝えたい!
ユキが側まで来るとアルスが強くユキを抱きしめた。
アルスの体が震えている。
泣いている事がユキにもわかった。
「アルス」
ユキもギュッとアルスを抱きしめた。
「……このまま父上が目覚めなかったら……」
「大丈夫だよ、アルス。きっと大丈夫。私も付いているから」
「ユキ……」
アルスは今にも不安に押しつぶされそうだ。
ユキは今自分が言おうと思った事を、口に出すことができない。
自分ではこれしか無いと思った。
きっと運命に違いないと思ったのだ。
――――最果ての町の医者を連れてくる。
それこそがきっと陛下を救う道なのだと。
でもこんなアルスを残して、ひと月以上もこの国を離れる事なんてできない。
その間に万が一の事が起これば?
アルスにとって一番辛い時に自分が側にいてあげられなくなるのだ。
私が最果ての町からお医者様を連れてくるから…………
ユキはのど元まで上がってきていたその言葉を、また自分の中に埋めた。




