「君は昔飼っていた犬に似ている」
「釣り合わない? どうして?」
静華はきょとんとした顔をしたが、適度にミルクを入れたコーヒーを嗜みつつ、おとなしく透の次の言葉を待っている。
彼は一度ごくりとつばを飲み込み、深呼吸して気を落ち着けてから、続きを話し始めた。
「あの……俺、その、仕事もバリバリにできるって方じゃなかったですし、正直百鬼さんの期待してる家事スキルも、現時点ではゼロです」
「さっきも言ったけど、何事もマッチングの問題――ああ、そもそもマッチング自体に疑問を覚えてるってことか」
透が一度言葉を句切って次の文を組み立てていると、静華は彼の疑念を解消しようと試みた後、相手が何を気にしているのか理解したようだった。
「ええと……はい、たぶんそういうことです。俺は百鬼さんのことをかっこいいと思ってますし、一緒にいるのは楽しいです」
静華の微笑みに顔を赤くし、少々どもりつつではあるものの、透はもじもじ手を合わせながら言葉を探す。
「でも、百鬼さんがどうしてそんな、俺のことを気に入ってくれてるのか、わからないって言うか……」
「私が君に何を求めているのか、不安なんだね」
静華が優しく、確認のように言ったので、ぎこちなくうなずく。
彼女はしばしの間考え込むようにコーヒーに口をつけ、うーん、と声を上げた。
「と言ってもね……繰り返しになるけど、私もこういうことには疎い方で、うまく説明できていないのは、申し訳ないのだけど。そうだな、強いて言うなら、私は自分の勘は結構外れていない方だと思っているんだ。直感的に、いい人だな、合うな、って思ったら大体その後も長いつきあいになるし、何か違うな、って思ったら周りにお似合いだとか言われても結局長続きしないことが多い」
「俺は……合うと思ってくれたって、ことですか?」
「ふむ。言っても君、気を悪くしないかい?」
「ええと……お聞きしないと、わからないかもしれないです……?」
何を言われるのだろう、とどきどきしている透に、静華はコーヒーを置いてから真顔で言い放った。
「君はね、モカに似ているんだ」
「……モカ?」
「昔飼っていた犬。ゴールデンレトリーバーだった」
「いぬ……」
気は悪くしていないが、目を点にしている透に向かい、彼女はあくまで真面目な顔で言う。
「私の家、父親がいなくてね。母と二人暮らしだったのだけど、女二人だけだと保安上不安なこともあるだろう? だから、番犬として飼っていたんだ。君はモカに目が似てる」
「目が……」
「あと頭の感じも」
「アターマ……」
透の見た目は、頭髪の生まれつきの明るさを気にしなければ、アイドル並みとはいかずとも、一般人の中で十分見るに値する、つまりは中の上あたりである。適度に褒められた経験も、主に髪のことでチャラいとけなされた経験もある。
しかし、外見が大型犬に似ていると言われたのはこれが初めてだ。どんな顔をすればいいのかわからない、橋田透二十五歳である。
そしてこの静華の曇りなき目を見ている限り、めちゃくちゃ、それはもうほぼ最大限、好意的に言ってもらえているということは、わかるのだが。
「いぬ……」
「やっぱりこう言われるのは嫌だったかな?」
「えっ? いや、その、嫌ってほどではないですけど、ちょっと予想外だったな、というか……」
ははは、と慌てて笑みを作ると、静華は頬杖をついてやや上目遣いに透を見つめる。どきっとした彼の視線の先で、鮮やかな口紅に彩られた唇が動いた。
「透君。君は――まあ、君だけじゃなくて大抵の人は、私のことをかっこいいって言うけどね。もちろん、それが虚構だなんて言わないよ。私だって私をこう演出しているのは、ある程度狙ってやっていることだもの。でも、私はけしてそれだけの人間じゃない。……言ってることがわかるかな?」
わかったようなわからないような。いや、やっぱりいまいちわからん。
なんとなくニュアンスの方向性の端ぐらいは伝わっているのだと思うけど、静華が選びながら話しているように、透もまたぱりっと彼女の言わんとしていることを完結にまとめるセンテンスが浮かばない。文が浮かばなければ、感覚的にしっくり当てはまった感じもしない。
素直で嘘のつけない男、透が引きつり気味の笑みを貼り付けたままわずかに首をかしげると、彼女は何故かふっと口元をほころばせた。
「透君。今日、これから時間ある?」
「え? あ、えっと、晩ご飯に間に合うぐらいまでは……」
師匠、もとい翠様がこの場にいたら「そこは、もちろんです、晩ご飯もご一緒できますか、だ!」と背中を蹴っ飛ばしていたかもしれない。やはり愚直な男は、嘘もつけなければ、咄嗟に取り繕うのもへたくそだった。
実家暮らしを続けてきた彼にとって、家族と一緒に過ごすことは当たり前のことであり、何の悪気もなく優先する。
近しい人への感謝と優しさを忘れないという点は、人として大いなる美徳であるが、恋愛という観点にのみ絞って話をするなら、時に悪徳になり得る項目だろう。
女はたとえ建前であっても、自分の事を一番大切にしてくれる人に惹かれるもの。一般に、デート中に家族のことを優先されたら、事故や災害、病気など有事でもない限り、なんとなく面白くないのが彼女という生き物の心境だろう。
透は他人のことをけして邪険にはしないが、家族第一という前提は動かない。
ゆえに、彼のそれなりによろしい見た目に寄ってくるような少女達とは相性が悪く、中学生、高校生、大学生と、声はかけてもらえるもののほぼ最初のデートでフラれるという歴史を積み重ねてきた。
師匠翠氏がせめて服ぐらいコストをと頑張っていたのは、不肖の従兄にとって初デートがどれだけ鬼門であるか重々承知していたからとも言える。
――が、しかし。
幸かな不幸かな、橋田透をレトリーバーに似ていると言い放った百鬼静華は、この程度で引くような器の小さい女ではなかった。
むしろがっついてこない透に面白そうに目を細め、軽く身支度を整えてから席を立つ。
「そっか。実はね、私の家、ここからあまり離れていないんだ。今から行ってみないかい?」
ちょっとその辺に散歩しに行かないか、と同じ程度のノリだったので、透はついうっかり頷いた。
――うんと首を縦に振り、会計を(静華が)済ませたところで、「あれ、自分今とんでもないことを了承したんじゃないか?」と青ざめたが、既に後の祭りなのであった。