早速動く……つもりが、あまりの現状に作戦を練り直すようです
「そ、掃除……?」
雰囲気に飲まれ、震え声で返した透に、翠は神妙な面持ちで頷いた。
「たぶんそれが一番手っ取り早く取っつきやすいと思うんだ。とりあえず、普段どういう風に部屋を片付けてるのか、見せてもらえる? 別に根詰めなくていいからさ」
「……え、今?」
「他に何かすることあるなら、そっち優先でいいけど」
三年間、会社にしがみついていたときは家に帰ってからも他人より劣る部分を埋めようと必死に勉強をしていた透だったが、辞めると決めてしまった以上、遊ぶしかない。
そして、翠の提案を断ってまで熱中しているような遊びは、透にはない。
元々趣味の欄には読書や散歩、音楽を聴くと言った無難なものしか書けない人間なのだ。
橋田家二階にある透の部屋の中は、今日も今日とて独身男のお手本状態である。つまりは物が散らかっている。
透が散らかすのはまず、出した物、特に買ってきた物と本棚から取り出した物、脱ぎ散らかした服――あとは洗濯後の服である。
ベッドの上も、掛け布団が朝起きたときそのままの状態で散らされていたし、その上に物がいくつか無造作に放り投げられていた。
正直、割と惨憺たる有様なのだが、ゴミはちゃんと分別してゴミ箱に入れる男なので、そこだけは救いと言えよう。
あわわ、とまともな足の踏み場を確保するべく作業を始めようとした透を、後ろからついてきていた翠がため息で止める。
「あー、うん。時間かかりそうだから、いいや。これさ、普段どうしてるの?」
「え? どうしてるって?」
「窓ふきとか、掃除機とか」
「…………」
「やったことない?」
「お、大掃除の時は、働くから」
「ふーん。布団は干してる?」
「あの……干したらいいなって、思ってはいるんだ。うん。思っては、いるんだよ……本当だよ……?」
「……枕カバーとシーツカバー。替えたの、いつ?」
「い、いつだったっけなあ……?」
翠の目がどんどん冷たくなっていっているのは、残念ながら気のせいではないようだ。
声どころか全身をカタカタふるわせている従兄の前で、翠はふっと視線を床に下ろすと、カーペットの上に転がっていたテープ切れのコロコロこと粘着カーペットクリーナーを拾い上げ、ますます緊張を深めている。
「これは……駄目だ、甘かった。よし、落ち着く。本格的に予定組もう。透お兄ちゃん、やっぱり下で作戦会議しよう。ちょっと最初に、色々確認しよう」
前半は独り言だったが、後半は透に向けられた言葉だった。この部屋で、と彼女が言い出さないのは、もちろん現状がご覧の有様なせいだろう。
透は神妙に頷きながら、あれ、おかしいなこの状況デジャブだな、そして気のせいでなければこれからも続きそうな気がするぞ、と白目を剥いていた。
本日の晩ご飯当番は寿子夫人であるため、透と翠はリビングの机を囲んでいる。
透はパソコンにスマホにノートに手帳という重装備だ。もちろん準備したのは翠の指示である。
さて、と翠が机に手を突いておもむろに話し始めたので、透は生唾を飲み込んだ。
「透お兄ちゃんが今後どのような人生を送っていくにしろ、百鬼さんと今後もお付き合いを続けていきたいと思うのなら、三ヶ月後のテッシーの試験には受からなければならない。まあ、お友達としてお付き合いしたいってだけなら別にマストな話ではなくなるけど、選択肢は沢山ある方がいいから当然受かる方が望ましい。ここまではいい?」
「ええと……うん、あの、そうです。百鬼さんとお付き合いしたいので、試験……合格、したい、です」
ほんのり頬を染めつつ、思わず敬語になって答える透だが、そこは広瀬翠、相手が多少お花畑モード担ったからと言ってドライな態度が崩れるわけではない。彼女は淡々と話を進める。
「あ、そうだ。ごめん、もう一つだけ確認しておきたいんだけど。と言うか、本来こっちの方を一番最初に確認しなきゃ駄目だったね」
「な……何のこと、でしょうか」
「ざっくり言うと今後の就活計画について。透お兄ちゃんは今月いっぱいで今の会社を退職するわけだけど、すぐに転職活動を始めたいってわけじゃないよね? 少しお休み期間を挟みたいんだろうなって事で私は解釈してるんだけど、その辺り、どう? どのぐらい休んで何月からまた再就職活動するとか、目安でもいいから決めてる? 決めてなかったら、決めてないでもいいけど」
透は思わずまじまじと翠の顔を見つめてしまった。なんでこの従妹、自分より九つも下なのに、ここまでしっかりしているのだろう。ただひたすらに眩しい、翠様々である。手帳はこのために持ってこさせたのだろうか。
……感心していないで真面目に考えないかとでも言うようにぎらりとにらまれたので、慌てて頭を働かす。
実家住まいの身で途中退職する以上、両親には当然、自分の今後の方針――今の仕事から離れて、少し休みたい旨を伝えている。
その後何をしようかというのは、元々決めていなかった。とにかく、体調が悪いのを押さえて出勤し、徒労感だけが蓄積していく毎日に、このままではいけない、離れなければ、と漠然と感じたのだ。
何かしたくて辞めたのではなくて、辞めたいことが目標だったのだ。だから、達成されてしまった今は、特にまだ次にしたいこと、しなければいけないことがあったわけではない。
幸い、実家に住まわせてもらっているおかげで三年間の勤務の結果が少しぐらいは溜まっているし、学生時代もバイトと部活に明け暮れていたのだから、思い切ってどこか旅行に行くのもいいかもよ、と両親(主に寿子夫人)等は言ってくれていたりする。
等々、橋田家で共有されている透のキャリアプラン事情を改めて話すと、翠は大きく頷いた。
「じゃあ、そのせっかくのお休みの期間なわけだけど。透お兄ちゃんは、どのぐらいお休みがほしい?」
「へ? どのぐらい?」
「もうちょっと具体的に言うと、週休何日がいい? あと、一日何時間働いて大丈夫?」
透は少しフリーズしてからおそるおそる口を開いた。
「ええと、あっちゃん……ごめん、ちょっと意味がよく……」
「あのね。私、これからの三ヶ月、透お兄ちゃんの時間をもらおうと思う。せっかくお休みなのに悪いんだけど、それは透お兄ちゃんがテッシーの試験に合格して百鬼さんとハッピーライフを歩みたいって言うのなら、納得してもらえることだと思う。で、透お兄ちゃんがどのぐらい動けるのか、動くつもりがあるのか、私は確認したいの。それによってこっちも計画変えるから」
「う、うん……」
「試験勉強までに確保できる時間を確認したいってこと。わかる?」
翠が何故いきなり自分のキャリアプランや休みのことについて聞き出そうとしたのか、これでようやくわかった。
締め切りを確認してから自分の割ける時間を計算し、その日こなさなければならないタスク量を決める。仕事の基本でもある。
透はそれなら、と晴れやかな顔になる。
「お休みになってからは、毎日空いてるわけだから、言ってくれればいつでも動けるよ」
すると途端に、翠は顔を険しくした。




