お食事しながら早速打ち合わせ開始です
静華の選んだレストランは、いかにも東京の暇と金をもてあました上品なマダム達がキャッキャして女子会に選びそうな所だった。ある意味身も蓋もないが、透が率直に感じた印象はそれである。
というか実際、案内の途中でちらりと見えた店内の客層も、ビジネスマンは見られず、フレンチを肴に上品にかしましくご歓談なさっている、なんかこうキラキラした――ぎらぎらではないと思いたい――おばさまやお姉様方が散見され、透のような男の姿は他にない。
まあ、あったらあったでちょっと悪目立ちしそうである。そういう店の雰囲気だ。
席は一つ一つが大分離れていて、座席もゆったりしており、落ち着いた場所を演出するためだろうか、照明はやや暗めだった。落ち着いたクラシック音楽がBGMに流れ、人々は場を壊さないためか、どこか囁くように会話する。
別世界だ。異空間だ。神隠しにでもあったのかな?
見た目からしてパない空間の威圧感にびびりつつ、メニューをちらっとのぞき込んで自分の日頃のランチの数倍するお値段に白目を剥きつつ、ファストフード点のおざなりなバイトなどとはまるで違う洗練された店員の接客態度にびびりつつ。
透はすっかり、広いところに解き放たれた鼠のよう、震えて食べられるのを待つばかりである。自分が食べに来たはずなのに。
一方、こういった空間になれているらしい静華は、洗練された雰囲気の店員にもそつなく注文をこなし、手早くナプキンを広げると、お冷やを口に含んでふうと一息つく。
「久しぶりだなー。こういうところは好きなんだけど、やっぱり一人じゃ微妙というか、誰かと一緒じゃないといまいち気勢が上がらなくて。でも、気軽に来てくれるような子達は、なかなか都合をつけるのが難しくてね」
はい、はいと出来の悪いリピートをかけられたレコーダーのように相づちを打っている透に向かって、静華はふっと口元をほころばせると両手で頬杖を突いた。
「そういえば、お店。今回は勝手に選んじゃって悪かったかな」
「い、いいえ! 全然、そんなことは! 全然、来たことない所ですけど、その。楽しいです、こういうのも」
ただはいはい言っていればいいだけの質問からちょっと種類が変わると、透のかちこちも多少は解除された。彼は基本的に嘘のつけない男だが、緊張しているせいでさらにその傾向が顕著になっている。
最初の前菜が運ばれてきた。まるでパレットのような形の皿と、絵の具のようにカラフルな食材達の彩りに透が目を丸くすると、静華は笑みを深めた。
「可愛くて綺麗でしょ? 他のお客さんに迷惑かけなければ、店内とか料理とか、写真撮っていいらしいから、どう?」
事前にドレスコードありとか聞いてたし、静華が選ぶようなところだし、お値段も(透の普段のランチ基準からすると)あれなので、てっきり「テーブルマナー厳守! マナー違反はつまみ出せ!」みたいなお店かと思ったら、ラフすぎるのはイメージに合わないからちょっと、と言うだけで、それなりに融通は利くようだった。
すっと寄ってきた店員が、よろしければ撮影を承りましょうか、と提案してくるぐらいである。
透は最初こそ恐縮したが、何度か優しく促されると、せっかくなので、とスマートフォンを取り出し、本日の記念にパシャッとやってしまうことにする。
ミーハーに女子高生っぽく、リアルなあたしの充実した生活をSNSにアップ! たーのしー! というテンションよりかは、どちらかというと業務報告のための資料集めの一環という心境に近い。
何せ派遣社員透は、後で上司の翠氏に本日のランチデートの成果報告をしなければいけない。現場がどういう状況であったのか、客観的な絵を残すことは大事だろう。
そんな彼をほほえましく見守っていた静華がふと、カラフルな前菜を巧みにフォーク一つでつつきつつ、ふと口を開く。
「透君はさ。自分で決めるより、誰かに決めてもらいたい方?」
「えっ?」
「コーディネートの事とかも結構聞いてきてたし、従妹ちゃんに選んでもらったんだもんね」
「ええと、あの……」
透は回答に迷った。ここで誰かに決めてもらった方が楽だと素直に言ってしまったら、優柔不断だと見下げられないかと心配したからである。
――お兄ちゃんなんだからしっかりしなさい。
――橋田君はどんくさいなあ。
――センスがないよ、君。
――ほら、やってあげるから、もういいから。
一瞬の間、頭の中を記憶が次々と浮かんでは消えていく。
呆然とし、食事の手も止めてしまった透の前で、早くも前菜を終わらせた静華が(透が慣れない料理に苦戦したり途中で停止して遅いだけで、彼女が特別食べるのが速いと言うわけではないのだが)フォークを置いた。
あの強い視線が飛んできて、透はさらに背筋を伸ばす。それに気がつくと、雰囲気を和らげるためにだろうか、彼女はまた口元をゆるめた。
「自分だと、あまり見る目がない事が多いから、しっかりした誰かに任せてた方が、安心だ――だっけ?」
「……え? えっ!? あれっ、もしかして自分が、そんなこと言いました!? いつですか!?」
「この前飲んだとき。あっはっは、やっぱり君、大分記憶飛んでたんだねえ。べろんべろんでかちんこちんだったもんねえ」
恥じ入って真っ赤になる透に、静華は全く気にしていないらしく、ひらひら手を振った。
「別に無理してさ、かっこいい、いい子に――いい男になんか、なろうとしなくていいよ。私は自然体の君が好きになって、声をかけたわけだから。ほら、リラックス、リラックス」
「は、はあ……」
気の抜けた返事をしてから、静華を待たせていると感じ、慌てて残りに取りかかる。
カラフルで上品な前菜のパレットは、一つ一つの山が小ぶりなので、その気になったら一口ずつで攻略することが可能だった。皿の上をおおむね白くしてから、透はん? と首をかしげ、固まる。
その後、口元を押さえて吹き出した。これが咀嚼中じゃなくてよかった。食べている最中や飲んでいる最中なら軽く大惨事だ。
「すっ、好き――!?」
「あっはっは」
静華は何気なく言ってのけ、透が気がついて慌ててからもからりと笑う。
(俺、ひょっとして、からかわれているのかなあ……?)
終始相手の掌の上にいるような感じに、なんだか情けなくなってくる透だが、しゅんとしてた気分も直にどこかに行ってしまった。
「そんなことより、まずは食べよう、ほら!」
と言われ、素直に従った結果である。
次から次へと運ばれてくるフレンチ料理は、見た目も豪華だったし、何よりこう、やっぱり素材から普段食べているものと違う気がする。
翠や母が作ってくれる料理がけしてまずいとは言わない、むしろ美味しいと思うが、彼らは庶民の主婦ガチ勢、どちらかというといかに安く大勢の腹を膨らませるかと言う方面に強いのだ。
だからこういう、一つ一つの量は控えめだけど、どれも舌の上でとろけるようで、口に入れた瞬間身体が喜び出すという感覚は、ほとんど味わったことがないというか、きっと初めての事だった。
毎日このラグジュアリー空間に浸るのはちょっと違うような気もするけれど、たまの気分転換には最適と言えよう。
「美味しい?」
「はいっ! 本当に!」
メインの一品――静華は魚料理を、透は肉料理を選んだ――を、複数添えられている別々の味付けで楽しんでいる透は、最初の緊張や萎縮もどこへやら、すっかり夢中になって目の前のポークを切り分け、つつくことに専念している。
そんな彼の様子を、静華はうんうんとうなずきながら、人差し指と親指を立てて四角形の指のフレームを作り、その中に収めて目を細めている。が、初めてのタイプの肉料理に忙しい透には、彼女の満足そうな様子は見えていなかったのだった。
メイン料理が終わると、なんとデザートを山のように積んだワゴンがやってきた。
なんと言っただろう、イギリスのアフタヌーンティーで出てくるトレーみたいな奴というか、お皿が三段ぐらいになっている塔というか、それが三つぐらいワゴンの上に乱立していて、そこにまた何種類もの小さなケーキやフルーツ等が載せられているのだから――壮観だ。
二人でどれにしようか悩みながらも、静華はアイスを、透はケーキを選んだ。食後のデザートとティータイムを開始したところで、また彼女の方が口を開けて話題を切り出す。
「それでさ、透君。君を花嫁に迎えたいって言ったことなんだけど――あ、ごめん。進めて大丈夫?」
静華が謝ったのは、ぶっ、とまた透が吹き出したせいだ。今度は紅茶を口に含む一歩前だったのでちょっと危なかった。
「い、いえ、なんでもないであります! 万事、大丈夫です!」
がちゃんとお行儀悪く音を立ててカップを置いてから透が勢いよく言うと、年上の女性はふふっと笑い、アイスにスプーンを差し込みながら続けた。
「君とお付き合いをしてみたいってことなんだけど。改めて、打ち合わせしてみようか」