御令嬢は思い悩む
一体どうなっているんだろう。
私は授業を聞き流しながら顎をそっと指で撫でた。
正直1年次で習う程度のことは公爵家付きの教師から習っているから退屈でしょうがないのだ。
いや、それより何よりも気にかかる。
ゲームのシナリオ通りでない。
本来ならばあの昼食はアルデリオ殿下一人で来るはずだった。
なぜグリゴリオが一緒に来たのか分からない。
確かに彼は騎士団長の子息としてアルデリオ殿下について居なければならない。
義務ではないが、やはり立場上はそうならざるを得ない。
彼もまた、父親と同じく将来は騎士団に入り、何事も無ければ騎士団長の座に収まるだろうから。
だからおかしいことではないけれど、それでもゲームでは彼の存在は無かったはずだ。
やはり存在しない双子の弟同様に、ゲームとのズレが出ているのだろうか。
そう言えばグリゴリオもまた攻略キャラの一人で、恋愛ルートを攻略した時の記憶はある。
確か彼のルートに入ったら幼馴染でありライバルでもある、軍部の大将ゲッセンバルド・レオリオルドの娘が主人公のライバルとなる。
確か名前はクリスティーナで、学年は私たちと同じ1年生。
赤く長い髪をひっつめた才女で、父親から直々の訓練を受けている為に武人としても強かったはず。
趣味は休日に兄と屋敷の訓練場で打ち合うこと。
その赤髪からファンアートではよく炎と一緒に描かれることが多いキャラだ。
そう言えば最初グリゴリオはマリアーナに想いを寄せていて、けれど殿下の婚約者であることから諦めたんだっけ。
グリマリは人気のシナリオで、私もそれを実際に見たいが為に家庭用ゲーム機の方のソフトも買おうかと悩んだくらいで――
あれ。待てよ?
もしも……もしもその部分がゲーム通りならもしかしてもしかすると、私今グリゴリオの想い人……か?
う、うわあああ、なんだこの他人の日記を読んだかのような後ろめたい気持ちは……!
いや、待て、落ち着け。
例えもしそうだとしても殿下の婚約者だからグリゴリオもその内諦めるはず。
……あれ?
でも確かグリマリのシナリオって、アルデリオ殿下恋愛ルートの延長じゃなかったっけ……?
そうだ、確かグリゴリオとの友情ルートを選んでグリゴリオの恋を応援することになる。
で、主人公はメインキャラクターであるアルデリオとの恋愛ルートに強制的に入ることになるんだ。
そして追放されたマリアーナをグリゴリオは追って言うんだ。
『家も、名誉も、仕えるべき主人も、貴女をお守りできるなら俺はいらない……!
どうか、どうか俺を貴女だけの騎士にしてほしい!』
『……私には許されない罪と、秘密がございます。
どうぞ、貴方の幸せの為に貴方は生きてくださいませ、グリゴリオ様』
『関係ない!
例え貴女が敵国の人間であっても、例え貴女が私と同じ男であっても、例え貴女が俺を愛していなくても……それでも俺は、貴女だけの俺でいたい』
この会話の後、二人を乗せた馬車をバックにエンドロールだったはず。
……これは、もしかして、もしかするとまずくないだろうか?
もしも私が修正してラティナをアルデリオ殿下の恋愛ルートに入れた場合、グリゴリオの悲恋達成……?
え、いや、そっちの扉を開けるのは固くお断り致します。
と言うか待て、下手に動けばグリゴリオ以外とも恋愛フラグが立ちかねないってことか!?
うわっ、気付きたくなかったけど気付いてよかった!
けど困ったな。
私は気になったシナリオは動画やまとめで軽く見たけど、ソフトを買った時の楽しみにフラグの立て方まで見てなかったからなぁ。
とりあえず他の攻略キャラは、3年生のアズベリア教会教皇の子息、ハロルド・ラテリアル。
腰まで伸ばした銀色の髪と鋭利な蜂蜜色の瞳のキャラクターだ。
そう言えばこの世界の聖職者って髪を伸ばすのが信心の証らしい。
ちなみに彼のルートに入った場合、ライバルになるのは生徒会長を務めるミッドガル侯爵家令嬢、シンディー・ミッドガル。
彼女は敬虔なアズベリア信者で、確かその関係でハロルドと懇意にしていたはず。
あと忘れてはいけないクリスティーナの兄、2年生のラディス・レオリオルドだ。
クリスティーナ同様燃えるような赤い髪が印象的で、元気印って言葉がそのまま人間になったようなキャラクター。
正義感の強い熱血漢って感じで、グリゴリオが運動部の部長なら、ラディスは運動部のキャプテンのよう人だ。
所属が違うからこの例えはあまり正確ではないだろうけど。
確か彼の場合はクリスティーナの友人である、メルカナド侯爵令嬢のアナベルがライバルだ。
緑色のおさげがいかにも大人しそうな子で、いつも学院内の図書館に居るか、花壇に居るかのどちらかだったはず。
ちなみに前世の私の一押しキャラでした。
いつも大人しくて楚々としたアナベルがラディスへの気持ちに気付き、そして主人公に宣戦布告する時のセリフが大好きなのだ。
『メルカナド侯爵家の娘として、ラディス様の元に嫁ぐのは簡単でしょう。
ですが政略結婚なんて手に頼らなくても、私は必ずラディス様に振り向いてもらいます!
……ラティナさん、私、負けませんからね』
最後ににっこり微笑むところがまたアナベルらしいのだ。
確かライバルキャラの中では一番主人公に対して温和なキャラだったはず。
いや、私が一番苛烈な対応をしているだけなんだけど。
それも今思えば仕方ないのかもしれない。
何せこの中で唯一攻略キャラと婚約関係にあるのが私なのだから。
他のライバルキャラはあくまでも、主人公と同じく攻略キャラに恋慕を抱いているだけである。
と、そんなことをつらつらと考えていれば鐘が鳴る。
授業終了の合図に号令が飛び、そして私達は等しく先生にお辞儀した。
もちろんこの世界風の。
さて、次はダンスホールでダンスのレッスンだったか。
中世ヨーロッパ風なこの世界は例によって例に漏れずダンスが盛んだ。
前世で見た社交ダンスとそう変わらないと思うけど、前世では社交ダンスにお世話になったことなどないから細かいところは分からない。
教科書を片付けて立ち上がれば、ラティナと三人の少女がやってくる。
私と同じく公爵の爵位を持つハンナ・バーベラと、伯爵家ながらも旧家として確固たる地位を築くヨッテンワイド家のアリステラ、そして騎士団や軍部に所属する人間が多い辺境伯ワリオルド家のダリナ。
いずれも貴族社会に影響力のある旧家や名家出身の少女達だ。
取り巻きと言ってしまうと印象が悪いが、いくら学生とは言え私は公爵令嬢、それも王太子殿下の婚約者だ。
細々とした教師や学生とのやりとりを行なう人間を付けなければ体面的にちょっとまずい。
公爵令嬢って意外にフランク?とか思われたら最後、私を通じてアルデリオ殿下に近づこうとする人間が必ず出てくる。
そんな事態を防ぐためにも、周りを数人の子女で固めておかなければならないのだが、彼女たちにはラティナの教育も頼んでいる。
家でも家庭教師から所作や作法を習っているらしいが、やはり学院に通う以上中々そちらに時間が割けない。
それでも私の側に置くなら、最低限の所作と作法が身に付いていなければ、いくら私でも庇いきれない。
だいたい私の最終目標はラティナをアルデリオ殿下に嫁がせることだ。
今の彼女はどう考えても時期王妃としてはイマイチにもほどがある。
「次はダンスホールでのダンスのレッスンでございますわ、マリアーナ様」
ハンナが花のような微笑みを私に向けながら次の予定を告げた。
1クラスが10名ほどしか居ないから、隣のクラスとも合同になる。
となればアルデリオ殿下やクリスティーナとアナベルも共にレッスンを受けることになる。
ハンナと私が先頭に立ち、軽く会話を楽しみながら移動し、その後ろを付いてきながらアリステラとダリナがラティナに口頭で所作や作法の指導をする。
最近では見慣れた光景だった。
そしてつまらない光景でもある。
ラティナがアルデリオ殿下に相応しい令嬢となる度に、まるで型にはめられたような、面白みの欠けた存在になっていく気がする。
もしかしたら、ゲームの中のマリアーナがラティナを庇いつつも、所作や作法を積極的に教えなかったのは、私と同じだったからだろうか。
ラティナの無知ゆえのはちゃめちゃで、可愛らしい失態を実は楽しんでいたのだろうか。
「あっ!!」
ラティナが急に大きな声を出す。
思わず振り向くと、興奮した様子で目を輝かせていた。
きょとん、と思わずあまり褒められた顔ではない表情になってしまう。
それにも構わずラティナは嬉しそうに言葉を続けた。
「マリアーナ様、見てください!
マリアーナ様のような美しい小鳥がいます!」
子どものように無邪気に言われてそちらを見る。
確かに外に山吹色の可愛らしい小鳥がいた。
それにハンナはおっとりと笑いながら「あら、マリアーナ様の御髪のほうがもう少し輝いているわ」と言う。
ダリナも「瞳もマリアーナ様の方が美しく澄んでいらっしゃるし」と言い、アリステラは苦笑しながら「ラティナさん、もしかして私達のお話し、つまらなかったかしら?」とやんわり諌めた。
それに小さくなるラティナ。
思わずくすくすと笑いが溢れてしまった。
型にはめられたように、と思っていたのは私だけらしい。
「あんな可愛らしい小鳥に私を見出してくれるなんて、ふふ、ありがとうティティ。
でもそれは、私以外の方にはしないでちょうだいね、可愛いティティ」
言外に私にはしてくれて構わない、と言ったのを分かってくれただろうか。
優しく頰を撫でるとラティナはうっとりとした顔で返事をする。
そう言えば時々ラティナはこの顔をするけれど、一体どうしたんだろうか。
顔もほんのり赤いし、熱などでなければいいけれど。
よくよく見れば、他の三人も似たような顔になっている。
「さ、早くしないと遅れますわ」
大丈夫か声をかけようとしたところでハンナが言った。
時計塔を見れば確かにもうあまり時間がない。
急がなくては、と私達は口々に言いながら、それでもほんの少し歩を速めるだけの、優雅な足取りでダンスホールに向かった。