きみが最後の人だと思いたかった
うじうじした恋の話が読みたい方はどうぞ。一応ハッピーエンドです。(堂々のタイトル詐欺)
愛されてると思ってた。でも、実際には愛されてなんかなかったのかもしれない。
高校の同級生だった匠と付き合い始めて一年ちょっと。最近彼には私以外の恋人ができたようだ。
男性誌でモデルをしている彼は何度かそういうスクープを撮られたことがある。その相手はもちろん私ではなく売り出し中の女優や話題のアイドルだったり、なんらかの作為的なものも含まれたスクープだった。
私はそれらを『有名税だから』『ある意味これも仕事』と受け取って容認してきた。スクープされること自体、決して面白いものではなかったけど、私との関係は世間的に秘密なので不満を漏らしたりするわけにもいかなかった。
けれどこれまで我慢できたのは彼がこう公言していたからだ。
「僕には秘密の恋人がいます。僕はその人だけを愛しています」
芸能人にしてはありえない発言だ。これを彼が口にした時、テレビでは一気に話題になった。近頃ドラマにも出るようになった中性的な美貌のカリスマモデルが突然の熱愛宣言。しかも相手は不明で一切の情報がない謎の存在。話題にならないわけがない。マスコミもこぞって取材合戦をしていたが、結局全くわからないまま。ろくな新情報がないため一ヶ月もしないうちにその熱はさめていき、『モデルの匠には秘密の恋人がいる』というインパクトだけが残ることになった。
誰がその相手なのか、秘密当てゲームみたいなものも流行りはしたが、不思議に思えるほどバレずに終わった。名前が上がるのは美人モデルだったりかわいいタレントだったりと、そもそも相手が私のような一般人だとも思われていなかった。
それも仕方ないのかもしれない。母親がフランス人のハーフで自身はクォーターの彼は当然の如くイケメンで、そのうえ料理が得意で優しい。釣り合うのは、華やかで美しい女性だろうと思うのが当然で、私なんか平凡が服を着て歩いているものようななんだから例え私に辿り着いたとしても、そんな女を誰も恋人だと認めなかったのだろう。
馬鹿な私はバレないことが愛の証みたいでなんだか無性に嬉しく思っていた。それだけ大事にされているのだと。もしバレたりすれば、私は平穏無事な毎日とお別れしなければならなくなっていたかもしれないのだから。
……でも、それは愛の証明なんかではなかった。本命が別にいる男の都合のいい言い訳だったのだと、何故その可能性を一番に思いつかなかったのだろう。匠には私以外の女がいる。私は所詮キープというやつか。
お相手もわかっている。その人は女性誌でたまに見かけるある有名服飾ブランドの社長令嬢。可愛らしいお嬢様と、端麗な彼は良くお似合いだった。
変装した二人が仲良く腕を組みジュエリーショップに入るところを見た時は「また仕事のための宣伝デートかな」なんて思おうとした。前にもあったことだった。
それから一週間、週刊誌を何冊も買って、その情報が出るのを待った。滑稽に思えたけど、こういうときは彼がいの一番に教えてくれるはずなのにそれがないことも気づかないふりをして。あるはずのない希望に縋った。
だけど結局その写真が出ることも、カリスマモデル匠の恋人発覚!?という見出しが出ることもついぞなかった。きっとマスコミにも強い力を持ってる社長令嬢の父親あたりが封殺したのだ。きっと
気がつけば多忙な彼と、もう一ヶ月以上も会っていなかった。電話さえ三週間はしていない。アプリで送った「元気?」という短いメッセージは既読スルー。忙しいのは知ってる。既読スルーも初めてのことじゃない。でもタイミングが悪かった。
私はもう、自分から連絡を取る勇気がなくなってしまった。
知らないふりをしよう。
そう決めたのは一度スルーされたメッセージに「元気だよ」と返ってきたその日のこと。ちなみに送ってから一週間が過ぎていた。
恋人って一体なんなんだろう。
「ねえアリサ、どう思う?」
「お姉の恋話聞くはめになる妹の気持ちについては?」
相手が相手だけに相談できる人は限られている。妹はその中でもっとも身近な存在だ。言葉はなかなか辛辣だけど。
「私さ、そろそろ潮時なのかなって思うんだ」
「たく兄と?」
うろんげな目で見てくるアリサに私は苦笑いしか浮かばない。彼と私の家族はすでに対面を果たしていて、気の早い家族たちは事あるごとに彼も家族の一員として扱う。アリサの呼び方もその一つだ。
「で、口を開けばのろけばっかりのくせに自覚ないお姉の考える潮時って何」
「彼、他に彼女できたみたいなの」
「はあ〜? それはないでしょ」
「この間さ、見ちゃったんだよね。可愛い女の子とジュエリーショップはいるとこ。二人とも変装してたけど」
「ってことはまたあれじゃないの? プロモーション的な」
「んーん。アリサだって見てないでしょ。そういうニュース」
「……確かにSNSでもそういうのは見てない」
「連絡がこないのはいつものことだし、今、来年のドラマ撮ってて忙しいっていうのは聞いてるけどさ」
寂しいものは寂しい。好きだから不安になる。自分は彼にとって本当に必要な存在なのか知りたくなる。私にとって彼は必要だけど、今そばにいないでも生きていけているのは矛盾してはいないだろうか。いなくなっても変わらないのではないかという妙な不安さえ浮かんでくる。
「だから恋人ってなんなのかって?」
「……そう」
「そんなの私に聞かないで」
二人の問題でしょとアリサはにべもなく言った。
『明日、会えない?』という唐突なメッセージは私の胸をドクドクと鳴らした。嬉しさや喜びよりも、何が起こるかわらないドキドキの方が強い。
「久しぶり」
彼の部屋に訪れた私をふわりと笑って出迎えた彼は、前に会った時よりも少し痩せたようだ。それほど忙しいのだろう。そばにいられない私は遠くから心配することしかできない。
近況を知るには本人に聞くよりテレビを見た方が早いくらいだ。そういう距離に私たちはいる。
「相変わらず私より綺麗ね」
やつれたと言っても私よりも麗しい美貌は健在だ。思わず漏れた本音に少し悲しくなる。
「え? なに?」
キッチンでお茶の用意をしてくれている彼には幸いなことに虚しい独り言は聞こえていなかったようだ。
「はい、どうぞ」
ありがとうと言って湯気の立つカップを受け取る。甘い香りのするそれは私の好きなアップルティーだった。これは私がここを訪れるたび彼が出してくれるいつもの飲み物。
変わらない優しさが、何故か苦かった。
「……今日って、何か用があったの?」
急な呼び出しはそうあることじゃない。ただでさえ多忙なのに、会いたいからとそれだけで時間を作るほどの相手じゃない。と思って聞いたそれは正しかったようだ。
「あー、うん。ちょっと時間出来たのもあるんだけど、聞いておきたいこともあってさ」
「そうなんだ。実は私も会って話したいことあったんだ」
「そうなの? じゃあそっちから聞こうか?」
いつも優しい彼はいつでも私を優先してくれる。だから、私は逃げ道を作った。
「ううん。私は後でいいよ」
彼はちょっと首を傾げたが、ひとつ、瞬きすると真剣な顔をした。
「そう? なら、俺から話させてもらうんだけど……、あのさ。俺たちそろそろいいと思うんだよね」
……うん? なんのことだろう。
「それで、気が早いとは思ったんだけど、色々用意してて……だから、そっちもそのつもりでいてほしいんだ。
あ、急にこんなこと言っても心の準備があるよね。決心ができるまで俺、待ってるから」
どうしよう、なんの話か全然わからない。そろそろってなんだろう。そろそろ……別れよう? 色々用意してて、この関係を終わらせる時は一応慮って私に決めさせるってこと? なんて、タイミングのいいことか。──いや、悪いのかな? それならそれで。
「光里の話したいことは?」
なんで笑顔でそんなこと言うのだろう。ちょっと理不尽にも思う。二人の関係を終わらせるのは、そんなに清々するのか。
「……今日で、終わりにしよっか」
「…………え?」
「だって、私が決めていいんでしょ?」
「なに、を?」
「自分で言ってたじゃない。そろそろって」
「いや、それは、」
「だから、今日かなって。次いつ会えるかわかんないんだし」
「ちょっと待ってよ、どうしてそんなこというの」
そっちこそ、どうして意味がわからないみたいな顔してるの。あなたが望んでいたことでしょう。
これで最後だと思うと苦しくて、聞きたくないけど気になって仕方のないあの話が胸の上まで浮かんでくる。ああ、知りたくないよ。でも、
「……ほんとはさ、違うこと、聞こうと思ってたんだ」
「なに?」
「………1ヶ月くらい前かな。仕事帰りに駅まで歩いてたらさ。見かけたんだよね」
「見たってなにを」
「女の人と手を繋いで歩いてたでしょ? 変装しててもわかるよ、一応彼女だもん」
「1ヶ月前って……」
「二人で仲良くジュエリーショップ入っていったね。給料三ヶ月分じゃ到底買えなさそうな高級ジュエリーばっかり扱ってるとこ。最初はまたお仕事なのかなぁって思ったけど、なんにも連絡ないし、どこにも出てこなかったから、ああ、違うんだって」
「ねえ、それ、」
彼の言葉を聞きたくなくて覆うように早口で続ける。こんな自分、惨めでみっともないと感じていてもやめられなかった。
「それで気づいちゃった。私。もう住む世界が違うんだなって。もし仮にあそこの指輪を私がしてもとてもじゃないけど似合わない。あなたと一緒で。見ているだけなら綺麗だけど、傍にいることなんて出来ないんだって。好きなのに、届かないのって辛い。分かってたことなのにね。
……もう耐えられないや」
結局、彼は口をパクパクとさせて、何も言えないでいる。なんでそんなに驚いているのか不思議だった。
アップルティーはゆっくりと冷めていく。甘くて美味しいはずの琥珀色はゆらゆら揺れて、私たちの間の沈黙を飲み込んでくれればいいのにと思った。
「……それってさ、俺のせいってことだよね」
黙っていたままの彼が話し出す。
そんなことないよ、我慢できない私が悪いの。そう言おうとした声は出なかった。もうどう思われてもよかった。私たちにはどうしようもない壁がある。芸能人と一般人、住む世界が違いすぎたのだ。
「じゃあ仕事やめる」
「え?」
「君より大事なものなんてないから」
「なに、言ってるの。仕事好きなんでしょ?」
「好きだよ。でも君の方が好きだから。どっちかしか選べないなら君を選ぶ」
ああ、私は嫌な女だったらしい。こんなことを彼に言わせて、心の底から嬉しいって思ってる。彼がどれだけ今の仕事に真剣に立ち向かって努力していたか、知っているのに。寝る暇も削って、愚痴も疲れも見せないで、必死にやってきたって。誰より知ってるのに。
「……ごめん。それは私の好きな匠じゃない。一生懸命戦って頑張ってる姿が好きなの。私なんかのために辞めたりしないで」
「なんかじゃない。光里は俺の大事な人だよ。他のものなんて比べ物にならない」
「じゃああの人はなんなの!」
「あれはね、うん。正直に言うよ。」
私はごくりと唾を飲み込んだ。
「確かにはじめは彼女に誘われた。でも俺恋人いるって公言してるでしょ? だから無理、結婚も考えているから入り込む余地はないってちゃんと伝えたんだ。そしたら彼女は商魂たくましく『じゃあうちのジュエリーを買って。そしたら諦める』っていうから仕方なく買いに行ったんだよ」
彼は自分のカップを無意味になぞる。落ち着きなく動くその手が彼の動揺を如実に表していた。
「買ったはいいものの、その指輪で君にプロポーズ出来るわけもないから母に贈った」
「どうして」
「君は一緒に選びたくない? サプライズが良かった? だったらごめん。でもほかの人と選んだ指輪を君に贈りたくない。俺が君を想って君だけのために贈りたいから」
そんな。そんなこと。
「君にこんなこと知られたくなかったから全部隠したのに、それで君を不安にさせるなんて本末転倒だった。ほんとにごめん。でも俺、別れたくないよ。取捨選択するなら迷わず君を選ぶ。仕事に代わりはあっても、君の替えはどこにもいないから」
「……ごめんなさい」
「ダメってこと?」
傷ついた彼の声に私の心はグサリと痛む。なんだ、全部勘違いだったなんて。私は、なんて馬鹿なんだろう。
「ちがう、ちがうの。疑って不安になって、私なんてもう必要ないんだって思い込んでた……でも、私でいいの? こんな、私で」
「ありがちなセリフだけど、君が、いいんだ」
ありがちだってなんだっていい。あなたが心からそう言ってくれるなら。ほかの言葉はいらない。
「好きだよ」
「わたしも」
心からそう思ってる。
芸能人と一般人のよくある恋の話。
お読み下さりありがとうございました。