3. もしも(3)
ユキは急いで部屋に戻ったのだが、案の定侍女のヘレムの機嫌が悪い。
「昨日の三人に話を聞いていたんだもん」と言いながら、準備されていた朝食をかき込むと、ユキはヘレムの小言をこれ以上聞かない様に、急いで厩舎のスノウのお世話に向かった。
スノウに餌を与えながら、牧場の柵にもたれて古代文字の便箋を広げる。
「月の子守歌ねぇ……」
これがどうして〈彷徨う者〉を救えるのだろうか?
それに医者は本当に名刺の『遠藤泰昌』なのだろうか?
彼とコミュニケーションをとれない3人の話では、今ひとつ確証が得られない気がした。
ユキはため息をつく。
聞いてもわからない事だらけだ。
やっぱりその医者に直接会うしかないとユキは考えた。
最果ての町・レハルドか……
便箋を眺めるユキの手元に柵越しにスノウが鼻先を近づけた。
「どうしようかなあ? スノウ……」
ユキが話しかけると口をモゴモゴとしながら、息を吹きかけてくる。
便箋がスノウの鼻息でヒラリと舞い落ちる。
ユキが慌てて手を伸ばし受け止めた。
「ダメだったら、スノウ。これは大事なんだから」
笑って鼻先に顔を近づけると、スノウも「フルン」ともう一度息を吹いた。
「ユキ!」
その声に振り返るとアルスがこちらに向かって歩いて来る。
今までスノウと楽しげにしていた、ユキの表情が途端に曇る。
そして短く息を吐いた。
「朝から勝手にあの三人に会いに行ったんだろ? ひとこと言えよ。危ないだろ」
「トーガに付いて来てもらったから大丈夫。それに危ない事なんて何も無いから」
ユキはまだアルスに怒っていた。
手紙を隠していた事がどうしても許せなかったのだ。
手に持っていた便箋を畳んでポケットに入れると、アルスに背を向けてその場を離れようとした。
アルスがユキの肩を掴む。
「待てよ。……まだ手紙の事を怒ってるのか?」
ユキが振り返りアルスの顔を見る。
「怒ってるよ! どうしてそんな事するのよ? 理解できない」
アルスが声を荒げる。
「あんな手紙、見せる気になると思うか!? ロベリア語の手紙には助けて欲しいと書かれている。それに加えてどこの言葉ともわからない紙と、ユキの故郷の言葉が書かれた紙が入っているんだぞ?
こんな物を見ればお前がまたどこかへ行ってしまうと思ったんだよ! ……もうすぐ結婚するんだぞ!?」
ユキも負けずに大声を上げた。
「私を縛り付けるのは止めて! アルスの側にいると息するのも苦しい時があるよ……」
アルスがその場に凍りつく。肩を掴んでいた手がゆるむ。
ユキはその場にアルスを残し立ち去った。
下を向いたまま足に力を込めて歩く。
「そのまま歩いたらぶつかるぞ」
不意に声を掛けられユキが立ち止った。
顔を正面に向けると目の前に牧場の太い丸太門があった。
下ばかり見ていたので衝突寸前だったのだ。
声の主を見るとレオだった。小屋の近くに積み上げられたレンガの上に座っている。
「……ありがとう」
曇った顔のままユキはお礼を言い、また歩き出そうとする。
「あんたさ、本気であんなおっかないのと結婚すんの?」
突拍子も無い質問がレオから飛んできた。
「は!?」
ユキの声がうわずった。
「あいつがこの国の皇子なんだろ? 町の連中が皇子と女神の結婚をベラベラ話してんの聞いてたからさ」
「…………そう」
ユキは今アルスとケンカしていた手前何と答えていいのかわからない。
レオはぴょんとレンガの上から飛び下りると、軽い足取りでユキの目前に来た。
目線の高さはユキとさほど変わらないが、少し下からユキの顔を覗きこんできた。
「脅されて結婚するんなら、俺が連れ出してやろうか?」
ユキはレオの申し出に目を丸くした。そしてプッと吹き出した。
「そんなんじゃないから安心して」
「じゃあ何でそんな息苦しい奴と結婚すんの?」
ユキの顔が瞬時に赤くなった。
ここまで話が聞こえていたのだ。
「……大人にはいろいろあんのよ。子どもが口を挟まないで」
いたたまれずユキはその場を離れようとする。
すかさずレオがユキの手を掴んだ。
「子どもじゃねーし」
「子どもじゃないのよ」
ユキがレオの手を振りほどこうと力任せに上から振り下ろした。でもレオはユキの手をしっかり掴んだままビクリともしない。
「ほら。子どもの手なんだから簡単にふりほどけよ」
レオが目を細め、意地悪そうな顔で笑う。
ユキはそんなレオの顔を見て心の底から苛立った。
「痛っ!」
ユキが顔を歪めてその場にしゃがみ込む。それを見たレオが反射的にユキの手を離した。
ユキはすくっと立ち上がると、何事もなかったかのように歩き始めた。
「……んだよ!? 演技かよ!?」
レオが声を上げる。
ユキはレオを振り返りながら、「まだまだ修行が足りないね。少年!」と笑顔を浮かべてヒラヒラと手を振った。




