百鬼家への刺客、その名は勅旨河原百合恵
百鬼静華と行動していると退屈しない。彼女に付随する常識外の事象現象が、ひっきりなしに殴りかかってくるからだ。おかわりを頼んでいるわけでもないのに。
声をかけられて顔を向けた先、閑静で上品な住宅街に見慣れない異様なものが出現している。雰囲気という意味では、まあまあこの環境に合っているのだろうが。
何しろ新たな人物は、慎ましやかな長い丈の黒いお仕着せに身を包んでいた。片手には、これからご旅行にでも行かれるんですかと言いたくなる、革製の大きな四角いバッグを提げている。
喪服かな? と思うには、ピリッと立った襟元や袖口のまぶしい白色や、ギャザーを寄せて肩口を膨らませるパフスリーブなデザイン等々が邪魔をする。ウエストで絞られ、すっと下に落ちるスカートは長く、足首まで伸びている。
靴はおそらくヒールだ、コツコツ音が鳴るのが聞こえたから。
修道女のコスプレと解釈するのが一番端的だが、着ている本人の顔を見ると、コスプレじゃなくて本職なんじゃないか? という気分にもなってくる。
銀色の御髪は綺麗に手入れされた上で、後ろで下の辺りにお団子にひっつめられている。軽くウェーブがかかっているあたり、窮屈なだけでなくおしゃれな感じが漂う。
静華と透を、いかにも気むずかしげなかんばせでお睨みあそばしていらっしゃるのは、人生で味わってきた苦労をお顔に沢山蓄えなすったご婦人なのであった。
もうちょっとわかりやすく言うと、品の良さそうなおばあさんだ。修道女ライクな黒服の。
(静華お嬢様……お嬢様!?)
見た目に圧倒されていてワンテンポ遅れたが、そういえば発言の方もなかなか衝撃的だった。
ばばっと同行者を振り返ると、ちょうど顔をしかめているところだった。
「うわ、勅旨河原さん……」
(うわ?)
名前を呼んだと言うことは知り合いなのだろうが、この露骨に嫌そうな反応、あまり会いたくない相手と見える。
首をかしげようとした透は、横からゴンゾウが猛然と老婦人に吠えかかったのでびくっと肩を跳ねさせた。
修道女(暫定)は威嚇されても眉一つ動かさず、すっと目だけスライドさせる。
「エスプレッソ様のお散歩でございますか」
「ワンワンワンワン!」
「失礼いたしました。ゴルゴンゾーラ=ショコラティエ=エスプレッソ様でいらっしゃいましたね」
「グルルルルル……」
「ゴルゴンゾーラじゃなくてただのゴンゾウだよ、勅旨河原さん。ゴンゾウ=ショコラ=エスプレッソだよ」
そんな進化形みたいな名前だったっけ、と透が思っていると、案の定ゴンゾウは勝手に改造された名前に不満そうに唸っていた。静華がさりげなく訂正するとくりんと可愛い丸顔に戻る。この犬も本当に色々と露骨だ。
唸っているだけで飛びつかないのは、静華のしつけが行き届いているのか、それともこの老婦人が強敵なのか。
すると引きつった笑いを浮かべながら場を見守っていた透の方に、すっと老婦人の目が音もなく動いて向いた。
「それよりもお嬢様。こちらのお方はどなた様でございましょう?」
思わずぴしっと姿勢を正した透の横で、静華は咳払いし、ゴンゾウは何故かお座りしている。
「橋田透君。私の彼氏」
「……百鬼さん!?」
「なんとまあ!」
「――候補の、透君。透君、こちらは勅旨河原さん。端的に言うと父から送り込まれた刺客」
「ええー……?」
自分の紹介も雑だが、相手の紹介も雑だ。
百鬼さん、それじゃ何もわからないよ! しかも相手にもたぶん色々誤解が行っていると思うよ! と口を開きかけた透だったが、老婦人がすっとスカートをつまんだので思わず黙り込み、傾聴の姿勢に入りつつさっと静華の前に出る。
「人聞きが悪うございましょ、お嬢様。あたくしは、しがない百鬼家の古参メイドでございます、勅旨河原百合恵と申しますの。橋田透様、以後お見知りおきを」
「は、橋田透です。百鬼さんとは最近、その……お知り合いになりまして。どうも……」
……何故今静華をかばってしまったのかというと、なんかこう、一瞬スカートの中からナイフやら爆弾やらが出てくるのかと錯覚したからだ。
老婦人が変な格好をしているのと、物々しげな雰囲気を漂わせているのと、静華の説明が雑なのがいけないと思う。
すごすごと大人しく静華の横に帰る彼を、老婦人の冷たい瞳が見守っている。
あと本人の説明でようやくわかった。これ、メイド服だ。非常にクラシカルなタイプの奴。ここに白いエプロンつけてブリムつけたら、確かに完全にメイドなお姿であらせられた。
昨今の文化のせいで、メイドはかわいらしい若い女性ばかりが着るものというイメージがなんとなくできあがっていたが、こう、あの辺のばった物と違って由緒正しい方のメイド様であらせられるのだろう。
――日本の古式ゆかしきメイドなら中途半端に西洋にかぶれてないで着物着ろよ女中とかお手伝いって名乗れよ! と思ってはいけないのである。たぶんおそらくきっと。
「それで勅旨河原さん。前々から言っていたことなのだけど」
気が遠くなった透だったが、静華が彼女に何か切り出そうとしているのを悟ると慌てて現世に戻ってくる。
「お嬢様。お言葉ですが、多実様がいらっしゃらないお家にお嬢様お一人で生活なさるのには、限界がございますかと」
「なんとかなってるもん」
「あたくしが週一で通っているからでございましょ?」
「そうだよ、週一のはずでしょ。なんで今日来たの? 明日じゃないの?」
「本日は泊まり込みでお料理を作って差し上げようかと」
「料理はいるけど勅旨河原さんはいらないかな」
「憎まれ口を叩いてもお嬢様が自炊できないことは変わりませんからね」
バチバチバチッと両者の間に火花が散った気がする。
ひええ、と思いかけた透は、ゴンゾウに一声吠えられてびくっと跳ねる。
「何ぼさっとしてんだい、お前さんも姐さんの加勢に加わらねえか!」
と先輩はおっしゃっているようなのだが、こう、どのタイミングでなんと口出ししていいのかわからないので、うろうろおろおろしているにとどまっているのである。
と、静華に急にぐっと腕をつかまれて、ヘタレ男子は固まる。
「これからは勅旨河原さんの助けはいらないよ。透君がいるから」
「……ん?」
「んまっ。多実様やあたくしがしていたお嬢様のお世話を、この方がなさってくださるとでもおっしゃられているようですが?」
「そう言ってるんだってば」
「んんんっ?」
加勢をしようにも部外者だし、なんて遠慮していたらとんだ流れ弾が飛び込んできた。
冷や汗どころか滝汗で老女の眼差しを受け止めることになってしまう。
「お言葉ですがお嬢様。彼氏は家政夫とは違いますよ。それにあたくしには、このへっぽ――こほん、この御仁ですが、オーバーに見積もっても、現状ヒモにしか見受けられないのですが」
ラヴァー。へっぽこ。ヒモ。
透を表現する言葉の選び方にも内容にも突っ込みどころ満載だが、逆に言うことが多すぎて何から言ったらいいのかやっぱりわからない。
静華の言っている事も、誇張表現ではあると思うが、元々そういう話でお付き合いを進めていこうという話なのだから、あながち違うとは言いきれないあたり、余計言葉が出てこない。
すると、そんな彼の様子を見守っていた老女が、ふっと目元だけゆるめて仰られる。
「ヒモがお嫌なら、芋と言い換えて差し上げてもよくってよ」
「なんでですかっ!?」
「フム、活きだけはよろしいご様子で」
今のはババアジョークだったのだろうか。
「将来的にスパダリになる予定なんだよ」
「本当でございますか?」
「そ、そうなれたらいい、かな……? とは、思ってます……」
置物状態の透がようやく反応したのを鼻で一蹴した老女に静華が軽く反論し、無茶振りの矛先を向けられた透は目を泳がせつつ答えるしかない。
が、強い視線を感じると、引き寄せられるようにそちらに顔を向けてしまう。
ばっちり目が合って、数秒間、いや十数秒、数十秒? 透は老女とにらみ合うことになった。
まあ、あちらが一方的ににらんできているのをなんとか受け止めているだけ、と言う方が正しいのだろうが。
品定めするように橋田透の目を、それから上から下までをじーっと見つめていた老女だが、不意に目をそらし、ふっと息を吐く。
「よござんす。旦那様のように、甘やかすだけではいけない。お嬢様のお好きになさるとよろしい。あたくしも、一月ほど様子を見させていただきましょう。ですが一月後に、テストをさせていただきたいと存じます」
「テスト?」
嫌な予感がして透が声を上げると、老女は初めて微笑んだ。
微笑んだ、というよりは、威嚇に歯をむき出している、と言った方が正しいような表情に顔をゆがめた、のだが。
「もちろん、お嬢様のお世話係にふさわしいか、はたまたただの情人に収まるのか、そのどちらにも不足なのか、あたくしが一月後、お嬢様の家の様子、あなた方の様子、あなた様単体の様子、すべてこの目でしかと確かめさせていただく、ということでございます。鴨池家を代々守らせていただいた身として、百鬼家の番人として、僭越ながら精一杯、見極め役を努めさせていただきます」
「……まあ、そうなるか。仕方ないかな」
「え? 百鬼さん、え? 仕方ない!?」
「頑張ろう、透君」
「頑張ろう!?」
頼みの静華があっさり納得しているせいで、いきなり降ってわいた難題から透を守ってくれる人間はこの場にいない。
ゴンゾウも老女に向かってたまに吠えているのみである。
「では、それで話はまとまりましたね。時に、橋田様」
「まだ何か用ですか!?」
服の中に手を入れつつ、コツ、コツ、と音を立てながら歩み寄ってきた老女に、透は半ば悲鳴のような声を上げる。
老女は彼のおびえきった様子に全く取り合わない。静華も何も言おうとしない。ゴンゾウも見守っている。そこはせめて吠えて気持ちだけでも援護して!
覚悟を決めて目をつむった透だが、両手で自分をかばうようなポーズを取って待ち構えてみても、何も起こる気配がない。
おそるおそる、目を開けた。
「……いえ、アドレス交換がまだでしたから」
老女こと勅旨河原さんは、最新型のスマートフォンを差し出してきているだけだった。
だから、いちいち物々しい雰囲気を出さないでよ! という透の叫びはやっぱり声にはならず、彼は白目を剥いたまま、シャカシャカスマホを振ってSNS交換を無事完遂したのであった。




