3. もしも(4)
自室に戻ったアルスは昨日残してしまった書類を片付けていた。
書類に目を通し、ググンから説明されると、投げやりに著名する。
ため息が自然と漏れる。
「これで10回目ですね」
アルスがググンの顔を見る。
「ため息ですよ」
「お前は暇なのか? そんな物数えるなよ」
アルスがググンに八つ当たりする。
ググンはお構いなしに続けた。
「お手紙の事がバレたんでしょ? だから『いいのですか』と聞いたじゃないですか」
アルスはそれには答えない。
「ユキ様はこの世界を照らす光ですよ? それをサマルディアだけに止めようとするのが根本的に無理な話なのです。皇子が広げた包みの中に納まってくださるといいのでしょうけれど、それではユキ様が窮屈な思いをされるでしょうね」
ググンも力いっぱい「はあ」と息を吐く。
「お前は俺が一番嫌だと思う事を言う天才だな」
アルスが顔をしかめてググンを見やった。
「正直申し上げてもよろしいですか?」
「断る」
「そもそもですね……」
ググンは端からアルスの答えなど聞く気など無いようで、そのまま話を続ける。
「ユキ様はサマルディアの皇妃には向きません」
アルスがその言葉に目を剥いた。
「皇妃に求める条件は数あれど、その中でも外せない条件は『サマルディア皇国を第一に考える事』そして『皇帝陛下のお側に添い、支え続ける事』なのです。ですが『女神』という存在が一つの国だけを特別愛おしむ……なんてことをしないのですよ。『世界』という大きな物、世界中の民を愛するようにできているんです。だからサマルディアの損得なんて二の次でしか有りえないのです。
それに……皇子の事も最優先には考える事ができません。これに関しては敢えて私が説明する必要もないでしょう? 今までも……」
「もういい!!」
アルスが勢いよく椅子から立ち上がった。
「……つまりお前はユキを皇妃として受け入れる事が出来ないんだな?」
怒りで声が震える。
「皇子……私ほど女神に心酔する者は、サマルディアにはおりませんよ? ユキ様がこの世界にとどまられると決意なされたなら、こんなに素晴らしい方は二人といないと思っております。
それにこのググンは皇子の忠たる臣下の筆頭でもあります。皇子のお考えを誰よりも理解し実現すべく日々奮闘しております。この私がユキ様を受け入れない事などありましょうか? 諸手を挙げて大賛成ですよ」
「お前が今そう俺に向って演説したんだろ!?」
いけしゃあしゃあと矛盾した事を言うググンに、アルスは心底嫌気がさした。
「これは私の話では無いのですよ。皇子……いえ、アルス様が『女神』として存在している『ユキ様』を受け入れられるかどうかというお話です」
アルスが言葉を失う。
足の先から力が抜け、崩れるように椅子に腰を下ろした。
「少しご休憩されますか?」
アルスが机の上の書類を握りしめる。
「いいや…続ける」
「……それでは5枚目の次項目から……」
それまで何も議論していなかったように、また淡々とググンは書類の内容を話し始めた。
アルスはググンに言われて初めて気が付いた。
いや、今までは蓋をしてその思いには向き合わないようにしていたのだ。
どうしてユキが女神なのか…………
本当はずっと考えていた。
ユキが『女神』などという存在では無く、どうして普通の女として存在してくれなかったのだろう…………?
旅芸人でよかったのだ。
初めて出会ったあの荒野で見た時は、珍しい出で立ちをした踊り子か何かだろうと思った。
それに町の食堂の看板娘であってもよかった。
どんなに忙しくとも、いつだって何度だって足繁く通っただろう。
どこかの国の王女であってもよかった。
どんな条件を突きつけられようとも、必ず妃として迎えただろう。
この世界の人間でなくとも…………全くかまわなかったのだ。
――――『女神』でさえなければ――――
ずっとわかっていた。
自分こそが『女神』としてのユキを折に触れ否定し、直視できないでいた事を……。
惹かれたのは、ユキの自由さだった。
何にも縛られないその振る舞いは、身分など何も気にせず、ただ自分自身を見てくれた。
自分が「皇太子」であることは余程の大事がなければその立場を失う事は無い。しかしこの先何かが起きれば、その可能性は皆無ではないのだ。
だがユキが「女神」としての立場を失う事はこの世界にいる限り絶対に無い。
女神では無い「ユキ」が存在する可能性は皆無なのだ……。
アルスはそっと自分の掌を眺めた。
捕まえたと思っても滑るように自分の手の中から消えてしまう。
何度も……何度も……。
今まではなんとか自分の手の中に取り戻すことができた。
でもいつか……その幸運にも見放され失ってしまう。
それが酷く恐ろしい。
自分を臆病者へと変えてしまう。
逃がさない様に消えない様に張り巡らせ囲い込み、ユキをがんじがらめにして、……そうすれば自分だけは安心できた。
牧場で背を向けたユキの姿を思いだす。
(私を縛り付けるのは止めて。
アルスの側にいると息するのも苦しい時があるよ――――)
結局自分こそがユキを追い詰めている。
いつかユキが還らなくなるのは誰のせいでもなく……己の招いた結果だ。




