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洗濯あれこれ 干す編

「それじゃあ、干していくわよー、おー!」

「……おー?」


 できあがった洗濯物の山(第一陣)を前に橋田家の母が気合いを入れているので、長男もなんとなく乗って、一緒に拳を突き出してみる。


 とりあえず大人しく寿子としこ夫人の後を(当然のように籠を持たされたまま)ついていき、二階のベランダの物干し竿にハンガーを吊して作業が始まる。


「ああんトオル。それだけじゃ駄目よう」

「え?」

「服のしわを取らないと」


 下ろした洗濯籠から寿子夫人の広げた物干しハンガーに吊して行こうとすると、早速ストップがかかった。透が何気なくそのまま洗濯ばさみにつけようとしたのを、寿子夫人は制する。


 彼女は透の干そうとしたシャツを取ると、肩の部分を両手で掴んでまずはピンと左右に引っ張る。


「こーやって」


 その次に、ピンと張ったシャツをバサバサ振った。


「こうよ!」


 すると確かに、トオルがそのまま干そうとしていた時よりシャツは綺麗な形になる。


「しわができてるとね、そこに水分が溜まってなかなか乾かないの。あと乾いた後に形が汚くなるわ。だから絶対に、しわをとる作業は干す前にしてねん」

「へー」

「それからねえ。あんたたち、いちいち脱いだまま裏返しで出すの、ちょっとはやめなさいよねえ。

 お母さん、畳むときに毎回ひっくり返さないといけないんだから」

「う、うん」

「特にパンツを裏返しにして脱衣所に放つのはやめなさいね。あれじゃ彼女にフられるわよ」

「わかったよ!」


 若干怒りを込めて透が手に取った洗濯物をバサバサやると、またも寿子夫人に声をかけられる。


「あ、透、それも持ってきてくれちゃったの?」

「へ?」

「悪いんだけどね。それね、外干し用と内干し用に分けてあったの。

 ベランダに干せるところには限りがあるからねえ」

「えーと」

「下着とか、陰干しの方がいいなって衣類は、お風呂場で干すのよ。今日はお布団も出したいしシーツも洗うから、全部は外に出せないわ。

 あんたも室内干しはあそこだってほら、見たことあるでしょう? 洗濯機や乾燥機からすぐの場所だし、そういう意味でも楽だから。

 便利よね、浴室乾燥機って。家電に強くてミーハーなお父さんと結婚して、こういうところは本当によかったと思っているわ。

 お母さんが子どもの頃は、天気が悪かったらあとは乾燥機に任せるしかなかったんだから」


 言われてみれば、確かに浴室に吊る下がっている洗濯物の光景と、換気扇だけでなく仕事をする浴室乾燥機の存在は、透も見慣れていた。


 晴れている日なんだから全部外に出すのかと思えば、そういうわけでもないらしい。


 透が一階と二階を往復して帰ってくると、寿子は鼻歌を歌いながら物干しハンガーの洗濯ばさみに次々と衣類を干していく。


「外に干すときはね、風通しがよくなるように干すのよう。だからあんまりギチギチやっちゃだめ」

「乾燥機があるときは、乾燥の風が一番当たりやすいように配置するの」

「あっダメダメ、お父さんとお母さんのパンツを一緒にしないでくれる?

 え、なんでって?

 ……世の中には口に出さない方がいいこともいっぱいあるのよ、わかるわね?

 透のパンツとお父さんのパンツは別にくっつけても全く構わないから。

 なんならあたし、二人の見分けられてないから」


 寿子夫人のよく動く口から出てくる情報にはきりがない。


 透はことあるごとにノートを開いては一生懸命つづろうとしたが、とてもすべて追いつけるものではない。


 ぜーはー言っている彼は、言われるまま布団を運び、設置しているところでまた声をかけられる。


「そうだ透。洗濯で心がけなきゃいけない一番の注意事項ってなーんだ」

「……干すときしわを取ること?」

「まあ、それも大事なのだけど」


 そっちじゃないのよう、と言う寿子夫人は、今回は珍しく透が布団ばさみまで作業を終えてノートを出すまで待っていた。


 それだけ大事なことが今から伝授されるのだろう、と透は気を引き締める。


「それはね。洗濯機が止まったら、すぐに干す事よ。

 少なくとも、絶対に洗濯槽から半日置かずに引き上げて籠に出しておくこと。

 なんでかわかる?」

「……臭うから?」


 寿子夫人が風邪で倒れたときに慶福よしとみ氏が家事代行をしていた時の出来事をなんとなく頭に浮かべつつ、透は言う。


 橋田家の母が倒れると、主に息子達に戦慄の時が訪れるのだ。


 慶福氏は万事適当な男である。

 それはもう、期待通り――たとえば洗濯物をぐちゃぐちゃのまま、特に種類別に振り分けることもなく、配置を気にすることもなく干す男だった。


 橋田家の父は、食の事以外は文句を言わない。主婦が倒れれば特に恩着せがましい風もなく普通に家事をする。

 だが、仕上がりのクオリティの差は誰の目にも明らかだった。そして父本人は周りがなんと言おうと、全くその辺を気にしなかった。

 母の不調時、透とミツルが口々にしわしわで生乾きの服に文句を言っても、全く相手にされたなかった小学校のほろ苦い思い出が蘇る。


 寿子夫人がピンピンしている間、一手に家事を担っているのは、たぶん父に一瞬でも主導権を渡すのが我慢できないからだろう――なぜなら慶福氏は、他人にも自分にも全く配慮のない男なので――と言うのが、ちょっとばかし母の作業を手伝っただけの長男にもなんとなく把握できる。


「そうよう。じゃ、洗濯物を失敗しちゃったときにつきもののあの臭い、なんで発生するかわかる?」


 寿子夫人は布団を叩く棒を上機嫌そうにぶんぶん振り回しながら(危ないので透は逃げた)、さらに言葉を続ける。


 透が首をかしげていると、彼女は得意げに鼻を鳴らした。


「洗濯物の嫌な臭いの元は、雑菌よ。

 基本的には、落とし切れていない汚れのせいでああいう酷い臭いが出ちゃうわけ。

 だから臭いを発生させないコツはおおまかに二つ。

 洗う段階で洗浄力の強い洗剤、漂白剤で落としてしまうか、臭いがついたり出たりする前にきっちり乾燥させてしまうか。

 あたしがちゃんとしわを伸ばして干してね、って言うのは、そういう意味もあるのよ。

 しわの部分から臭うこともあるから」


 ひーひー言いながら必死にメモを取る透は、今はわからないことだらけで、いちいち寿子夫人に直されては違いがさほどわからずに動くのみだ。


 だが寿子夫人はそこで終わらず、なぜこういう作業をしなければいけないのか、という解説を挟んでくれる。


「いちいちやるのはめんどくさいけど、いちいちやらないと後がもっとめんどくさくなるの。

 それが家事ってものだから」

「そっか……それにしても母さん、教え上手だね」

「ふふん、そうだろう、母を敬いたまえ。

 ……って言うのは簡単だけど。

 あっちゃんが、透お兄ちゃんが困ってる顔してたら、どうして今この作業をしなければいけないのか、どうしてこのめんどくさい一手がわざわざ必要なのか説明してあげてってね、言ってたから。

 あたしはそれに従ってるだけよう」

「あっちゃん……!」


 母すごし、と思ったが、どうやらいつもすごい上司はさらにすごかったらしい。


 はらはら感動を涙を流している透の背中を、寿子夫人がバシンと叩いた。


「ほーらボケッと突っ立ってないで、次は家の掃除よう!」

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