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従妹は可愛いですが、どこまで本気かわかりません

「お帰り、透お兄ちゃん」

「あれっ、あっちゃん?」


 橋田透が衝撃的な交際を申し込まれ、一部始終を母に明かして眠りについた翌日。


 心安らぐ退社の日を夢見ながらキリキリ痛む胃を押さえ、無難に出社してそそくさ帰宅した彼を玄関で迎えたのは、パック済のアラフィフ様ではなく、化粧っ気のない女子高生様だった。


 顎の辺りでそろえたショートカットは、染めてもいないのにやけに明るい頭髪が特徴の橋田家にはない色合い、つややかな黒色である。


「どうしたの?」

「今日、私の当番の日。伯母さんはほら、フィットネスクラブ」

「あ、そっか木曜日か……ごめん、なんかぼーっとしてた」

「別に」


 ジト目に真顔、素っ気ない物言いだが、これが彼女のキャラなので透も全く傷つかない。


 私服に着替え、寿子トシコ夫人の趣味であるふりふりのエプロンを身につけたる小さなクールビューティーの名前は、広瀬ヒロセアキラ。彼女の母親は透の母親の妹であり、つまりは透にとって従妹にあたる。


 つい先日中学校を卒業したばかり、危なげなく第一志望の公立高校にも受かり、春からはぴかぴかの一年生だ。


 翠の家庭環境は少々込み入っている。幼い頃に両親が離婚し、今は母親と二人暮らしをしているが、その母親も外をうろついて滅多に家に帰ってこず――大抵、娘を放って新しい彼氏の家に上がり込んでいる始末なのだ。


 小学校の頃から既に一人暮らし同然だった姪を大層心配した伯母、つまりは透の母は、昔から橋田家の末娘同然に彼女のことを気にかけ、かわいがっていた。


 その甲斐あってか、広瀬翠はどこぞの充のようにグレることもなくすくすく育ち、自宅のアパートと橋田家を行ったり来たりする生活を送っている。防犯のため、透や充が彼女の家に泊まりに行くこともあった。もはやパンツを洗ってもらうことにも慣れた仲である。


 誤解なきよう注釈をつけておくと、男物のパンツをベランダに干しておくのはれっきとした防犯対策である。発案者は翠だ。だから透にやましいところはない……はずだ。どちらかというと、透や充のパンツを洗うことに一切躊躇しなかった翠の羞恥心の方が心配である。


 ともあれ、そんな少々過酷な生育歴が功を奏したか、翠は今ではたまに冒険を求めてポイズンクッキングを起こす寿子夫人よりも、よほど優秀なシェフに育っていた。橋田家に泊まりに来る時は自然と晩ご飯を任されているほどだ。



「わあ、コロッケ!?」

「暇だったから」


 二階で着替えを済ませ、降りてきてキッチンを軽くのぞいた透は歓声を上げる。返ってくる返事は相変わらず淡々としたものだ。


「あっちゃん、いつもありがとう。でも、せっかくの長期休みだし、遊びに行ったりしていいんだよ?」

「昼間行ってるから大丈夫」

「そうなの?」


 じゃがいもを崩して加熱済の挽肉やタマネギと混ぜ合わせた翠は、手早く衣も作りながら、顔を上げずに言ってくる。


「そんなことより、透お兄ちゃん、今度仕事辞めて結婚するんだって?」

「ぶっ」

「寿退社じゃんね」

「ちょっと違うと思うな!?」

「だってお嫁さんになるんでしょ? なんだっけ、その、仕事できて金持ちそうな女の人に玉の輿」

「……さては母さんが情報源だな!」

「うん」


 昨日、透の話を真顔で聞きながらスマホのフリックを止めなかった寿子夫人を思い出す。別に話されて困るような内容ではないが、寿子夫人は少々愉快犯の気質があるので何を吹き込まれたのやら気が気ではない。


 思わぬ所から不意打ちされて一瞬気が遠くなった透だったが、タネがわかってしまえば多少落ち着いた。


 翠は賢い。橋田家の兄弟なんかよりよっぽど将来有望だ。寿子夫人のあることないこと言った中から、的確にあることだけを信じてくれていると……思いたい。そうであってほしい。


「ていうかあっちゃん、どこからそう言う言葉覚えてきたの」

「ネットとテレビと本と友人」

「おのれ情報社会。……いやね。その、確かにね。お知り合いになった人と、ちょっとお試しでおつきあいしてみましょうか、って話にね。なってないわけじゃ、ないけどね……」

「ああ。つまり愛人契約だったんだね」

「あっちゃんやめて、マジでそういうこと言うのやめて、絶対母さんの入れ知恵でしょ? 昼ドラの見過ぎだからね!?」

「じゃあ援助交際?」

「あっちゃん、君はちゃんと意味がわかって言ってるのかな!?」

「冗談だよ、透お兄ちゃん」

「本当に!?」

「うん」


 翠は表情やしゃべり方の抑揚があまり動かない少女だ。どこまで本気で言っているのかわからない辺りが、余計にこう、透の動揺を誘うのである。


 じゅー、と揚げ物特有のいい音を響かせながら、従兄と対照的に眉一つ動かしていない従妹は話を進める。


「とりあえずSNS交換はしたんでしょ?」

「うん、そうだけど」

「兄ちゃんべろべろだしまた素面の時に改めてお話ししましょうってなったんだよね?」

「うん」

「来週ランチ行くの?」

「う、うん」

「高級レストラン?」

「……うん」

「向こうのおごり?」

「あっちゃん。なんで俺が喋る前から正確に状況全部把握してるの? エスパー?」

「透お兄ちゃんがわかりやすい人間なだけだよ」


 アドレスを交換し、来週もう一度会う約束をしたことぐらいまでは、確かに昨日透自身が話した記憶があるが、ランチについては黙秘情報のはずだった。だって今日の昼のメッセージで来たのだもの。


 もしかしたらあの夜酔っ払った透と静華のやりとりで既に話題に出ていたのかもしれないが、悲しいかなヘタレ社会人、ひたすら自分がかちんこちんになって必死に応答していたところしか記憶がなく、肝心の会話の中身についてほとんど覚えていない。冷や汗だらだらである。


 別れたときの彼女はとても機嫌良さそうだったし、その後も向こうから連絡を積極的に取ってきてくれているのだから変なことは言っていないはずだ……と思いたい。そうでなければならない。迫真。



 何にせよ、うちの従妹ってすごい、と驚きつつも素直に感心している透に、コロッケを揚げ終えて火を止めた翠がようやく顔を向けてくる。


「そういえば透お兄ちゃんさ。高級レストランに着ていくような洒落た服って持ってんの?」

「……えっ?」

「まさかとは思うけど、いつものスーツで行こうと考えていたわけではないよね?」

「だ、だめ……かな……?」


 てれっと愛想笑いを浮かべた透は、すぐに真面目な顔になって姿勢を正した。


 菜箸を持ったまま腕を組んだ翠の黒い瞳が、冷たく透を貫いていたので。

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