百鬼さんの家は億ションでしたが(白目)玄関の靴は脱ぎ捨てられていました(癒やし)
静華の住む町には、全体的に落ち着いた雰囲気が漂っており、見た目からしてお高そうな物件が澄ました顔で立ち並ぶ。
透が車内から見える風景に「あれ? やっぱり自分、超絶場違いなんじゃ?」と胃を押さえている一方、静華は慣れきった様子でハンドルを回し、臆することなくそのうちの建物の一つに入っていく。
「ここが、百鬼さんのお家……」
車を降りた透が周りを見回してごくりと唾を飲み込んでいると、静華が首をかしげる。
「その言い方、あれに似てるな……なんだっけ」
「な、なんでしょう?」
「あ、思い出した。ここがあの雌猫の家ね! だ」
得意げに彼女が言ったフレーズは、有名な昼ドラのキャッチコピーである。
一瞬ながしかけた透は、意味を把握すると吹き出した。
「百鬼さん!?」
「あっはっは。母がテレビ大好きでね。一緒に暮らしてた頃は、家に帰るとずーっとついてたものだよ。本人はもうちょっと少女趣味だったんだけど、奥様方との話のネタになるってんで見てたらしくて、よく食事の時とか話題に出してたものだから」
「……ええと」
「ん? ああ、今は私の一人暮らしだよ。ちょっとまあ、色々あって田舎に帰っちゃってさ」
突撃彼女のお宅訪問という超難関クエストに、さらなる最難関クエスト突撃彼女のお母様というイベントが加わらなかった事にほっとすればいいのか、色々あって……の部分にもっと突っ込んでいいのか、お父様はどうなされたのでしょうと言っていいのか、さかのぼって奥様方の昼ドラに反応すればいいのか。
迷った彼は、賢明に白目を剥いているだけにとどまる。
さらに、地下の駐車場に車を入れた静華は、隣に駐車してある最新型電気自動車にあんぐり口を開けている一般庶民に向かって、
「それ? 一応私の車、二台目なんだ。すごいかっこいいけど、乗っていく場所はちょっと選ぶよね。後部座席の扉の開き方がちょっと開放的すぎるのもあって――まあ、それが面白いんだけどさ」
なんて言った後、やはりなんてことないようにエレベーターホールに続く自動扉をカードキーで開ける。
地下にも通っているエレベーターは、駐車場からこのまま部屋の前のフロアまで送ってくれるらしい。ちなみにこのエレベーター本体も、カードキーをかざすかテンキーで特定の番号を打ち込まないと、動かない仕様のようだ。
エントランスの方から入った場合は一階のエレベーターホール前にフロント係がいるので、来客時のセキュリティはさらにしっかりしているよ、と説明され、もはや「はあそうですか」以外言いようがない。
エレベーターが目的のフロアに止まったらしく、扉が開く。開くボタンを押して先に静華が出るのを待ってから後に続いた透は、高級ホテルの廊下のような外観と、案の定オートロックだった扉の鍵に、ふっ……と一瞬だけ自分の気が遠くなるのを感じる。
いよいよ深呼吸してから、お邪魔しますと声を上げて室内に入ろうとし――びしっとそこで固まった。
外観に違わず、スタイリッシュで落ち着いた高級マンションの内観。
それなのに、玄関の靴がこう、どう見ても脱いでそのままですと言った様子で散乱している。
まぶたの裏に蘇る既視感。
――ああ、これ、知ってる。見たことある。弟の充の一人暮らしの部屋に遊びに行ったとき、こんな感じだったな。一人暮らしは皆こんなもんだって、充が――。
くらり、と透はめまいを覚えた。今まで培ってきた世界観を、急速にぶちこわされそうになっている。
「ん? ……あっ。ごめん! しばらく人が来てなかったから」
透の向けた視線の先に気がついた静華は、慌てて言い訳しながら、靴を並べ直したり靴箱に押し込んだりしている。
……ちょっと萌えた。いやいや、そんな。百鬼さんに、そんな。
顔の前で手を振ってフワフワ広がりそうになった思考を追い払う。
「さ、入って、入って!」
「お、お邪魔しま、す……?」
気を取り直そうとした透は、靴箱の上、花瓶に活けてある花が思いっきりしおれているのを今度は目撃してしまった。
……何故だろう、リビングに行くまでの間にも、どこにどう視線を逸らそうとしても、別世界の素敵空間に無造作に脱ぎ捨てたり放り投げられたりしている、隠しきれない生活臭の申し子達の残骸が目に入ってきて自己主張するのだが。
「あっ、あっ……ごめん、今すぐ片付けるから!」
「いやその、お構いなく……?」
透が社交辞令及びノーコメントの笑顔になる度に、静華は慌ててそそくさと彼の視線の先のあれこれをしまっている。
「あれ、おかしいなあ。確かに私の普段の様子を見せようとは思ったけど、ここまで酷かったっけ……?」
首をかしげつつあわあわしている静華の後ろ姿を見守る、自分の目が何故かとても温かいものになっている気がするが、どうなのだろうか。
お色気展開とか、貞操の危機とか、車内では心配していたような気もするが、全くの杞憂だった。
(もうなんか、色々考えたら負けなのかな、俺)
気の抜けた透は案内されるままリビングに通され――ちなみにここも案の定色々物が使った形跡のままに出しっ放しになっている――おとなしくお茶が入るのを待った。
静華の入れてくれるという言葉に、不安を覚えもしたのだが、本人が非常にやりたがってる感じもあったので、好きにしてもらって見守る構えになってきている。
「ティーバッグでいいかな!」
「あ、どうぞどうぞ、ゆっくりどうぞ、割ったりしたら危ないので……」
急いで来客用のカップを洗っている静華にかけた自分の声音が、びっくりするほど優しい。翠のちっちゃい頃ぐらいしか出したことがない気がする。
今まではきはき自分の前を歩いていた静華が、口をへの字にして皿をこすっているのを見ると、なんかこう……日頃の邪念がすべて洗い流される。
いや別にそんな大した邪念、透はもともと持っていないけど。
そんなこんな、少々思考がシャッフルされはしたけれど、無事にミルクティーも出してもらって二人でソファーに落ち着くと、透は口を開いた。
「あの、静華さん……つかぬ事をお聞きしますが」
「何? 改まっちゃって」
静華がちょっと身構えているのは、たぶんこう、あれだろう、さっきのあれこれだろう。
そこは極力スルーすることにして、彼は切り出してみた。
「その……静華さんご本人が、もしかして俺の考えているよりはずっと、色々と必要な人なのかなって言うのは、今までのでわかったような気がするんですけど。俺にはそれでも、その、ええと……あの、他にもっと適任がいるんじゃないかな? とか、思ってしまうわけ、なんですが……」
静華はどうも、尻込みする透を安心させたくて自宅に誘った感がある。
住んでいる場所から車から実際の家までは、世界の違いがわかりすぎて尻込みしたが、実際に生活している部分を――しかも割と色々と手が足りてなさそうな部分を――見てしまうと、確かに彼女の言い分の一部も、まあわかるような気はしてきた。
けれど、打ちのめされているうちに、
「いや、でも逆に。こんな場所に住んでいるのなら、プロのお手伝いさんだってとっくに雇っているだろうし、俺のようなトーシロにわざわざ家のことを任せたいと言うなんて、ちょっと何か違うんじゃないか?」
と思わず考えてしまうのは、自然なことのはずだ。
これで透が翠のように家事万能と言うならまだ見込まれるのもわかるが、そういうわけでもなし。
仕事だって――これは能力の問題というよりマッチングの問題であると静華は解釈しているようだが、最近自主的に失業したばかり。
見た目も、人並みにいい方であるとは思うが、アイドルや俳優並みと豪語できるほどのものではない。……彼女の昔の愛犬には、似ているのかもしれないが。
しかも初対面の時は泥酔して泣いてマスターに愚痴っているところを見られている。
彼女への理解を多少深めた一方、ますます自分がさほど有益な人間に思えないのだが、つまり結局は彼女が自分に何を期待しているのか、余計にわからなくなってきたのだが。
困惑する透に向かって、静華は困ったように眉を下げた。
「あー、うーん、ええと……まあ、そうか。そうだよね、結局は話さないと、たぶんわからないよね」
おや、と透は内心首をひねる。
はきはきとした口調の静華にしては、ここに来て随分と歯切れが悪い。
くるくるとスプーンで自分のミルクティーをかき混ぜながら何かを考え込んでいた静華が、伏せていた目を上げる。
「ええとね……ちょっと長くなっちゃうかもしれないけど、いいかな」




