4. 私はその時(4)
「ユキ!」
前方からアルスの声がしてユキの顔が明るくなる。
「どうしたの? 今日早いね。今から大宮殿に行こうと思ってたのよ」
アルスが側まで来ると、ユキの手を引いて自分の後ろにやった。
ユキにまとわりついていたレオを睨みつける。
「ユキに何の用だ?」
レオもアルスを睨みつける。
「別に、あんたにゃ関係ないだろ」
レオがユキの手を掴んでいるアルスの手元を見た。
「そんなにぎゅうぎゅうにすると、ユキが苦しくなるんじゃないの? 嫌われちゃうよ」
それを聞いたアルスの顔色が変わる。
「お前何話してるんだよ!?」
アルスがユキを振り返る。
「話すわけないでしょ! 聞かれてたのよ!」
アルスが眉間に皺を寄せてレオを見る。
「部屋に戻れよ。お前はあの少女の通訳だろ?」
「やーだね」
繋いだ手からもアルスの苛立ちがユキに伝わった。
「……モリ」アルスが横に控える従者に声を掛けた。
モリが頷くとレオに手を伸ばす。
寸前レオはモリの手をすり抜けた。
モリの眉がピクリと上がる。
「捕まるかよ! 俺はそんなのろまじゃないんでね」
レオが言った瞬間、モリの手に腕を取られ身動きができない様に抑え込まれた。
「いってー!」
モリはそのままレオを担ぎ上げると、翡翠宮の方へと歩き始めた。
「モリさん凄ーい!」
ユキが感嘆の声を上げペチペチと拍手を送る。
ヘレムもぽーっと見つめている。
「モリは格闘技のスペシャリストだからな。テムの事だって放りなげるぞ」
それを聞いて更に二人はうっとりとモリの後ろ姿を見送る。
「……あのな、ユキ。俺は剣では負けないんだからな」
「知ってる、知ってる」
上の空で答えたユキがまだモリを見つめているので、アルスがぐいと手を引っ張った。
◇ ◇ ◇ ◇
アルスのすぐ後に帰ってきたググンを捕まえると、ユキは書庫で〈最果ての町〉について尋ねていた。
「ええ、もちろん存じてはおります。古代文字の遺跡も聞いたことはありますけれど、誰にも解読できないとして有名ですね」
「それが女神と何か関係あるの?」
ユキの言葉にググンの細い目がカッと見開いた。
「女神に関係のある遺跡なのですか!? それは知りませんでした!」
ユキがマルタとキーラに聞いた『彷徨う者』と『女神』、そして古代文字の『月の子守歌』の話を説明する。
「……私にも初耳ですね。とても興味があります」
おもむろにググンが懐からメモ紙を取り出す。
「それでは、その詳しいお話を聞きに行って参ります! 書にまとめてみようと思いますので!」
言ってせかせか部屋を出て行こうとした。
ユキがそれを慌てて止める。
「時間が無いからそれは後にしてくれる?」
ググンが「やれやれ」と言った顔をして、仕方なくメモ紙を元の場所にしまった。
「ねえ……最果ての町まではどのくらいで行ける?」
ユキの言葉にアルスがぴくりと反応する。
ググンがアルスの顔を横目に見る。
「……そうですねぇ。ロベリアの港までは船で5日ほど、そこから馬で行くとしたら……20日ほどでしょうかね」
「20日!? ……結構かかるのね」
「ユキ……」
アルスが口を挟もうとするのを制してユキが続ける。
「あのさ、レハルドって海に突き出た半島なんでしょ? それならロベリアで船を下りずに、レハルドの港まで行けば早いんじゃないの?」
ググンが手に持っていた書物の地図のページを開いて見せた。
「……チェルキー半島がここですね。この一帯を最果ての町・レハルドと言います。小さな漁港もあるそうなので、そこまで船で行くことができれば、行程としては一週間ほどで行けるでしょうね」
ユキの表情が明るくなる。
「それなら船でいいじゃない」
ググンが指で額を掻いて、眉を寄せる。
「……チェルキー半島のこの辺りでしょうか」
ググンが地図のチェルキー半島の沖合を指さす。
「半島を囲んで常に天候は嵐の様そうなのです。高波が船を飲み込むと言われていて、レハルドに海から向かうのは不可能なのですよ」
ユキが驚く。
「そんな事ってあるの?」
「あるんですよ。不思議ですよね? レハルドでも近海での漁業はできるらしいですよ。
……ああ、そうそう、レハルドといえばあの冷たい海で獲れる大きな蟹が名産なんですよね。これが炭火で焼くと、たいそう美味しいらしいんですよ。世界三大美食と言われているんですよね。ユキ様ご存知でしたか? このサマルディアには瓶詰の物しか入って来ませんし……」
ググンの話が横にそれ始めた頃、アルスがまた口を開いた。
「ユキ。……行くつもりなのか?」
ググンがピタリと蟹の話を止めた。
ユキがアルスの顔を見る。
「私が行かなきゃいけないの。お医者様を助けられるのは、私だけなんだもの」
アルスが口を閉じる。
往復するだけで1か月以上かかる。
行程としては2か月くらいを見ていた方がいい。
喫緊の予定は無いけれど、自分がそんなにも国を離れる事が出来るだろうか?
「…………わかった」
「アルス……」
ユキが不安げにアルスを見つめる。
「もし俺が行けなくても……万全の態勢でユキを送り出すから、心配するな」
ユキがアルスに飛びついた。
「ありがとう! アルス」




