4. 私はその時(3)
部屋に入ったユキは、さっきレオに話していた自分の言葉を思い返していた。
(ここに残ったのはアルスといたいから――――)
確かにアルスには怒っている。
今だって思い返せばムカつく。
……それでもなんだか会いたくなった。
「ヘレム。あのさ、今から皇子の部屋に行って来るから」
「かしこまりました。……戻られなくていいですからね」
ヘレムがにっこりとユキに微笑みかける。
「そういう事言わないでよ!」
ユキは顔を赤くして部屋を出て行った。
アルスの部屋の扉をノックする。
中から声がして、ユキが部屋の扉を開けた。
「少しいい? 話があるの」
ユキが顔を覗かせると、ソファに座っていたアルスが急に書類を掴み、立ち上がると机に向かった。
「今は無理だ。立て込んでるから……」
ユキはジッとアルスを見る。
今までゆっくりソファに座っていたくせに。
「じゃあ終わるまで待ってるから」
「今日は無理だぞ。遅くまでかかるし……」
アルスがこっちを向かずにパラパラと書類を捲る。
「……何よ? 逆切れしてるの? せっかく仲直りしようと思って来たのに。……もういいよ」
ユキがドアを閉めようと引っ込むとアルスが慌ててユキを止めた。
「何だよ。それならそうと初めに言えよ。俺はてっきり…………」
アルスが口を閉じる。
「てっきり何よ? 文句言いに来たとでも思ったんでしょ?」
ユキが口をとがらせる。
それより悪いとアルスは思った。
『結婚できない……』
『ニホンへ帰る……』
ユキの口から出てくるのはこんな言葉で…………
アルスは、いよいよユキが別れ話でもしに来たのかと思ったのだ。
ユキを中に引き入れると扉を閉めた。戸に手を着いたまま額をユキの頭にくっつけた。
「どうしたの? 疲れてるの? ホントにそんなに大変ならやっぱりまた明日にするけど……?」
「あんなものはどうでもいいんだよ」
「……どうしたの?」
「……お前を側に置いておきたい。離したくないんだ。……でもそれだとユキは苦しくなるんだろ?」
ユキがアルスにしがみつく。
「側にいたいし、離しちゃだめ」
それを聞いたアルスがそっとユキの髪に口づけをする。
「でも、手紙は隠しちゃダメ。ずっと秘密にされて大切な事を知らないままでいるなんて嫌なの。それに……私がやりたい事があれば少しくらい自由にさせて欲しい。この宮殿は大好きよ。でも、ここに『閉じ込められてる』なんて思う生活はしたくないの」
ユキは感じていた事を全て言い切ると息を大きく吐いた。
アルスがそんなユキの髪から唇を離し、顔を覗きこんだ。
「やっぱり文句言いに来たんじゃないか」
ユキが笑った。
「そうだね」
アルスもフッと笑うと今度はユキの唇に口づけをした。
ユキは次の日、書庫でロベリア国と最果ての町・レハルドについて調べていた。
サマルディアについてはもちろんだが、南方の国々については、〈女神の書〉を作成するという接点があった為に、それなりに勉強していた。
でも北国については関わりがなかった為に、ユキは何も知らなかったのである。地理や歴史の本を手にとりつつ、頭の中にはもう一つの事も浮かんでいた。
レハルドの古代文字遺跡と女神についてだ。
ググンの集めた女神関連の書に、今までそれについての記述は見た事が無かった。
もちろん全てを読んできたわけじゃ無いのだが、『レハルド』の文字すら出てきたことは無いし、大国のロベリアについても女神関連の書ではあまりお目にかかることは無かったのだ。
ググンに聞いた方が早いのかもしれない。
ユキは本を閉じると、書庫を出た。
「ユーキ」
厩舎に向っていると、後ろからレオの声がした。
「どこ行くんだよ?」
「レオには関係ないでしょ」
ユキは振り返らずに、足を速めて言った。
「……何? 俺の事警戒してる?」
レオがにやつきながらユキの顔を覗きこんでくる。
ユキが立ち止まり振り返ろうとすると、ユキとレオの間にヘレムが割り込んできた。
「ちょっと、坊や。『ユキ』ではなくて『ユキ様』でしょう?」
ヘレムが冷たい目線をレオに送った。
「何だよ。おばさん。邪魔だからどけよ」
「お…おばさん?」
ヘレムの頭に血が昇る。
「俺14だぜ? おばさんいくつだよ?」
「どこがおばさんよ!? 失礼な奴ね! 言うなら綺麗なおねえ様でしょうが!」
苛立ったユキがヘレムの前に立った。
「それに足し算できないの? 昨日は15だと言ってたわよ?」
「……もうすぐ15なんだよ」
あきれた……中学生じゃない。
日本ならまだ義務教育の子どもに、本気で怒るのも何だか馬鹿らしくなった。
「行こう。ヘレム」




