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助けてマイマスター!(翠にSOSを送る)

 電車に乗り、うまいこと座席を確保してほっと一息ついた瞬間、トオルはポケットからスマートフォンを取り出し、ただちに上司にぎこちないフリック操作でSOSを送った。


「あっちゃん、助けて!」


 メッセージ文にはすぐに印がつく。

 ただのメールと違って昨今のSNSは便利だ。既読済かどうかリアルタイムで情報が伝わることによって、いつ返事が返ってくるのかもなんとなくわかるのだから。


 小さな上司殿は、今日の昼は出かけているという話だったが、夕方以降は特に予定がなく、今頃は家で自習中なり余暇を満喫中なり、といったところだろうか。


 食い入るように両手で握りしめた画面を見つめていると、心強い上官殿は期待通り、素早く簡潔なお答えを返してくださる。


「落ち着いて。わかるように、順を追って事実を話して」


 そしてこの涙が出そうなほどクールかつドライな文である。だがいつもの塩対応をされることで、逆に落ち着いてくる部分もある。


 何せ今日はほぼ半日、いつもとは全く異なる環境にさらされ続けていたので。


 透は実家に戻ってきたような安心感に包まれながら、すーはーと深呼吸した。従妹のアキラの言うとおり、今日あった事の中から報告したいことを順に振り返ろうと考える。


 はっと思いつき、急いで開いた画像フォルダを見て、慣れないミーハー行為に勤しんでいた昼の自分をちょっと褒めたくなった。


 そう、あのとき羞恥心にもだえながらもパシャッていたことは無駄ではなかったのだ。今、こうして動かぬ証拠を提出できるのだから。


「ええと、じゃあ、まずランチの写真送るね……」


 一文添えてから次々とオシャンティラグジュアリーレストランでのランチの模様をお届けすると、今度はやや間を置いてから返事がある。


「……エンジョイしてたんじゃん?」


 まあ、大騒ぎするような事は起きていないと判断されたのだろう。そう、この時はまだ割と平和だったのだ。この時だけは。


 透は再び息をゆっくり吸って気分を落ち着かせてから、震えそうになる指で文を作る。


「その後ね、百鬼ナギリさん家に行ったんだけど」

「何してんの」


 翠の突っ込みは素早かった。


 間髪入れず、透が皆まで言う前に応じてから、


「いや、マジで何してんの? どうしたの?」


 とさらに二文目三文目を送り込んでくる。


 透がランチの後、静華の自宅訪問をしていたことは、クールな鉄面皮の彼女にとってもかなりの想定外だったに違いない。


 珍しくわかりやすく動揺した頼みの師匠に、弟子もまたちょっとパニックが戻りつつ必死で文を打つ。


「俺だってそんな、急に言われてビックリしたんだってば! でもなんかこう、お断りするのも……」

「続きをどうぞ」


 後ろめたさのまま、長々と言い訳を並べようとしたら、気配を感じ取ってだろうか、ばっさり切られた。さすがの翠氏である、立ち直りが早い。


 電車が駅に停車し、人の出入りが少々あった。透は一度スマートフォンを閉じて、隣に座ってきたサラリーマンのために少々座る位置を修正する。


 もう一度ロックを解除して開く頃には、いい感じに流れが切れた事もあって鬱々思考はリセットされていた。


 画像フォルダと自分の記憶を頼りに、ところどころ文に添えて写真を送りつつ、業務報告を続ける。


「ええとね……百鬼さんに、車で送ってもらったんだけど。こういう奴」

「へえ。続けて、どうぞ」

「百鬼さんの家は億ションでね」


 すぐさま真顔のキャラクター画像が送られてきた。昨今の若人のコミュニケーションに欠かせない、いわゆるスタンプという奴だ。


 万事において冷ややかな翠も所詮は庶民階級、車はともかく、百鬼家住宅環境の洗礼にさらされたら無表情の無言は保てないらしい。


 だが嘘は言っていないどころか、透はあくまで言われたとおり事実を述べているだけなのだ。


「百鬼さんは一人暮らしで、家の中の様子はミツルを彷彿とさせたよ」

「透お兄ちゃんにしては珍しくありのままを述べているようだね。続きをどうぞ」

「家にはね、ゴンゾウ=ショコラ=エスプレッソ先輩がいてね」

「何それ」

「柴犬の雑種なんだけど」

「先に言ってよ、何かと思ったじゃん。続けて、どうぞ」

「百鬼さんは紅茶のティーバッグをくれたよ」

「続けて」

「百鬼さんの家は昼ドラのようだよ」

「続けろ」

「それで帰り際に散歩に行ったら、テシガワラユリエさんに会ったよ」

「だから誰」

「ええと、百鬼家のメイドさんらしい。……あのね。俺、その人に一月後にテストされることになったみたい」


 既読はついたが返事がない。これは画面の向こうで固唾を飲んで続きを見守っているのか、フリーズしているのか。


 透は少し待ってみてから、もう一文付け加える。


「なんか、百鬼家にふさわしいか、彼氏としての品格とか? 家事の能力とか? 見られるって、言われて――」


 やっぱり既読はついたが、なかなか文が返ってこない。


 透がため息を吐いて一度別のアプリを立ち上げようとした瞬間、通知のポップアップが飛んできた。


「先にそれを言うんだよ、アホ!!!」


 ……翠にしては非常に珍しい、感嘆符の重ねがけである。


 ああ、やっぱり、自分の思ったとおり、これってかなりまずい事態になってるんだなあ、と透は頭をがしがし掻く。

 半ば放心し途方に暮れつつも、困ったときの他人頼みな男は、こういうとき抜群に心強い従妹様の指示を待ってしまうのだった。

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