百鬼さんは運転が荒い
レストランは海沿いのホテルの中にあった。
静華と待ち合わせをした臨海線の駅はここから徒歩五分程。かなりの好立地と言えよう。
と、ホテルを出て早速駅に向かおうとする透の事を、再びサングラスを装着した静華が呼び止める。
「透君、電車じゃなくて車。ここの駐車場に止めてあるから」
「へっ?」
「どっちにしようか迷ったんだけどね。でも電車より車の方が早いし、いいかなって。あ、用事が終わったら、一番帰りが楽な駅まで送っていくつもりだから安心して」
(……それってつまり、今から車にご案内されるって事なんでしょうか。結構狭い密室に二人っきりという、初回デートにしてはなかなかハードなイベントに挑めと言うことなのでしょうか)
透の緊張と硬直を敏感に感じたらしい彼女は(というか彼がわかりやすい男なので思いっきり顔に考えていることが浮かんでいるだけとも言えるが)、安心させるかのように微笑みを浮かべると、さらりと付け加えた。
「それとも、やっぱり今日はその辺りをもう少しだけ適当に歩いてみて、それで解散する? 私は一応さっき、最低限言っておきたいことはちゃんと言えたと思ってるから、それでもいいけれど」
どぎまぎと揺らしていた透の視線が止まる。静華の顔を、彼はまじまじと見つめることになる。
だんだん、わかってきた、かもしれない。百鬼静華がこういう女性なのだと。
ぐいぐい近づいてきてかき乱したかと思うと、急にぴたりと止まる。
再開の契機は、そういう場合の主導権は透にあるのだと示してくる。
透からすると、余裕のある彼女に弄ばれているような感じもあって、どうにも落ち着かないのだが――彼女は彼女で、はっきりしないで相手任せな透の態度に何か思うところがあるのかもしれない。
――透君は、どうしたい?
問われた言葉の答えを、今一度考える。
(俺……どうしたいんだろう)
春先の風はまだ少々冷たい。透や静華の服をくすぐって逃げていく感触はひやりとしていて、思考を冷静にさせる。
静華はサングラスの向こうに微笑みを浮かべたまま、透の返答を待っている。その表情は、どこか彼を試しているようにも、挑発的なようにも見えた。
たぶん、このままこちらが足を踏み出さなかったら、彼女はそのまま去って行くのではなかろうか。何の未練もなく、颯爽と、振り返りもせずに。
(それは嫌だ……な)
透はぎゅっと拳を握りしめた。ほぼ同時に、口から言葉がするりと流れ出る。
「行きます。行かせてください」
(俺だって……べ、別に、車の中で二人きりぐらい、なんてことないぞ!)
頭の中にすぐに否定の言葉が浮かんだことに、勝手に答えの言葉が出て行ったことに、彼自身が一番驚く。
静華はくいっと眉を上げた。ほんの一瞬だけ、少し意外そうな顔になってから、嬉しそうに頷く。
「よし。じゃ、行こうか」
――ちなみに、透はこの時、目先の「車の中で二人きり」というイベントにだけ意識が行って、その後「彼女のお家に突撃」というさらなる難関が待ち受けていたことをすっかり忘れていた己のことを、後で深く反省することになる。
ホテルの駐車場に止めてあった静華の車は、落ち着いた緑色をした軽のスポーツカーだった。フロントのライトなどは丸いのでかわいらしい印象をもあらすが、屋根のシャープなシルエットはかっこよさを意識しているように思える。
おお、と透が見慣れぬ車体に声を漏らすと、静華はまんざらでもなさそうにぽんぽんボンネットを叩きながらちょっとした解説を始めた。
「二人乗りサイズだけど、これで収納も結構入るんだよ。と言っても、オープンにすると使えなくなるけどね」
「あ、これ、オープンカーなんですか?」
「そうそう。中古でお安く手に入ったんだ」
静華は透がちょっと目を見張ったことには気がつかなかったようで、機嫌良さそうに話を続けている。
透からしてみれば、なんとなく――彼女が中古品や安さを自慢するようなことが、ちょっと新鮮に感じたのだが。
どちらかと言えば彼女のようなタイプは、高い買い物をしたことを誇るようなタイプなのかと思っていた。案外もうちょっと庶民派なのかもしれない。
「まあ、開けると髪とか色々大変だから、一人の気ままなドライブぐらいでしかできないんだけどね、オープンは。でも天気のいい日とか気持ちいいよ。私も最初はあまりいい印象なかったんだけど、存外乗り心地よくてね、はまっちゃった」
「へえ……」
透も免許を持っているし、実家暮らしのせめてものご恩返しということで数年間運転手を務めてきたため、特に問題なく運転できる方ではある。
車の話をするとなると、一般的なところは知っていると思うが、マニアックな部分は自信がなくなってくる感じだ。
ちなみに橋田家で愛用されているファミリーカーは、特に何のギャップもなく国内産最大手のブランドである。
しかしそこは、たまに謎のこだわりを発揮して一歩も譲らなくなる慶福氏とたまに謎の冒険をしたがる寿子夫人の車、外見は無難だが中身は大抵もう少し不思議空間に仕上がってしまう。
具体的に言うと、橋田家の車内では、常時プラモデルやゲーセンの人形と、普通のキャラクター人形とが、勢力争いをしてしのぎを削っている。
わかりやすい話だが、慶福氏は前者を持ち込んで後者を撤去しようとし、寿子夫人はその逆を試みるため、そんな珍妙なことになるのである。
我が父母ながら仲がいいんだか悪いんだか本当わからない、と長男は遠い目になる。
――いやいやいや、だからすぐに家族のことばかり考えてないで、今は静華とのことの集中せねば。
ほわほわしかけた思考を打ち切って、透はシートベルトに苦戦しながら会話を試みる。
「でも、百鬼さんはなんていうかその、外国の車とか好きそうなイメージだったんで。ちょっと意外でした」
「ああ、そうだね。ちょこちょこ言われるかな? 別に国産にこだわってるって程でもないんだけど……自分で選びたかったから」
ハンドルに手を滑らせ、目を細めつつ、静華は続けた。
「この子はね、今の型は二代目なんだけど、特に好き嫌い分かれるみたいだし。私は店で一目惚れして買ったから、すごく満足してるんだけどね」
静華が少しずつ親しみやすい所を出しているからだろうか、シートベルトに最初手間取ったおかげでいい具合に緊張が取れたのか。ともかく、車内の会話はそんな風に、序盤は特に問題なく進んだ。
車の走り方は二人乗りのスポーツカーにしては少々重めで、見た目のライトさからはちょっと想像しにくい力強さだ。乗り心地は快適な方で、透は安心してシートに身を埋めていた。
変化があったのは、高速道路に乗ってからである。主に透の口数が極端に減った。
スピードを落とし、一般道に戻ってくると、運転手はからからと笑う。
「ははは、透君。安全運転派でしょ?」
「はっ……はい――」
つまり、そういうことだ。静華は速い道に乗せると自重が飛ぶタイプの人間だった。
いかにも豪快な性格がそのまま出た走り方に、堅実で温厚な透は冷や汗が止まらなかった。なまじ自分でも運転ができるだけに、余計ドキドキしたと言えよう。
なお、この後もっとすごいアトラクションが待っていることを、所々差し挟まれるアクシデントによって、またもつかの間透がすっかり忘れていたのは――結果的には、良いことなのかもしれなかった。




