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洗濯あれこれ、洗剤編

「ただいまー」

「おかえりなさーい」

「ゴミ出してきてー。玄関に置いてあるからー」

「えええ!?」


 車での送迎が終わって帰宅したトオルは、落ち着く間もなくまた外に派遣された。


 ゴミ出し自体は、橋田家の男達はよく任されて慣れているのでさほど問題はない。


 分別や種類別の収集日という、一番面倒な部分は母が把握しているからだ。


 持っていくだけだから楽な身分と言えばそうだが、送迎の時に言ってくれれば二人と車に向かう途中で出したのに、とちょっとだけ透は嘆息する。


 しかし、そこは母に従順な橋田家長男。驚きの声を上げても、文句は口に出さない。


 再び玄関を出て、さっさと収集所にゴミ袋を収めてこようとすると、犬の散歩がてらやっぱりゴミを出しに来た近所のご婦人とすれ違うことになった。


 朗らかに挨拶すると、チワワをリードにつないだ老婦人は微笑む。


「橋田さん家の息子さんは偉いわねえ」

「えっ?」

「挨拶はしっかりするし、いつもお母さんを手伝ってらっしゃるでしょう」

「いやあ、その……」

「彼女はいるの?」

「はい!?」

「将来きっといい旦那さんになるわよう」

「えええええええ、あ、ありがとうございます……?」


 急に話題をふられてまごつく透だったが、老婦人は朝の忙しい時間帯をそれ以上邪魔するつもりはないのか、言いたいことを言い終えるとそのままチワワに先導されて去って行った。



 何だったんだ今の、と若干呆然としつつも、透は無事に家に帰ってくる。



 観察記録ノートを持ち出して寿子としこ夫人の姿を探すと、意外にも彼女は洗い場、つまりは洗濯機の前に陣取っていた。


「あれ、母さん。さっきも洗濯してた気がするけど? ひょっとして、一度じゃ終わらないぐらい量が多いの?」


 はて、先ほど朝ご飯を作っている合間にもこっちに顔を出していた気がするのに、と透は首をかしげる。


 現に、洗濯籠の中にはちょうど脱水まで終わったところらしい、真白い衣類の群れが詰め込まれていた。


 橋田家の母は、長男の疑問の声に顔を上げる。


ミツルも家にいて男三人養ってた頃はそういう時もあったけど、これは単純に種類が違うの」

「種類?」

「そ。洗い方が違うのよ」


 寿子夫人は、なにやら洗濯物を複数の山に区分けしつつ、長男の疑問に答える。


「朝やったのは、昨日一晩漬け込んでおいた汚れ物シリーズ。

 今からやるのは、普通の洗剤で洗える分。

 今週は土日が曇りがちで、今日やっと久々によく晴れるって予報だったから、ズボンがよく乾くわよー」


 軽やかに言われて、透のメモの手が早速疑問で止まった。


 洗濯って、よくわかってないけど、服を洗濯機に放り込んで洗剤を適当に入れてそれで終わりじゃないのか?


 朝の洗濯機のスイッチが押されたのは、少なくとも透が起き出してきてからだ。しかし、寿子夫人の言葉から推測するに、スイッチを入れるまでにも既に作業しなければいけないことがあるように聞こえる。


 これは透にとって驚きだったし、未知の領域だ。


 記憶をさかのぼれば、確かに母が夜にごそごそこのように洗濯物を区分けしたりネットに詰めたりしている姿はお風呂の行き帰りなどで見かけていた気がするのだが、あれは本当は一体、何の目的があって、何をしていたのだろう。


「その、つけこむって、よくわからない。なに?」

「漂白剤に一晩漬けておくのよう。汚れ物落としのために」


 寿子夫人は洗濯物の一部はそのまま洗濯機の中に放り込み、一部はネットに入れている。


 この差も今の透にはわからないので、とりあえずメモをしておくにとどめる。


「あたしは嫁入り前、下着と靴下はお風呂入るときにに各自が持っていって、下洗いするもんだってしつけられたんだけどさ。ちゃんと服ごとに表示確認して、手洗いの奴は律儀に手洗いして。

 でもねえ、結婚してお父さんと暮らすようになったら、あの人ったらそういう概念すらなかったのよう。

 一応一人暮らしもしてたけど、全然気にせず全部一緒にぐるぐる回しちゃうの。

 せめて下洗いしてー! って言っても……まあ、習慣と文化がない人には身につかないわよねえ、だからあたしが諦めたわ。

 で、それからより楽な方法を模索して、つけ込み式に落ちついたわけ」

「……下洗いって?」

「洗濯機に入れる前、汚れが酷いものは先に手で洗っておくの。

 家電は便利だけど、あれだけだと落としきれないこともあるし、繊維が弱かったり形が崩れちゃったりする奴もあるからねー」

「んーとー……先に石けんとか使って、手洗いしておくって解釈で当たっている?」

「そうそう」


 透のイメージでは洗濯機に任せておけばそれで終わりなはずが、実はこんな前準備段階があったとは。


 ネットに入れることぐらいはさすがに知っていたが、一緒に洗ってはいけないものがあるという新事実は透にとって衝撃だ。


 自分の無知を恥じると共に、何気ない細やかな注意が求められる家事の奥深さに驚きである。


「下洗いはねえ、今はどーしても必要な時以外してないもん。あんたが小さい頃おもらししたときなんかは、そのまま洗濯機に入れるのが嫌だったから、ちゃんとお風呂で先に洗ってたのよ?」

「いいよ、そういうことは言わなくて!」


 何気ないネタから自然と過去の痴態の話題にシフトされる、家族あるあるである。


 寿子夫人は二度目の洗濯の分も振り分けられたらしく、液体状の洗剤を落とすと蓋を閉めた。


 スイッチ一つで、洗濯槽が今日も元気よく回り始める音がする。


「ところでさ。漬け込むことが、どうして下洗いの代用になるの? というか、洗剤に一晩漬け込んで大丈夫なの?」

「洗剤がじゃなくて、漂白剤だってば」

「…………?」

「んもー、そこもわかってないのねー。……まあ、関わる機会がなかったんだから、仕方ないか。

 よろしい! しっかりこれから、色々学びなさい」


 橋田家の母は腰に手を当てて大きく息を吐き出してから、洗い場の収納コーナーを漁り、てんてんてんと複数の容器を透の前に置く。


「いい? うちにあるのは、これ。液体洗剤、粉の漂白剤、部分漂白剤、柔軟剤の三つ」

「……何が違うの?」

「簡単に言うと、液体洗剤が基本。これでちょっと洗浄力が弱いと思ったら、漂白剤を追加するの」


 液体洗剤って事は粉洗剤もあるんだろうか、何が違うんだろうか。


 微妙に頭に新たな疑問を次々浮かばせつつも、透は一生懸命寿子夫人の言葉をノートに刻んでいく。


「粉の漂白剤は基本的に強力な汚れ落としだけど、字のごとく服によっては一緒に色も落としちゃうし、強力すぎて繊維をぼろぼろにしちゃうこともあるから使い方にはちょっと要注意。

 本当は一晩も漬け込んだら生地が傷むから、やっちゃいけないんだけどね。

 まあ、そのかわり綺麗になるし、あたしの手間も省けるからいいでしょ」


 さらりとずぼらっぷりも暴露する寿子夫人だが、実はこれも主婦の重要スキルの一つだ。


 毎日のルーティンワークをいつも全力でこなしていたら、身が持つわけがない。

 許容範囲で手抜きをする。これこそが毎日長く生活を続けていくための真の知恵である。


 その辺りの極意がまだわかっていない透は、やっぱり母さんはこういう人だなあとのんびり思いながら、筆記を続けている。


 彼は今説明のあった漂白剤の隣の、もう一つの漂白剤に目を向けて眉をひそめた。


「じゃあ、こっちの部分漂白剤っていうのは何? というか、なんで二つも漂白剤があるの?」

「部分漂白剤は、主に靴下やシャツの襟元の汚れ対策よ。毎回はやらないわ。

 たまに洗濯のちょっと前に襟の部分や靴下の底の部分だけにこれをかけて、浸透した辺りで洗うといい具合に落ちるのよ。

 安物の下着や真っ白な奴なんかは漬け込んじゃって全然大丈夫だけど、お父さんの柄シャツとか、あんたのポロシャツとか、色落ちしちゃったらまずい奴は、油脂を落としたいところだけ集中的に落とすの。

 だからあたしは部分漂白剤って呼んでるの」


 透が納得した顔になると、彼女は最後の容器を指さした。


「柔軟剤は汚れを落とす効果はないから、洗剤と一緒に使わないといけないけど、その名前の通り仕上がりがフワフワになるわ」

「……フワフワになると、何かいいことあるの?」

「何よう、タオルに柔軟剤使わなかったら、あんたたちすぐに不満そうな顔するくせに」


 言われて透は思い出す。


 たまに顔を拭く感触がごわごわしていたことがあったのは、寿子夫人がずぼらをしたか入れ忘れたかで、柔軟剤がなかったせいだったのか、と。


 しかし、汚れをただ落とすだけでも、こんなに考えることがあるのか。


 わずかに母を見直している長男に向かって、寿子夫人はパンと勢いよく手を叩いた。


「さー、それじゃ次は、干すわよう! 透がいるなら、お布団もできるわね!」


 力仕事を任せられる相手がいるからだろうか。彼女はとても上機嫌そうだった。

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