第1章
自作同人ゲーム用に書き下ろしたシナリオです。
制作ブログ→http://synthesize2.blog44.fc2.com/
初めての長編作品なので未熟な点も多々ありますが、よろしくお願いします。
蛍火・・・・・・。
墨を何十にも塗り重ねたかのような漆黒の中、それは儚きものが放つ灯火。
――――それは、儚きものが生きた、証。
赤く燃えるような森を、ひたすらに歩く。
風が吹くたびに雨のように降ってくる枯葉は、いまでは視界を閉ざす、邪魔なものでしかなかった。
そして、行く手を阻む、障害物でしかない。
―――見たこともない村へ向けて今、俺はひたすらに歩を進めている。
ろくに舗装された道がないその場所へは、山を三つほど迂回するがいくらかマシな山道か、それよりも距離的には短いが道とすら呼べないような獣道しかない。
迷っている暇なんてない。
色を失った枯れ草を押しのけながら、ひたすら前に進む。
後ろに背負っているものは当分の食料と、着替えと、そして一匹の猫。
「・・・・・」
俺は立ち止まり、ふと思った。
後ろの方角にいる、今までに出会った人たちのこと。
そして、
この燃える山を越えたところにいる、まだ見たことのない、人々のことを。
―――俺は、彼らに一体何が出来るのだろうか。
力のない、こんな俺は。
「やべぇ・・、疲れた」
俺の目的地到着時、その第一声だ。
陰陽師として、このぐらいでバテてしまうのはどうかと思うが、最近はすっかりサボっていたし、陰陽師の修行は精神面の強化が中心ってことで。
「わあ、まるで貴信おじい様みたいですねっ」
ぽかっ
「いたいっ」
「誰がジジイだ、誰が」
さっきから隣でうるさいこいつは正式な名を「御珠上 命」、通称を「美々子」という。通称といっても、俺が勝手に呼んでいるだけだが。
古き名門である荒川家にその創成期から仕える使い魔で、かれこれ千年以上生きている凄いヤツなのだが、物心つく前からいつもそばにいた俺にとってはどの辺がすごいのかいまいちピンと来ない。それは・・・
「貴之さん。お腹空きましたねえ」
なぜかすでに俺が背負ってきたリュックをあさりながら聞く美々子。
「いや、別に」
「それでは、お昼の残りのおにぎりを食べましょうっ」
この、「天然」(としか言いようのない性格)である。なんなのだ、この小学生のような行動パターンは。
これでこいつを偉大だ、と言う奴がいたら、俺はそいつとは仲良くなれそうにない。
「貴之さんは梅干がいいですか?」
「・・・・」
美々子の言葉を無視し、俺は村を見渡す。
目線を水平に動かしても、見えるのは比較的背丈の低い山々のみ。
そんな山々に囲まれたその村は、まさに陸の孤島と言った感じだ。といっても、もちろん電気はきている。
・・・たぶん。
小さく見える、道行く人々は皆それぞれ手に何か持ち、水田の稲穂の間を歩いている。鋤や鍬などの農具が中心だが、なかには学生鞄を持った高校生らしき人影も見える。
下校途中のようだ。日はもう傾き始めていた。
(・・・急いだほうがよさそうだな)
俺は宿を探す前に、一番強く気を感じる場所に行ってみることにする。
「ほら、行くぞ」
俺は荷物を背負い立ち上がり、歩き始めた。
「あーん、待ってくださいよぅ」
美々子はお握りを一生懸命頬張りながら、あわててついてくる。
――あの具はオカカか・・・
―――その「気」を初めて感じたのは、半月ほど前だった。
普通の学生と同じように学校生活をエンジョイしていた俺に、それは、突然やってきた。
さわやかな秋風をかき消す、ありえない量の、膨大な気。それは一瞬で消えたが、とりあえず、未熟者の俺にだってはっきりわかるほど、それはヤバかった。
ここで一つ訂正させていただくが、一般常識として「陰陽師は滅びた」とされているが、それは正確に言えば間違いである。
今も、古より伝えられし秘伝の技を守り続ける一族、そして全国の一族達によって作られた「組織」が、ごくごく少数ながら、存在する。
そして一応、陰陽師の末裔である俺も、一応そこに所属している。ほとんど強制的にだが。
表向きには存在していないことになっているが、その影響力は意外と大きい。まだまだ科学の力だけではどうしようもないことが、多々あると言うことだろう。
そこでなんとなく胸騒ぎを覚えた俺は、あの強力な「気」について「組織」に問い合わせてみた。
「組織」でも、もちろんその「気」は観測されていた。が、あまりに強力すぎて発信源が正確に特定できないと言う。
そこで俺に指令が下った。
「一刻も早く、「気」の正確な発信源を突き止めて来い」
つまり俺は、人手不足から、「気」の発信源調査隊に組み込まれたのだ。
――正直、まだまだ「見習い」である俺を組み込むなんて、信じられなかった。
それほどまでに「組織」が人手不足であり、今回の発信源の特定が急を要する、と言うことだが。
そして3日前、ついにその莫大な「気」を発したらしき一帯を特定したのだが、それでも山脈まるまる収まりそうな広大さだった。
そりゃまあ、日本列島よりは狭いけどさ。
・・・話の次元が違うな。
長い階段を上り、開けた視界にあるのは、この村唯一の神社だ。
神社への参拝道の両脇には紅葉に燃えるもみじが植えられている。
しかし、夕暮れ時の神社で、真っ赤なもみじは明らかに鮮烈すぎた。
対照的に、色彩のない空間は、わびさびすら感じさせる。
そこには、ただ単に虚無だけが満ちている。
人影はない。しかし、そこには明らかに「異界のもの」がいた痕跡があった。
真っ黒い、「気」が漂っていた。
(やっぱりここなのか・・?それにしては弱い気もするけど)
「美々子、お前はどう思う?」
隣の猫に問いかける。
「にゃあ」
「・・・・・」
とりあえず辺りを探してみる。しかし、何もない。
(おかしいな・・・。もう少し探してみるか)
本堂近くの枯れ草の茂みも調べてみる。
ガサガサ、ガサガサ
「何か、お探しですか?」
「!!」
突然の声に、思わず振り向く。
「こんにちは」
落葉が舞い散る石畳に、誰かいる。
純白の衣と真紅の袴を纏った、巫女さんだ。ここで働いているのだろうか。
(もしかして、俺はものすごく恥ずかしいところを見られたのでは)
「・・・・・」
言葉が出ない・・・
そんな、あからさまに怪しい俺の様子を気にすることなく、やわらかい笑顔を浮かべる。
「お困りでしたら、お手伝い致しますが」
巫女さんは片手になにやら紙袋を持ち立ち尽くしているが、特に警戒する様子もない。
すると、足元の美々子に気づいた。
「わあ、かわいい猫ちゃんですね。名前はなんていうんですか?」
巫女さんは少ししゃがみ、美々子を抱き上げる。そして、上目遣いでこちらを見た。
「ご用件でしたら、私が伺いますが?」
「いえ、出直します・・・、行くぞ、美々子」
巫女さんに背を向け、帰ることにする。
「にゃ?にゃーにゃー!」
美々子は置いていかれまい、と必死に手足をじたばたさせていた。
「・・・あの、もしよろしかったら」
背後からかけられる巫女さんの声。その声に俺は、はた、と立ち止まり、振り向いた。
巫女さんは少し迷ってから、
「一緒に、草餅を頂きませんか?」
彼女は片手に持っていた紙袋を少し掲げて、微笑んだ。
「・・・はぁ」
と窓外の出来事に、面食らってしまう
(草餅は、たしかにうまいと思うが・・。なぜ?まさか、俺が実は甘いものに目がないと見抜かれているのか?)
「にゃあ」
どこかで猫の肯定する鳴き声が聞こえたようだが、とりあえず無視する。
俺が無言でいると、巫女さんは、俺が迷惑に感じていると思ったのか、慌てて言う。
「あ、いえ、お忙しいのでしたら引き止めませんが、ただ・・・」
(・・・ただ?)
「なんだか、疲れているご様子でしたので・・、それにもみじが、いまいちばんの見ごろなんですよ」
巫女さんは、にっこり笑い、辺りのもみじに目を移す。
俺も思わず周りを見渡す。確かに、もみじがきれいだ。
それを肯定と取ったのか、
「では、お茶の準備をしますね」
言うと、彼女は少し小走りで本堂に向かう。どうやら完全に、断るチャンスを逃してしまったようだ。
・・・しかたがない。
とりあえず、俺も本堂に向かう。
その神社はなかなか歴史を感じさせる、由緒ある神社のようだった。造りも本格的だし。
長い年月をかけて作られた迫力が、そこはあった。
「・・・?」
縁側あたりで立って待っていると、いやに石碑の類が目に付くことに気付いた。そんなに多くの神を祭っているのだろうか。
「お待たせしました」
しばらくして、巫女さんが盆に草餅と緑茶を乗せてやってきた。
「どうぞ、こちらに座ってください」
と、自分の隣を示す。俺はそこに腰掛け、
「はい、どうぞ」と差し出された緑茶を、右手に受け取る。
「あ、そういえば」唐突に、彼女は気付く。
「聞くの忘れていました。草餅はお好きですか?」彼女はちょっと不安そうに聞く。
(なんか、いまさらだよなぁ)
「はあ、まあ・・」俺は心中では苦笑しつつ、答える。
すると、彼女の顔は屈託のない笑顔に変わる。
「そうですか、良かったです。だったらきっと、この草餅は喜んで頂けると思いますよ。トヨおばあさんの草餅は、この村で一番おいしいと評判なんですっ」
彼女は、ニコニコ、と草餅を薦めてくる。
(そうなのか。それはうまそうだな)
さっそく一つ食べてみる。それは、一言ではとても言い表せないが、あえて言うなら・・・
(・・・うまい)
それは文句なしに、うまかった。
「どうです?お口に合いました?」
俺は、なんの躊躇いもなく答えた。
「うまい」
それを聞くと、彼女は微笑む。そして正面に視線を移し、目を細めた。
「・・・もみじがきれいです」
「そうだな」
俺は草餅を食べながら、相槌を打つ。しかし、ほんとにうまいな。
目に鮮やかなもみじも、食欲をそそる。
「草餅もおいしいです」
「そうだな」まったく、その通りだと思う。こんなにうまい草餅は初めてだ。
「あなたは、ただの旅人ではありませんね」
「そうだな」まったく、その通りだ。
「・・・・」
突然訪れる、無言。
(ん?いまなんて言った?)
思わず彼女を見ると、彼女はいつの間にかこちらに向き直っていた。
その目は、今までの和やかなものとは180度違う、見る者の正体を探る、鋭い瞳だった。
「わたしの思い違いだったらごめんなさい」彼女は、真剣な口調で言った。
「でも、なんとなくですが、感じるんです。あなたは、なにか特殊な力をお持ちでないですか?」
「・・・・」俺は考える。
これは、やはりこの巫女さんが霊的な家系の人間である、ということなのだろうか。
もしかしてバイトなのでは、と侮っていた自分を叱る。
俺は、思い切って聞いてみることにした。陰陽師・荒川 貴弘として。
「遅れて申し訳ない、私は陰陽師の荒川貴弘いう者です。実はこの地に強い『気』を感じたので、調査していました。なにか心当たりがあれば教えて欲しいのですが・・・」
「はあ・・・「気」ですか・・・?」
突然の変わり様に、巫女さんは戸惑ったようだが、真剣なのは通じたようだ。
「ええ、この10年で最大級の、邪悪な気です」俺は仕事口調で説明する。
「??」
今度は巫女さんが困惑する。わけがわからないようだ。
(ん?おかしいな)
この神社の神主の家系ならば、「気」がどんなものであるか、ぐらいは知っているはず・・・
(やっぱり、ただのバイトかなにかだったのか?)
結構恥ずかしい。この話は、一般人にとっては、気違いの戯言にしか聞こえないだろう。
・・・しかし、神主本人ならば話を理解してくれるはず。
俺は最期の希望を賭け、聞いてみる。
「えっと・・・この神社の神主さんはどこに?」
「ああ、おじいちゃんなら今出かけています」
(直系かよ!!)
あまりに何も知らないので、この神社にあまり関係のない、一般の学生のバイトさんかと思っていた俺は、つい突っ込んでしまう。
俺は溜息をついて、いつもの口調に戻して、聞いた。
「神主さんはいつ戻る?」
「さあ・・・、少なくとも今日は帰って来ません」
急に口調を変えたのを気にせず、巫女さんは答える。
「うちのおじいちゃん、いま隣村に行っていて、二三日は戻って来れないんです」
このところいつもこんな感じで・・・巫女さんは申し訳なさそうに言った。
(これは、出直すしかなさそうだ)
残りの草餅を口に放り込みながら、たちあがる。
「また明日伺います」
「え、そうですか?すいません、お役に立てなくて・・・」
俺はその場を後にする。
しばらく、彼女の釈然としない視線を背中に感じながら―――
鳥居をぬけ、神社の石段降りる途中、下から上ってくる人影があった。
見たところ、女学生のようだ。高校生か?
活発な感じの、ごくごく普通の女子高生と言った感じだ。
女子高生が、今の時間、神社になんの用なのだろう?
タッタッ、と駆け足気味に石段を登ってきた女子高生が、すれ違う。
すれ違いざま、彼女がチラリ、とこちらを見てきた。
不思議がって観察していた俺と、思わず目が合ってしまう。
彼女は驚き、思わず上(神社の方)を見、そしてもう一度俺を見、そしてなにを思ったのか、
にやり、と笑った。
それはまさに、何か楽しいことを考え付いた、子供のような笑いだった。
彼女はそのまま駆け足で石段を登っていく。
「??」
ワケがわからん。
とりあえず、石段を降りることにする。
「にゃーーー」
美々子が、一度鳴いた。
日もほとんど沈み、辺りが急に色を失いだした頃。
しばらくはこの村で調査が必要と判断した俺は、「組織」にその旨を報告することにした。同時に宿の手配などを要請したのだが、驚くことにすぐに民宿の住所が返ってきた。今夜は野宿を覚悟していたので、これは正直うれしい。
さっそくその民宿に行ってみる。
地元の住民に尋ねつつたどり着いた、それはごく普通の民家を改修した、まさに民宿だった。結構古い。
ガラガラ、と扉を開け、中に入る。
「すいませーん。誰かいませんかー?」
「にゃー」
「はーい」奥から声。ほどなく、声の主が現れた。
まだまだ若い、美人若女将といった感じの女性だった。
「ようこそいらっしゃいました。私、ここの女将をしております、高瀬典子と申します。「組織」から話は伺っております。・・さ、どうぞこちらへ」
一礼し立ち上がると、廊下を先導して歩き始めた。
俺もあとに続く。
「あの、「組織」とはどういう関係なんですか?」
こういうふうに任務で外泊するときなどは、「組織」に何らかの係わり合いのある施設に宿泊するのが普通だった。
「いえ、以前悪性変異した鬼に襲われたときに、組織の方に助けていただきまして。それ以降はこうして組織の支援者の一員として、家族総出で援助させていただいています」
「家族総出で・・・ですか?」
「ええ、家族全員で襲われたものですから・・・、と言っても、今は私以外の全員がこの村の外に出払っていますが。・・・こちらの部屋をお使いください」
通された部屋は、なかなかの絶景だった。
「いいんですか?こんないい部屋にしてもらっちゃって」
「もちろんですよ。組織には命を助けてもらったのですから、これぐらい当然です。それに最近はお客さんもあまりいないので、存分に羽根を伸ばしてもらっていいですよ」
俺は荷物を降ろし、もう一度窓の外を見る。
「食事は原則として、朝食が朝八時、夕食が午後七時となっています。でも、任務の最中などでその時間に合わせられないときや、昼食が必要なときには、お申し付けください。なにか持ち運びできるものをお作りします」
典子さんは、はきはき、と必要事項を説明する。
「お風呂は一階の大浴場をお使いください。朝五時から夜十二時まで、ご利用になれます」
「わかりました」
「では、ごゆるりとおくつろぎください」
典子さんは一礼すると、去っていった。
「・・・なあ、美々子」
「なんでしょう。貴弘さん」
典子さんの気配が完全に消えたのを確認して、猫から人間の姿に戻る美々子。
「さっきの神社、どう思う」
ちょこん、と美々子は俺の隣に座った。
「えーと、もみじがきれいでした」
ぽかっ
「いたっ。冗談ですよう」
「ほう、じゃあ真面目に、あの神社、どう思った」
「草餅がおいしそ・・・」
右の拳を少し上に上げる。
「・・・やはり、今回の事件に、なんらかの関わりがあると思います」
「お前もそう思うか」
俺は右手をさげる。その様子にほっ、と胸を撫で下ろす美々子。
「疲れたことだし、夜に備えて、風呂に入って一眠りしよう。美々子はどうする?」
人間の姿とはいえ、頭にネコミミ、お尻にシッポが付いている美々子は、人に姿を見られるわけにはいかない。
「わたしは夕方のうちに村を一周してきます。情報収集も兼ねて」
再び猫の姿に戻る美々子。
「わかった。気をつけてな」
「はい。まかせてください」
美々子は夕焼けに燃える人里へと、駆け出して行った。
その夜、体力が回復した俺と、情報収集を終えた美々子は、今後の方針について話し合っていた。
「・・・最近頻繁に起こる怪事件?」
思わず問い返す俺。
「はい、なんでも怪物に襲われたとか」
それにせんべいをかじりながら答える美々子。
「怪物だと?どんな」
「角の生えた鬼のようなヤツや、骸骨のようなヤツなど、複数種いるようです」
そこまではっきりわかっているなら、決定的だな。
「やはり、「黄泉の門」が開きかけていると見て、間違いなさそうだな」
はい、と頷く美々子。・・・ついでに次のせんべいに手を伸ばす。
「しかも、いままでは真夜中にしか出現していなかったのが、最近になるにつれて、出現時間に幅が出てきています」
出現時間に幅が出ていると言うことは、敵の活動時間が日増しに増えている、ということだ。
「この問題は現在進行形、ということか。まずいな・・・、この地の「気」が本部の言っていた「邪悪な気」だと言えそうか?」
美々子は、少し小首をかしげてから言う。
「そうだ、というにはまだ情報が足りないと思います。でも、この地の「気」が強大で、しかも現在悪性変異していることは、間違いないですし・・・」
チラリ、とこちらのようすを伺う美々子。
む、それは・・・
「この怪事件は、俺達で解決しようっていうのか?」
コクリ。
ま、そんな予感はしていたが。
「・・・そうだな、この地の「気」が「邪悪な気」かもしれないワケだし」
今のところそんなに危険なレベルではないようだし、じっちゃんへの連絡はもう少し調査を進めてからでいいだろう。
パアァと、表情を明るくする美々子。
「そ、それでは・・・」
「ああ、さっそく明日からこの村の調査を・・・」
「わあ、カマドウマさんだ―――っ」
すかさず俺の背後に飛び込む美々子。
「・・・はじめる・・か・・・」
「見てください、見てください貴弘さんっ!!」
なにが嬉しいのか、はしゃぐ美々子。
「カマドウマですよ、カマドウマっ!こんな寒いところにもいるんですねぇ」
「・・・そ、そりゃカマドウマぐらい、いるんじゃないか」
ものの見事に、話の腰を折られてしまった。
美々子はカマドウマをつつく。
「このあいだ、荒川家の屋敷にいたやつの親戚ですかねぇ」
「さあなぁ・・・って、いたのかウチに!?」
「いい子ですねぇ、よしよし」
無視ですかっ。
「カマドウマって、なに食べるんでしょうね。魚肉ソーセージは食べますかね」
いや、ソーセージは無理だろ。口の構造的に。
「ほーらほら、わたし秘蔵の本マグロ100%使用の、スペシャルな猫缶ですよー。」
荷物から取り出した猫缶を、カマドウマに差し出す美々子。
その荷物、俺が運んだんですけど。
「さようならー」
しばらくして、美々子はカマドウマと明日も会う約束をし、別れた。
カマドウマと会話が出来たのか、こいつは。
「さて、なにか話の途中だったような・・・。はて、なんでしたっけ?」
首を傾げる美々子。
俺はガクリ、と首をうなだれてしまう。
「お、お前と言うヤツは・・・」
「?」
まあ、ここはとっとと先に進もう。大人の余裕というやつだ。
「で、なんでしたっけ?」
「だから、この地の「気」について。明日村の調査を―――」
「すいません、その話、長くなりますか」
くっ、こ、こいつは・・・
いや、いやここは我慢だ。俺は大人だ。俺は余裕なんだ!
「まあ、そこそこ」
「じゃ、お茶入れますね。貴弘さんはやっぱり緑茶ですか?」
美々子は、さっそく腰を浮きかける。
「―――いや、やっぱりそんなでもない。だからお茶はそのあとだ」
俺は即刻、襟首を掴んで引きずり戻し、美々子の野望を阻止する。
「なんだ、そうなんですか・・・」
美々子は心底残念そうだ。
そんなに淹れたかったのだろうか。
結局、明日の調査では、霊的な力の強そうなところを中心に、行うことにした。
たとえば、昔からの森や山。これらはやはり、ダントツに多く神や精霊の類が住んでいる。
あとは、古い建物。年月を経れば、たいていのものには霊的な力が宿るものだ。また、人外のものも寄り付きやすい。たとえば、廃病院や学校、旧家など。
そして、神社などの思想や宗教関連の施設。
あの神社にも、また明日行く必要があるだろう。
それにしても、あそこで感じた「気」はなんだったのだろう。確かに「悪性」の「気」ではあったが、「邪悪な気」にしては弱すぎる気もする。
そもそも、「悪性の気」というものはそんなに珍しいものでもない。
人間だって、「不」の感情を持つ人は、少なからず「悪性の気」を出しているし、光があるところに影があるように、この「悪性の気」で動いている裏社会があるのも事実だ。
今回のことの発端は、その「悪性の気」の馬鹿でかいヤツが観測された、ということなのだ。
そう、今の「善性」がベースの世界を、「悪性」ベースに作り変えてしまえるぐらいに、それは強力だった。
それはすでに「悪性」どころではなく、「邪悪」、「極悪」といった、「悪意」の塊でしかない。
新米の俺までが駆り出されたのは、その辺が理由だ。
「組織」も世間体を気にする余裕をなくすほど、今回の「邪悪な気」はどデカイのだ。
・・・正直、俺みたいな半人前が一人や二人いたところで、歯が立つ相手ではない。
まあ、見た感じこの村には「邪悪な気」の『元』はいないようだ。起きている怪事件も俺の対処できる範囲みたいだし、問題はあるまい。
なにか問題があれば、連絡用の式神を飛ばせばいいだけの話だ。
「邪悪な気」のせいで、式神の実体化がしにくくなっているので、出来ればやらないに越したことはないのだが。
とにかく、しばらくこの村の調査をすればわかることだ。
俺は明日に備えて、早めに寝ることにした。
「いってらっしゃいませ」
次の日、俺は美々子と若女将に見送られ、宿を出発した。
美々子は精一杯背伸びして、手を振っている。
完全に人間の姿にならない美々子は、当然留守番だ。もちろん、村の探索はしてもらうが。
そして俺は、また別の目的地を目指していた。
話は今日の早朝まで遡る・・・
まだ陽も出ていない深夜。山歩きやその他もろもろの疲れのせいで、熟睡していた俺は、突然の圧迫感に覚醒を余儀なくされた。
仕方なく目を開けると、そこには馬鹿でかい狛犬がいた。
多少の「悪性の気」の干渉などものともしない、通信・伝達用としては最強の式神だ。
「・・・おい。ふざけるなよ」
しかし、寝起きが最悪な俺は、そんなことまったく気にしない。
問題なのは、こいつが俺の安眠を妨害したこと、その一点のみ。
「・・・で、なんの用だ」
そいつは、人間の声で答える。かなり年配の男の声だ。
「相変わらずのようだな。貴弘」
しかも、その声には聞き覚えがあった。
最強の式神を使い、しかも知り合いとなれば、該当する人物は一人しかいない。
「貴信ジジイか。俺の寝起きが最悪なのを承知で、よくもやってくれたな」
たとえ相手が俺の祖父で、しかも「組織」の会長だとしても、今の俺には関係ない。
問題なのは、こいつが俺の安眠を妨害したこと、その一点のみ。
「まあまあ、気持ちよく寝ていたのを邪魔したのは、申し訳ない。じゃが、これは急を要する事態なのだ」
「ほう。俺の安眠より重要、と?」
「もちろんだ」
断言する祖父。
「・・・んなもの、あるかぁーーーー!!」
今の俺にとっては、安眠より重要なものなど存在しなかった。
「命!起きろ!」
近くに転がっていた命を揺さぶる。
しかし、命はピクリ、とも反応しない。
まるで屍のようだ。・・・くーくー、と寝息が聞こえるが。
「くそっ!我が名、貴弘の名において律するっ!御珠上 命!今すぐヤツを千切りにしろぉ!!」
強制的な力によって、無理やり起き上がらせられる命。
「・・・うにゃ?」
「いかん!!「縛」!!」
しかし、祖父の呪術によって、その場でぴたりと動きを止められてしまう。
「にゃ??」
かかった!!それは囮だジジイ!!
「臨兵闘・・・!」
俺は呪符による攻撃を行うために、詠唱をはじめる。
「まさか、ここでやりあうつもりか?!阿呆が!!「隔絶」!!」
祖父の声を合図に、部屋の床、壁、屋根が次々と色を失っていく。
「隔絶」とは、陰陽道の呪術のひとつである。
付近一帯を切り取り、別次元に置き換える呪術で、これが効いている間に起こった事象を、俺達の住む世界にまったく反映させないためのものだ。
この呪術のおかげで、ある程度派手なドンパチをやっても、世間に気付かれないというわけだ。
この呪術にはある程度の熟練が必要なのだが、祖父は一瞬にして発動してしまった。
修行が足りないなどと言っている俺とは、まるで次元が違う。
「発動!!その身を燃やし尽くせ!!」
式神に向けた呪符から赤い炎が燃え上がる。
「・・・ふん、『縛』」
祖父の、一言。
耳鳴りが―――した気がした。
瞬間、俺の身体は炎もろとも身動きが取れなくなる。
・・・んな、馬鹿な。
「『解』、と。頭は冷えたか?」
呪符から出ていた炎が消え、完全に無力化されるころには、俺は完全に醒めていた。
「あ、ああ。それよりもどうしたんだ、こんな時間に。いくらなんでも非常識だろ」
俺は乱れた布団を直し、転がっていた美々子をちゃんと布団に寝かしながら、聞いた。
「非常識なのは承知しておる。じゃが、お前が今日からしばらくこの村を調査すると聞いてな。幹部会の検討の結果、明日から調査しやすいように、お前には特別な処置がされることになった」
・・・特別な処置?
「お前、明日から村の高校へ行け」
「・・・はい?」
あまりに予想外の言葉に、反応が一瞬遅れてしまう。
「出続きなどはもう済んでいる。なぁに、『組織』の力を使えばこのくらい、屁でもないわ」
かっかっか、と愉快そうに笑う式神。
「登校は朝八時半。学校までは歩きになるだろうから、早めに出た方がいいだろう。場所はこの民宿の若女将に聞くといい」
美人だしのぉ、と一言付け加える祖父。
「・・・」
いくらなんでも急すぎる。さては・・・
「会長特権使ったな、じっちゃん」
「・・・さてと」
立ち去ろうとする式神。
「ま、待てよ。話はまだ・・・」
式神は姿勢を低くして、
「かっかっか、生きて帰って来るのじゃぞ!」
疾風の如く、駆け抜けていった。
というわけで、俺は村はずれの高校に通うことになった。
制服はというと、なぜかすでに典子さんが用意してくれていた。
「おはようございます。はい、制服です」
「・・・」
―――いくらなんでも、準備良すぎないか?
村の学校は、小学校と中学校が一緒の校舎で、なぜか高校の校舎と一緒の敷地内にあった。しかもこれで近隣唯一の学校だという。
受験落ちたらどうするんだろう・・・などという馬鹿なことを考えているのは、きっと俺だけだ
「・・・というわけで、今日からみんなと一緒に勉強することになった荒川 貴弘君だ」
担任教師の簡単な説明が終わり、俺の名前が呼ばれた。
「・・・よろしく」
俺は軽く頭を下げた。
教室を見渡してみる。
かなり年季が入った校舎だ。しかも教室にいる生徒は15人前後。
もちろん、知り合いなどない。
・・・いや、いた。
俺が教室に入ったときから、こっちを見ている一人の女子。
昨日の巫女さんだった。
彼女はなにか、探るような視線をこちらに向けている。
「では、荒川君は席についてくれ。別にどこでも構わないが・・・。じゃあ、そうだな・・・、窓際の、あの席にでも着いてくれ」
指示された席は、なんと件の巫女さんの隣だった。
・・・念のために言っておくが、もちろん彼女が今着ているのは制服である。
「これから、よろしくおねがいします」
俺が席に着こうとすると、彼女が声をかけてきた。
「こちらこそ、よろしく」
とりあえず、無難に挨拶を返しておく。
「私は一ノ瀬といいます。もう知っていると思いますが、村はずれにある神社の神主の孫娘です」
俺は素直に「珍しい名前だな」と思った。
「ではテキストを開いて」
黒板では教師の板書が始まっていた。チョークの削れる音が、教室に響く。
「ねえ、テキストの何ページ開けばいいか、教えてくれない?」
「86ページです」
なんだか彼女の態度が昨日と違い、素っ気無い。
・・・俺、何かしでかしたか?
黒板を見つめながら、昨日出会ったときのことを思い出してみる。
すると、またこちらを見つめる視線を見つけた。
昨日神社の帰りにすれ違った、あの女生徒だ。
「はじめまして、荒川君!私は有坂 花梨、昨日神社ですれ違ったの、やっぱり荒川君だよね?」
休み時間になった途端、女生徒が話しかけてきた。
「ああ、そうだけど」
「やっぱり!じゃあ引越し早々、砌を口説き落としたわけね。やるぅ!」
「な、」
「いや、別にそういうわけじゃ・・・」
俺はもちろん、一ノ瀬まで驚く。
「別に隠さなくてもいいんだよ?砌可愛いし。それにあの巫女装束・・・たまらず勢いで、って言うのもわかるよ」
たまらず勢いでってな…。
「残念ながら、違う」
「ホントにホント?」
当たり前だ。
「・・・・・・」
「なんだ、ホントにそういうわけじゃないのか」
本当に残念そうだ。
「あ、あたりまえでしょう!」
顔を真っ赤にして言い返す一ノ瀬。
すると、花梨はチラリ、と砌を見て、ふーん、と意味ありげに微笑し、
「ねえ、今日のお昼一緒に食べない?」
そう、切り出した。
俺と一ノ瀬と花梨は、屋上で一緒に弁当を食べている。
ちなみに俺達一年の教室は一階、この屋上は三階の上。しかも、今は秋の中ごろ、これからさらに寒くなる時期だ。事実寒い。
そんな屋上には、もちろん人影は俺達以外いない。僅かに生えている草も、これからの冬の到来に向け、静かに色を吐き出していた。
その隅に、俺達は三人並んで座っている。
まず右端に俺こと荒川貴弘、その横に花梨、そして花梨を挟んで向こう側に一ノ瀬。
三人は全員弁当を持参していた。昨日のうちに典子さんに弁当を作ってくれるよう、頼んでおいたのだ。
まさか学校の校舎で食べることになろうとは、思っていなかったが。
『久々の自信作ですので、きっとおいしいですよ』と太鼓判を押していただけあって、美味い。
しかし、その場の雰囲気のせいで、せっかくの美味い弁当もなんとなく味がしない。
その原因は一ノ瀬にあった。
「ねえ、荒川君は、今はこの村に住んでいるんでしょ?ここに来る前はどこにいたの?」
「東京。まあ郊外だけど」
「へえ東京かぁ、いいなあ。ねえ砌?」
「じーーーー」
「・・・・」
な、なんかずっとこっちを見ているのですが。ホントなにしでかしました?俺。
「・・・ねえ?砌?」
「え?なに?」
ハッ、と花梨に向き直る一ノ瀬。
「・・・もういいよ」
あきらめの溜息をつく花梨。
「ごめん、ちょっと考え事していただけなの」
「・・・」
花梨は不満そうに顔を背けている。
「ねえ花梨、許して・・・、ね?この通り」
頭を下げる一ノ瀬。
「っ・・・・あははは」
すると、突然花梨が笑い出した。
「ははは・・・、そんなんで怒るわけないじゃん。砌はホントいじりがいがあるよ」
「も、もう!なによそれ」
ぷう、とむくれる一ノ瀬。あはは、と腹を抱えて笑う花梨。
本当に仲がいいのだな、と思った。
さっきまでのどこか緊張感に溢れた雰囲気が、どこかへ行ってしまった。
よし、これで美味い弁当が美味く食べられるってもんだ。さて、さっそく取っておいた卵焼きを・・・
ひょい。ぱくっ。
「・・・・・」
「もぐもぐ。ねえ、可愛い女の子が二人可愛くじゃれ合っている隣で、貴之君はひとり黙々とお食事ですか」
お、俺の卵焼きが・・・
「まあいいわ。卵焼き、おいしかったから許してあげる。それじゃ、邪魔な私は退散するとしますか」
弁当箱を片付け立ち上がる花梨。
「え、どこか行くの?花梨」
「うん、ちょっとね、ヤボ用。・・・私がいない隙に、二人で存分に青春してね?」
「ま、また花梨は!」
一瞬で顔を真っ赤にして抗議する一ノ瀬。
花梨は、ウィンクしながら投げキッスする。
「あはは、冗談―。じゃ、また後でねー」
さっさと階段に消える花梨。
「・・・・・」
ああ、せっかくどこかに行っていた緊張感みなぎる雰囲気が・・・戻ってくる・・・
「じーーーー」
「おい、いいかげん・・・」
「あなたは、本当は何者なんですか」
唐突に口を開く一ノ瀬。
「え?」
「昨日の意味深な言葉といい、昨日までは何も聞いていなかったのに、今日になって突然転校生が来るなんて・・・不自然だと思いませんか?」
まあ・・・確かに、不自然だ。
「どうなんですか?」
しかし、ここで真実を話しても、信じてもらえないだろう。それに関係のない一般人を巻き込みたくない。
「・・・すまない。君達は知らないほうがいいことなんだ」
「な、なんですかそれ。答えになってませんよ」
一ノ瀬の視線がさらに険しくなる。
しかし、これは命に関わることだ。絶対に口に出すわけには行かない。
「すまない」
仕方なく、俺は頭を下げる。
「・・・・・」
「でも、君達に危害を与えるような者じゃない。それだけは信じてくれ」
頼む、とさらに深く頭を下げる。
「・・・・・わかりました。信じてあげます」
頭を上げると、彼女が微笑んでいた。
「その代わり、もし嘘だったらひどいですよ?おじいちゃんに頼んで、一ノ瀬家に代々伝わる一撃必殺の呪いを百回プレゼントしちゃいます」
・・・百回死ねってことですか。
「あなたは東京から転校してきた、私達の新しいクラスメート。それ以外の何者でもない」
彼女は立ち上がりフェンスのそばに行くと、一度眼下に見える町並みを見、振り返る。
「・・・それでいいですか」
「ああ、すまない。君達には決して迷惑はかけない」
・・・そうだ。それでいい。
俺もしっかりと彼女を見る。
「じゃあ、この話は終わりです」
彼女は瞳を閉じた。そして、再び開いたときには、その瞳に疑惑の色は浮かんでいなかった。
「はやくお弁当食べちゃってください。お昼休み終わっちゃいますよ?」
見ると、彼女の弁当箱はいつのまにかカラフルなバンダナに包まれ、彼女の手の中にあった。
・・・いつの間に食べ終わったんだ?
「それでは」
俺は彼女の弁当箱に注がれた視線を一ノ瀬に向ける。
「疑いが晴れたところで、改めて自己紹介します」
彼女はそびえる山々を背後にし、やわらかく吹く風を受けつつ、口を開く。
「私は一ノ瀬 砌。これからよろしくおねがいします」
「俺は荒川 貴弘。こちらこそよろしく」
俺たちは今、やっと自己紹介できた。
そんな気がした。
「ところで今日、君の・・」
「クラスメートなんですから『一ノ瀬』でいいですよ。正直、貴方が『君』なんて、合っていません」
彼女はクスクスと笑う。
「わかった。じゃあ、一ノ瀬」
「はい、やっぱりその方が合っていますよ。・・・それでは先に教室に戻りますね」
言うと、彼女はくるり、とこちらに背を向け、階段のほうに歩いて行ってしまった。
「・・・・・」
『今日の放課後、また一ノ瀬神社に行ってもいいか』と聞くつもりだったのだが・・・
まあ、多分今日も神社にいるだろうし、今日は神主も帰ってきているだろう。
キーン、コーン、カーン、コーン―――
そのとき、午後の始業を告げる鐘が屋上に鳴り響いた。
午後の授業は特に何もなく終わった。
ただ、休み時間毎によほど転校生が珍しいのか、多くのクラスメートが俺の机を包囲したことを除いては。
「ねえねえ、前の学校ってどんな感じだったの?」
「東京って美味いものいっぱいあるんだろ?」
「身長は?」
「体重は?」
「スリーサイズは?」
俺は一度だけ答える。
「すまん。スリーサイズは測ったことないから知らん」
そのせいで昼休みの後、一ノ瀬や花梨と話すことが出来なかった。
これから神社にいけば一ノ瀬とは会えるだろうが・・・
放課後、クラスメートの包囲をかいくぐって学校を出たときには、すでに一ノ瀬と花梨は下校した後だった。
仕方がないので俺も下校することにする。
校門には、ほかの下校する生徒がたくさんいた。その内訳は小学生から高校生までいろいろだ。まあ、同じ敷地内なのだから、当たり前なのだが。
唐突に、美々子の好物のマタタビを切らしているのを思い出す。確か、民宿に向かう道の途中に商店街があったはずだ。ついでに買っていくことにしよう。
俺の足は自然と速まっていた。
村の商店街はこの村のメインストリート的な場所なだけあって、ほかの場所よりは建物も多く、活気があった。ただ、それはこの村では、という意味であり、東京の街中などとは比べ物にならないような人数だ。
「まさかマタタビが八百屋で売っているとは」
そのなかを俺は軽い驚きを感じつつ、歩いていた。
小さな商店街なので、マタタビが売っているか少し心配だったのだが、なんとか見つけることが出来た。むしろ時間がかかったのが、マタタビを売っている店を探すことだった。
こんな辺境の村には、デパートはもとよりコンビニやスーパーの類はあるはずも無い。そのことに気付いたのは、商店街に着いてしまってからだった。
といっても、せっかく寄ったのにそのまま帰るのはどうかと思ったし、マタタビを切らしているのは事実なので、とりあえず探してみることにした。
そして探すにあたって、マタタビは人間の食べ物ではないという知識から、八百屋や魚屋といった食べ物を扱う店は最優先で探す対象から除外してしまったのだ。
結果、商店街を2,3周してしまった。すでに俺は商店街マスターと言っても過言ではあるまい。
―――この商店街のことなら俺にまかせてくれ―――
・・・なんか違う気もするが。
そんなくだらないことを考えていると、向こうから見覚えのある人影が自転車をこいでくるのが見えた。商店街の入り口くぐった彼女は
「花梨じゃないか」
今日からクラスメートになった有坂 花梨だった。
「あ、貴弘くん」
俺に気付くと、花梨は自転車を降りこちらへ歩いてきた。
「どうしたの?こんなところで」
自転車を押しながら、彼女は聞いた。
「いや、ちょっとマタタビを買いに」
「え、マタタビ?」
不思議そうに問う花梨。
「そんなもの買ってどうするの?・・・まさか―――食べるとか!?」
花梨は大げさに驚いてみせる。
「食うかっ!・・・俺、猫飼ってるんだよ」
「あはは、冗談だよ、冗談。へえ、きみがペットを飼っているなんてね」
花梨は珍しいものを見るような目で見てきた。
俺はその仕草に軽い反発を覚える。
「な、なんだよ、俺がペット飼ってちゃ悪いか」
「いや悪いってわけじゃなくて、・・・ちょっと意外だっただけだよ」
彼女はそういうと、なぜか顔をそむけてしまった。
「花梨こそどうしたんだ?村の外から来たみたいだけど」
「え?」突然話を振られて驚く花梨。
「いや、この道村を貫いている一本道だろ?学校は反対側だし、だとしたらやっぱり村の外に行っていたのかなって」
「・・・うん、まあ・・・」
突然歯切れが悪くなる花梨。
「悪い、聞いちゃいけないことだったか」
謝る俺。考えれば、いくら俺が商店街を彷徨っていたとはいえ、まだ学校が終わってからそんなに時間は経っていない。つまり、かなり急いで村の外まで自転車を飛ばし、帰ってきたことになる。
「う、ううん。そういうわけじゃなくて。ただ、ちょっと風邪をひいちゃって、それで医者に行っていただけだよ」
俺はそのときになって、はじめて自転車のなかに、薬のはいった小さな紙袋があることに気付く。
「だったら、わざわざ自分で行かないで、家族の人に任せて家で寝ていたほうが良かったんじゃないか?風邪、悪化しちゃうだろ?」
とはいったものの、見た限りでは、花梨は健康そのものに見える。
「ありがとう。でもいいんだよ、これから家に帰って休めば直るよ」
そう、弱々しく微笑んだ。
「そうか、悪い、引き止めちゃって。つらいなら家まで送ろうか?」
「大丈夫だよ、これくらい。それじゃあ、また明日ね」
花梨は自転車に乗り込むと、商店街の出口へとこいでいく。
俺はしばらく小さくなっていくその後ろ姿を見送った。
「…どうしてもっと低い場所に造らなかったんだ」
俺は思わず溜息をついてしまう。一ノ瀬神社の石段は、俺を圧倒するかのごとく立ちはだかっていた。
「にゃー」
突然聞こえる猫の鳴き声。
「なんだ、美々子か」
「にゃー」
足元を見ると、いつの間にいたのか、猫姿の美々子がいた。
「村の調査は順調か?」
「にゃお」
・・・どうやら順調らしい。
とりあえず、いまはこのそびえたつ石段を攻略することに専念するとしよう。
「はあ、はあ、はあ・・・」
や、やっと終わった・・・
乱れた呼吸を整えるため、石段に腰をおろす。
「にゃお」
肩で息をしている俺を、まだまだ余裕な様子の美々子がせかす。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。少し休んでから、な?」
「にゃ?にゃーにゃー!」
「は?なんでそんなに早く行きたがってるんだよ?神社は逃げないぞ?」
「にゃにゃ!にゃおにゃお!」
「ん?追いつかれる?何に?」
「あのー、もしかして、その猫さんと話してたりするんですか?」
・・・は?
俺はおそるおそる顔を上げる。
「こんにちは、荒川君。やっぱり今日も来たんですね」
そこには、すでに巫女装束に身を包んだ一ノ瀬がいた。
「昨日の話の流れからして、今日も来るんじゃないかって思ってました」
彼女も石段を登ってきたはずなのに、ひとつも息が乱れていない。なんということだ。
「しかも、今日はなんとおじいちゃんが帰って来ているんですよ。ですから、そんな所に座ってないで、本堂の方に行きましょう」
「にゃー、にゃお」
その言葉に美々子が過剰反応する。
「ちょっと待て。もう少し・・・」
「にゃっ、にゃー」
美々子は、早く行きたくてウズウズしているようだ。
「ふふ、そうですね。では、荒川君は残して先に行きましょうか」
「いや美々子は俺といっしょに・・・」
「にゃーー」
「では荒川君、私達は先に本堂の方に行っていますね」
一ノ瀬の後を、うれしそうについていく美々子。
う、裏切られた・・・
しばらくして本堂に行くと、ちょうど一ノ瀬がお茶の準備を完了したところだった。
「あ、ちょうどよかった。お茶が入りましたよ」
湯飲みに緑茶を注ぐ一ノ瀬。
「にゃー」
行儀良く座る美々子の前には、皿に入ったミルクが置いてあった。
美々子のヤツ、最初からこれが目的だったな・・・。
「さ、どうぞ」
差し出された緑茶からは、暖かそうな湯気が立ち上っていた。
「そして今日のお茶請けはなんと・・・」
一ノ瀬が美々子に微笑みながら、紙袋をガサゴソやっている。
美々子は期待に満ちた目でそれを見つめている。目がキラキラしているぞ、おい。
「じゃーん、イチゴ大福ですっ」
勢い良くイチゴ大福を取り出す一ノ瀬。
「わーいっ、大好物ですぅ」
思わぬ大物に、狂喜乱舞する美々子。
・・・ん?ちょっと待て。いま喋らなかったか?
「あ、美々子お前!」
見ると、美々子は人間形態にトランスフォームしていた。よほど嬉しかったらしい。
「はい?」
「はいじゃない!早く戻れ!」
俺は慌てて一ノ瀬の視界から、美々子を隠そうとする。
「あ。」
やっと自分の状態に気付いたらしい美々子。
「いいですよ、そのままで」
いや、いいわけないだろ。
「・・・ってなんでお前が一番落ち着いてるんだ?一ノ瀬」
呑気に緑茶なんぞを飲んでる場合ではないと思うのですがっ。
「昨日初めて会ったときから、その猫さんから普通ではありえない量の『気』を感じていました。ただの猫さんではないと思っていたのですが、まさか人だったとは思いませんでした」
そんなことをサラリという一ノ瀬。
「ははは、砌は昔からこういうのには人一倍敏感だったからね」
「あ、おじいちゃん」
突然一ノ瀬の背後から現れる男性。
唐突な急展開に、俺はもうワケがわからない。今までどこに居たんだおじいちゃん。ってか一ノ瀬って霊感あったのか?
そんな俺の様子を見てか、男性の方から先に自己紹介した。
「砌の祖父の一ノ瀬 教文です。孫が仲良くしてもらっているようだね」
はっきりとした口調で、一ノ瀬の祖父は言った。高校生の祖父とは思えないほど、若々しい。しかし、その貫禄はまさしく、長いときを生きてきた者だけが持てるものだった。
「あ、私は荒川 貴弘です。今日は神主殿に伺いたいことがあり、参上しました。」
その貫禄に押され、思わず俺はかしこまってしまう。
「荒川君、そんなにかしこまらなくてもいいんですよ?」
「そうだよ、荒川君。肩の力を抜いて、仲良くいこうじゃないか」
「そうですよ、貴弘さん。まずは落ち着いて、イチゴ大福を頂きましょう」
早速大福に手を伸ばそうとする美々子。
・・・お前は和みすぎだ。
とにかく、聞いておくべきことは聞いておかなくては。
「あの、実は伺いたいことというのは・・・」
「わかっている。大体見当は付いてるよ。・・・ここじゃなんだし、奥に行こう。来なさい」
そう言って奥に行く一ノ瀬の祖父。俺は後についていこうと立ち上がる。
「貴弘さん、私はここで待っていますねっ」
すかさず美々子は言った。
「昨日はわざわざ来てもらったのに、すまなかったね」
一ノ瀬の祖父、この神社の神主は言った。
俺が通されたのは、どうやら客間のようだった。ある程度装飾品が置かれているものの、普段はあまり使っていない感じだ。
「さ、そこに座って」
俺は進められた座布団に正座で座る。
「もうそろそろ、君のような者がくるだろうとは思っていた」
どう切り出そうか迷っていると、神主の方から口を開いた。
「実はすでに、しばらく前から、この村から信じられない量の「気」が流れ出していることは観測されていてね。昨日まで出かけていたのも、近辺の神主達と対策を協議するためだ」
教文さんはあぐらの上で手を組んだ。
「しかし、今回の「気」はケタ違いの量だ。いままで我々だけで解決できた事態とは、根本から違うものだ」
思わず、教文さんの口からため息が漏れる。
「その強力かつ膨大な「気」の氾濫に、昨日の深夜、自然界の精霊たちは完全にこの地の守護を諦め、外界から結界を張り巡らしてしまった。もはや、外との連絡は取れん」
教文さんの言葉は、なんというか、俺の想像を遥かに超えていた。
「な、そんな、いつの間に…」
俺、昨日その外界からきたばっかりですよ?
「驚くのも無理はない。君たち外界の者達は、まさか、事態がこんなに深刻だとは気付いていなかったんだろう?それは私達がなんとか「気」を封じ込めようと、必死に打ち消してきたからだ」
静かに言葉を続ける教文さん。
「だが、それももう叶わない。神主の一人が、膨大な「気」の量に耐え切れず、ついに自我崩壊を起こしてしまったんだ」
教文さんは、組んでいた手をぐっと握る。
「もう、もう私達では手に負ない。君はこの地の「気」を調べに来たんだろう?私達にできることならなんでもしよう。だから、頼む。私達を、私達の村を、この脅威から救ってはもらえないだろうか」
教文さんは頭を下げた。
このとき、俺は正直、ビビっていた。こんな話聞いてねぇよ。
今までの事態とは根本から違う?神主の一人が脳みそやられた?精霊が結界張ったから外と連絡が取れない?
この俺にどうしろと。このろくに修行も積んでない新米陰陽師に、一体なにができると?
「まだ「気」自体は善にも悪にも変質していない。今のうちならなんとかなる。だが、時間があるわけではない。事実、精霊達が結界の外へ避難してしまったせいで、一部が既に悪性化してしまっている。村を襲っている怪物は全てこの「悪性化した気」によるものだろう」
神主は顔をうつむかせながら、言った。
「これ以上罪のない人々を犠牲にしてはいけない。今はまだ力の弱い高齢者ばかり襲っているが、じきに力が付いてくればもっと若い世代を狙ってくるのは明らかだ」
もっと若い世代?それって・・・
「そうだ。私の孫、砌をはじめとした、これからの時代を生きていく者達だ。彼らが犠牲になることだけは、なんとしても阻止しなければならない」
一ノ瀬や、花梨や、みんなが・・・
「外界と連絡が取れない私達には、もう君しかいない。頼む」
そうか、そうだよな。外と連絡が取れないんじゃ、
この事態に対して、俺達はもう、他人じゃない。傍観していられる第三者じゃなくて、
当事者なんだ。
「・・・・・」
そしたら、もう選択肢なんてないんじゃないのか?
「・・・わかりました」
教文さん、一ノ瀬の祖父は、顔を上げた。
俺は、自分の実力をわきまえない、大馬鹿者なのかも知れない。
だけど、俺は言った。言ってしまった。
「私ができることを、全力でやってみましょう。・・・村を救えるかは別として」
一ノ瀬の祖父は、静かに頷いた。
「もちろん、それでいい。ありがとう」
「それでは、貴方が知っていることを、全部教えていただけますか」
「ああ、もちろん。・・・私が知っていることは、さっき君に言ったことと、あと、この「気」は10年前に封印された「邪悪な存在」と呼ばれる強大な鬼と、その鬼が黄泉の世界から来るときに開いた「黄泉の門」が関係しているらしいということだけだ」
―――現世と死後の世界をつなぐ唯一の異次元空間連結現象、「黄泉の門」が関係していたか・・・。
「その「邪悪なる存在」と「黄泉の門」が関係している、となぜ分かるのです?」
「「気」の色だ。君も知っているだろう?「気」にはそれを放つ大元がどういったものかで、その色が違うものだということを」
そう言えば前にじっちゃんがそんなこと言っていたな、と今更思い出す。
「今溢れているのは、本当に微かだが「黄泉の気」の色をしている。溢れた瞬間などはまさに「黄泉の気」そのものだった。それから私達の浄化のかいあってか、ここまで薄れてきたのだが・・・」
「一部は浄化しきれず、怪物化してしまった、と?」
教文さんは頷いた。
「そうだ。そして昨日隣村の神主が倒れてしまい、浄化が止まってしまった。「黄泉の門」が完全に開き、「邪悪なる存在」が顕現するのは、時間の問題かもしれない」
「・・・・・」
確かにそうだ、だが・・・
「「気」の発生源がわかるなら、対処法があるはずです。それをしないということは、つまり発生源がどこにあるのかわからない、ということですよね?」
「そうだ」
「でも、その発生源は10年前に封印されたものなのかもしれないのでしょう?だったら・・」
「もちろん、それが特定できれば、こんなに苦労せずに済むだろう」
教文さんは、少し目を見開いた。
「・・・動いているらしいのだよ。それは」
その声と事実に、俺は言い知れぬ恐怖を感じた。
「もちろん真っ先に10年前に封印が行われた場所を調査したよ。だが、なにもなかった。あのどす黒く濁った、まるでドブ川のような「気」が、封印されているとはいえ、まったく感じられないはずはない」
「・・・では、どうやって探せ、と?」
教文さんは辛そうにうつむき、
「すまない、それは私達にもわからない。だが、必ず何か方法があるはずだ。」
・・・ごめんじっちゃん、俺、生きて帰れないかもしれない。
とにかく、今は犠牲を増やさないために、夜に出現すると言う化け物を倒しつつ、移動しているという「黄泉の門」を探すしかない、という結論に至った。
時間が遅くなったこともあり、今日のところはもう民宿へ引き上げることにする。
教文さんと共に縁側へ戻ると、まだ一ノ瀬と美々子がお茶をしていた。
「ずいぶんと話し込んでいたんですね」
「ああ、荒川君とはなんとも話が合ってね、こんな時間まで話し込んでしまった。すまないね」
一ノ瀬の前では明るく振舞おうとする教文さんは、そのときは「祖父」としての顔をしていた。
「いえ、僕もおもしろかったです。また来てもいいですか?」
教文さんは大きく微笑んで、
「もちろんだとも、砌ともどもお待ちしているよ」
「はい、もちろんです。それにしても、良かったです。おじいちゃんと荒川君がなかよくなって」
一ノ瀬は嬉しそうに微笑んだ。
「・・・っ、・・・・!」
口いっぱいに大福を詰め込んだ美々子が、なにか言おうとしているが、何を言っているのかまったくわからない。
っていうかずっと食っていたのか、こいつ。
民宿「花月」に戻った俺達は、典子さんが用意してくれた夕食を食べ、早速作戦会議をはじめた。
「さて、今日の調査はどうだった?美々子」
俺は、ちゃっかり夕飯まで食べて、満足そうに転がっている美々子に話しかける。
「はい?なんですか、貴弘さん」
「なんですかじゃないだろ。今日の昼間、ちゃんと調査したんだろ?どうだったんだ」
えい、と気合を入れて姿勢を正す美々子。
「はい、ちゃんとしましたよ。えーと、まずはですね・・・」
おもむろに模造紙を広げ始める美々子。
「可愛いおばあちゃんがいるお宅の・・・」
「・・・・・」
ぽかっ
「いたーいっ」
頭を抱える美々子。
「お前はどのくらい俺をおちょくれば気が済むんだ?」
「えーん、冗談ですよう・・・今日の調査では、主に最近村人を襲っているという怪物について調べました」
美々子は手帳を取り出し、報告を始める。
「と言っても、村人の話を盗み聞きするしかないので、あまり詳しいことはわからないのですが・・・」
「いい、続けろ」
俺は先を促す。
「はい、怪物は主に日が沈んだあと、夜の間に集中して出現しているようです。襲うのは体力のない、一人暮らしの高齢者ばかり。出現場所には共通点は見出せません」
「すると・・・、奴らと接触するためには夜にひたすら村を巡回するしかないってことか。うーん、なんかいい考えないか?」
すると美々子は腕を組み、
「えーと、やはりいままで怪物が出現した場所を重点的に回ったほうが良いと思います」
それ、今俺が言ったこととあまり変わらないよね?
「まあ、そうだよな。それしかないよな・・・」
なんとも受け身な感じがしてしょうがないが・・・
ただでさえ時間がないというのに。自分の無力を思い知るばかりだ。
「あ、」
美々子が何かに気付いた。窓際に何か見つけたようだ。
俺もそこを注視する。そこにはなんと、昨日のカマドウマがいた。
「わあ、お待ちしていましたよ。ささ、こちらへどうぞ」
俺の了解もとらずに、カマドウマを室内に招き入れる美々子。
「まさか、今日も来てくれるなんて思っていませんでした」
ああ、まさかお前が本当にカマドウマと会話していた、なんて思ってもみなかったよ。
早速カマドウマと会話し始めた美々子をそのままにし、俺はベランダへと出た。この時期だと夜風は身にこたえるが、今は浴びたい気分だったのだ。
冬空に、星達がひしめいていた。むしろウンザリしてくる程の星の光が、俺を向かえた。
俺は眼下に視線を移す。さすが辺境の山村だけあって、すでに村には明かりの一つも見えない。
この闇に紛れて、異形の化け物達が、村人を襲っているのだ。
・・・明日から、忙しくなりそうだ。
ただ村人を襲う化け物達を倒しても、真の解決にはならない。
この事件の発端。この膨大な量の『気』、その発生源である『黄泉の門』を抑えなければ、怪物たちはまた出現し、人を襲うだろう。
そして、「邪悪なる存在」の出現だけは防がなければならない。
「今の俺にできることは・・・」
「・・・」
俺は明日に備えて早めに寝ることにする。
「やば、遅刻だ遅刻!」
次の朝、俺は飯を掻っ込みながら制服に着替えるという、人類史上でもトップクラスに入るであろう荒業に挑戦していた。
「ふわぁ、むにゃ。それはいくら何でも無理だと思いますよ、貴弘さん」
まだ寝ぼけ眼の美々子が言う。
「うるさい!ほっとけ」
結局のところ、昨日の夜は考えることが多すぎて、ろくに眠れなかったのだ。
そして現在に至るわけだが・・・
「うあぁ、じゃあほっときます」
非情にも美々子は、もうわけ分からない状態の俺をそのままにし、また寝た。
やべぇ、マジ遅刻だよ。こりぁ…
ようやく制服を着、典子さん手作りの弁当受け取って民宿を飛び出したときには、すでに遅刻確定だった。
転校二日目で、いきなり遅刻してしまうなんてことは避けたかったが、過ぎてしまったことはしょうがない。俺は二時間目の授業からでることにした。
すでに日差しがまぶしい。
・・・ま、いっか。
休み時間を見計らい教室に入る。むやみに目立ちたくないので、後ろからコッソリ入ることにする。これなら誰にも気付かれないはずだ。
「あっ!荒川君おはよう!」
早速気付かれる俺。
「どうしたの?もう一時間目終わっちゃったよ?」
机の間を縫ってこちらに来る花梨。
「ちょっと寝坊して、な。起きた時にはもう授業開始15分前だった」
「へえ、きっと昨日の夜、遅くまで起きてたんでしょ」
花梨は興味津々といった感じだ。
「いや、布団に入ったのは早かったぞ。ただ、それから眠れなかったんだ」
「なになに?考え事?」
さらに身を乗り出す花梨。
「まあな」
「え、ほんと?なに考え事してたの?聞かせてよ」
すると、丁度教室の扉が開き、数学教師が入ってきた。
「ほら、先生来たぞ。早く席へ着いた着いた」
「荒川君も、でしょ?お互い様だよ」
そうい言うと花梨は自分の席へ向かった。俺も席に着く。
「おはようございます。荒川君」
隣の席の一ノ瀬が挨拶する。
「おはよう。次は数学だっけか」
「はい、それにしても転校早々いきなり遅刻なんて、なにかあったんですか?」
いや、俺だってしたくて遅刻したわけではないし。
でも、なにかあったのかというと、昨日はいろいろありすぎて、まだ何となく信じられない。
もうこの村は陸の孤島となってしまい、今も強大な脅威に狙われ、希望は俺だけ。いきなりそんなこと言われてすぐに「はいそうですか」と納得できるほど、俺は器用に出来ていない。
・・・これから俺は何をすべきなのだろう。
やはり、当面は守りに徹するしかないだろう。かなり辛いだろうが、今はチャンスをじっと待つしかない。
「あの、荒川君?」
一ノ瀬の呼びかけに、はっと我に返る俺。
「なんか恐い顔してましたけど・・・、本当になにかあったんですか?」
どうやら考え事をしているうちに、殺気立った顔になってしまっていたらしい。
「すまん、なんでもない。ちょっと考え事をしていただけなんだ」
今はまだ、いや、できればこれからずっと、このことは村人には知らせるべきではない。知ったところで何ができるわけでもないし、むやみに話せばただ混乱させるだけだ。
「えっと、数学か。いまは何をしているんだ?」
露骨に話題を変える俺に、一ノ瀬は少し不満そうな顔をしていたが、これ以上追求しても意味はないと悟ったのか、
「三角関数です」
と応えると、黒板の方に顔を向けてしまった。見ると、その手元にはすでにシャーペンが握られ、黒板の文字を板書し始めていた。
俺も黒板を見る。そこには既にいくつかのグラフが所狭しと描かれていた。
とりあえず俺も教科書ノート筆記用具を取り出し、机の上に並べる。
あれはsinθのグラフか・・・
東京の学校ではもう終わってしまったところだ。
ノートに写す気にもなれないので、適当に一問解いてみる。
「あ、楽勝じゃん」
思わず口に出てしまう俺。慌てて両手で口をふさぐ。
しかし、もう手遅れだった。周りを見渡せば、クラス全員+数学教師がこっちを見ていた。
数学教師が極上の微笑を浮かべた。俺も極上の営業スマイルで対抗だ。
「じゃ荒川、これやれ」
数学教師は問題の一つを俺に割り当てる。
・・・はあ、できれば目立ちたくないになあ。なんでこうなるのかなあ。
俺は黒板の前まで移動し、迷わず答えを書く。
「・・・・・正解だ」
瞬間、騒然とする教室。拍手まで起こっている。
・・・なんでこうなるのかな。
昼休み、花梨の誘いで俺は再び屋上に来ていた。何のためかと聞かれれば、それは弁当を食べるためだ。
「意外だったよ。荒川君があんなに頭良かったなんて!」
タコさんウインナーをくわえながら、興奮気味に言う花梨。
「そうですね、正直驚きました。これはかなりの戦力になりますね」
卵焼きを箸で掴みながら、一ノ瀬が言う。
「・・・まあ、あれくらいどうでもないだろ」
戦力ってなんだろうと思いつつ、ブロッコリーを食べる俺。
「いや、あれはすごいよ。クラス1位の小宅君が唖然としてたもん」
折ってしまいそうな勢いで箸を握り締め、力説する花梨。
・・・そ、そうか?そこまで言われると、俺もすごいのかもしれない、と思えてきた。
この場の雰囲気も、一ノ瀬の俺への疑惑が晴れたからか、昨日とは比べ物にならないほど和やかだ。
「勉強で解らないことがあったら、なんでも荒川君に聞こう!」
花梨は高らかに宣言する。今度は春巻きをくわえている。
「解りました。お手柔らかにおねがいします、荒川君」
・・・いや、何を。っていうか勝手に迷惑な宣言をするな。
「ああ、これでやっと中学から三年間続いた「学年最下位」の称号を捨て去ることができるのね!!」
夢みたい!というかのように、クルクル回る花梨。
「本当に助かります。ありがとうございます、荒川君」
嬉しそうに言う一ノ瀬。
いや、俺教えるなんて一言も言ってないんですけど?
「それで早速今日やった三角関数なんだけどっ!」
いつの間に接近していたのか、花梨が俺の顔を覗き込んでいた。
「っな、え?三角関数?」
突然の接近に驚く俺。
「あー、三角関数ぐらい大丈夫だろ。要はサインとコサインとタンジェントだろ」
とりあえず適当なことを言っておく。
「じゃあ教えてくれったていいじゃない。決定!荒川君を私と砌の専任教師に任命します!」
…俺の意思は完全無視ですか。そーですか。
放課後、一度民宿に戻った俺は、今日も一ノ瀬神社に来ていた。
本堂へ続く道に植えられたもみじの、鮮やかな赤が俺を向かえる。
そういえば、一昨日来た時に感じた「気」の残滓は何だったのだろう。こんな神聖な場所で、不自然な気もする。
「あ、荒川君、こんにちは。今日も来たんですね」
声がした方を見ると、一ノ瀬が舞い散るもみじを掃き掃除していた。
―――うん。巫女さんだ。
「よう、教文さんはいるか?」
「いえ、今日は出かけてしまって・・・。でも、今日は別のお客さんが来ているんですよ」
なんだか嬉しそうに話す一ノ瀬。教文さんがいないのなら、俺がここにいる理由はないのだが・・・
「では、どうぞこちらへ。荒川君と一緒にお茶するために、今まで待っていたんですよ」
そんなこと言われたら、帰るに帰れなくなってしまうではないか。
俺は一ノ瀬の後についていくしかないと判断する。
・・・でもちょっと待て。この村で俺を待つ知り合いといえば・・・
「おそーい!!なにやってたのよ!」
・・・やっぱり花梨か。ほとんど予想はついていたよ。
「なによその顔は。悪かったわね私で」
不機嫌そうにぷう、と頬を膨らませる花梨。
「いやいや、そんなことはないぞ」
たぶん。
「本当?信じて良いのかな?」
いまいち信用していない視線を向けている。
「本当だよ。ヤッホーイ!!イヤッター!!花梨と一緒にお茶できるぜ!!サイコー!!」
「うそでしょ」
「スイマセン」
素直に謝っておく。すまん、実はそんなに嬉しくない。
「ふふ、楽しそうでなによりです」
お茶を入れにいっていた一ノ瀬が言う。
「なんで花梨がいるんだ?」
「悪かったわね、私がいたらなにか都合悪いことでもあるの?」
「私が、一昨日から毎日荒川君が家に来ていることを花梨に話したら、私も行くってなって」
申し訳なさそうに言う一ノ瀬。
「ま、少ないよりは多いほうがいいだろ。ほら、大は小を兼ねるっていうし」
「…なにそれ、喜んでいいの?」
複雑な顔の花梨。すまん、たぶん喜ぶのとは違うと思う。
「あの、今日のお茶菓子はですね」
一ノ瀬は早く発表したくてウズウズしている。
「そうだな、今日のお茶菓子は一体なんだい、一ノ瀬?」
「はいっ最中です!」
かなり嬉しそうだ。
「私はたまには洋菓子も食べたいんだけどね」
と言いつつも、ちゃっかり手を伸ばす花梨。
「それにしても、本当に一ノ瀬は和菓子が好きだな。もしかして毎日食べているのか?」
せっかくなので俺も最中を頂きながら、聞いた。
「え?毎日・・・ですか?」
なぜかチラリ、と花梨と視線を合わせる一ノ瀬。いや、特に意味はないんだぞ?
「えーと、まあ、はい。・・・食べます」
俯き、両の人差し指をつんつんさせながら言う。
「そうなのよ、砌ったら小学校の頃からいっつもお菓子食べてるのに、まったく太らないのよ。不公平よね」
一ノ瀬の二の腕を揉みながら、口を尖らせる花梨。
「そ、そんな・・・花梨だって、なんだかんだ言って結構食べてるけど、私よりスタイルいいじゃない」
まだほんのり赤い顔で言い返す一ノ瀬。
「なんだかんだ言ってってねえ、私はちゃんとカロリー計算してるからでしょ?あんたは和菓子と見たら無差別に食べちゃうのに太らない。絶対不公平だよ」
今度は頬をつねる花梨。
「えう。それよりも、今日は珍しく勉強するために来たんでしょう?いいの?やらなくて」
一ノ瀬の顔が少し横に拡がる。なんかムニムニと柔らかそうだ。
はっと意識が戻る花梨。
「そうだった、そうだった。砌のほっぺの柔らかさについ我を忘れてたよ」
パッと手を離し、ポリポリと頬を掻く。
我を忘れるほどなのか・・・気になる。
「では、砌のほっぺも満喫したことだし、早速勉強初めますか!」
そう言うと、花梨は縁側に勉強道具を展開し始める。一ノ瀬はどこから持ってきたのか、背の低い机を手際よく設置する。
「さあ、張り切っていくわよー!」
シャーペン片手に張り切る花梨。
「はい、がんばっていこうね」
朗らかに賛同する一ノ瀬。
「おう、がんばってくれや」
居場所がなくなったと判断した俺は、境内の散歩でもしようか、と立ち上がろうとする。
ガッシ。
踏み出そうとした右足を何者かが掴む。おかげでそれ以上進めない。
「何言ってんの。君に教えてもらおうって言うのに、そんなんじゃ話にならないでしょ」
見ると花梨の左手が、ズボンの裾をガッシリ掴んでいた。
「だから、俺は教えるなんて一度も・・・」
「お手柔らかにお願いします。荒川君」
・・・いやだから、俺の意見はことごとく無視ですか。
そうか、あいつは負けたのか・・・
「くっやしーーい!!」
昼休みの屋上で、花梨は咆哮した。
「あともうちょっとだったのよ?あの問題の意味さえわかっていれば・・・」
それは、ぜんぜんちょっとではないのではないかと思うが。しかし今の花梨には無駄だろう、とも思うので黙っておくことにする。
花梨は止まらない。止まらないので、俺は自分の弁当を消化することに専念することにした。
「もう許さないんだから!次会ったらただじゃおかないんだから!」
花梨は拳を固く握る。頼むから暴力沙汰だけはやめろよ。
「まあまあ、ひとまず落ち着きなさいな。どうどう」
慣れた手つきで諌める一ノ瀬。さすがに鮮やかだ。
「でも、でもでも聞いてよ砌!あいつったらわたしの苦手な関数ばかり、集中的に出してくるんだよ?これは絶対わたしになにか恨みとか、いろいろあるのよ!」
「そんな恨みなんて・・・。花梨に身に覚えはあるの?」
「ない」
即答しやがったぞ、こいつ。関数だって重要だから集中的に出題しているだけだろ。
「ちなみに、何点だったの?」
ついに核心に触れる一ノ瀬。俺はすかさず二人の会話に聞き耳をたてる。
花梨の表情が一瞬強張る。
「えーと、えと、・・・誰にも言っちゃダメだよ?」
「わかってるよ。いままでだって、ちゃんと言わなかったでしょう?」
「絶対、言っちゃダメだよ?・・・えと、ごにょごにょ」
念を入れた後、一ノ瀬に耳打ちする花梨。
「え?それって、その前に十とか二十とか三十とか、つかないの?」
「う、うん・・・」
俯きつつ、肯定する花梨。
「・・・。き、記録更新、ね・・・」
絶句する一ノ瀬。まさか絶句させてしまうなんて、一体何点なんだ?
「・・・で、やっぱりこのままだといけないと思うワケよ」
「・・・確かに、私ももっと上を狙いたいし」
開き直る二人。その心は熱い思いに燃えているようである。
・・・やっぱり典子さんの卵焼きは絶品だな。
「そこで、この惑える乙女達の危機に、救世主さまにご登場願おうかな、と」
「うん、それはいい考えだね。・・・で?救世主って誰?」
・・・やべぇ、このから揚げは絶品だぜ・・・。さすが典子さんだぜ・・・。
「それはもちろん、まさにベストなタイミングで転校してきた、その名も――」
花梨はビシッ、と俺を指差し、宣言した。
「荒川 貴弘君!君だよ!」
まあ、予想はしていたが・・・、やっぱり俺なのか。
「もちろん!そうと決まったら、早速放課後に勉強会よ!」
どうやら、俺に拒否権はないようだ。
まあ、昨日のこともあったし、少しぐらい付き合うとするか。
放課後、俺たちは教室に集まり、三人だけの補習授業を始めた。
「よっし。やっぱりまずは数学からかな」
やる気満々の花梨。数学の参考書一式を、机の上にドン、と置く。
ただでさえ人数が少ないわりに広い教室には、三人の影がやたら大きく横たわっていた。
「そうだね、まずは関数を克服しないと」
言いつつ一ノ瀬は、鞄から数学の教科書を取り出す。
「では先生、まずやるべきことを教えてくださいませ」
花梨が妙に丁寧な口調で聞いてくる。
「ああ、じゃあそうだな・・・、とりあえず今回間違ったところの見直しでもするか」
「えー、それじゃあほとんど全部じゃん」
俺の提案に不平を漏らす。ていうかほとんど全部って・・・
「まあ、いいんじゃない?ほら、どうせ数学の追試、受けなくちゃならないんだし。いまやっちゃえば、後楽だし」
花梨より直す箇所が少ないのか、一ノ瀬は少し余裕な感じだ。
「そうだね・・・、じゃ、さっそくしつも−ん」
元気良く挙手する花梨。
「ん?どこだ?」
「ほら、ここ、ここ。これってどうやって解くの?」
一つの問題を指差す花梨。ああ、これは・・・
「右辺を展開して整理した後、全部左辺に移項してだな・・・」
懇切丁寧に、解き方を教えてやる俺。これならさすがに解るだろ。
「ね、ねえ、ちょっと聞いていい?」
花梨が少しためらいがちに聞いてくる。
「?なんだ?」
「これを展開して、左辺に移項するっていうのはわかるんだけど、そしたらX三乗がなくなっちゃうんじゃない?」
「それは別にかまわないだろ?三次式が二次式になるんだから。これは元々そういう問題ってこと」
「そ、そんな!?・・・あいつめ、謀ったわね!」
数学教師に不条理極まりない濡れ衣を着せる花梨。
「え?でも、同じような問題、教科書に載ってるよ」
抜群のタイミングで追撃弾を放つ一ノ瀬。まさかわざとじゃないよな・・・?
「はうぁぅ。・・・つまり、これは単なる勉強不足・・・」
ぱたり、と机に突っ伏する花梨。教科書の例題ぐらいやっとけよ・・・。
「・・・っと、やっと終わったな・・・」
俺は、なにかやり遂げた達成感を感じずにはいられなかった。
花梨の間違っていた箇所は、俺の想像をはるかに超えていた。なるほど、一ノ瀬が絶句していたのもわかる。
「うん、大変だったけど、これで追試もバッチリ粉砕間違いなし!」
握ったこぶしをワナワナとふるわせる花梨。どうやら今回の勉強で、『打倒数学のテスト』に対する自信がついたようだ。
「ああそうだな、次からはテスト勉強の時点からがんばってな」
「良かったね、花梨。これだけの時間を費やしたかいがあったね」
・・・そうなのだ。圧倒的な物量の前に俺たちは苦戦を強いられ、今はもう日も暮れかかっている。
「・・・すまないな、一ノ瀬。そっちの方はほとんど見られなくて」
結果として俺は花梨につきっきりとなり、一ノ瀬はほとんど自習みたいな感じになってしまった。
「いえ、私も十分参考になりました。私も花梨と一緒に間違ったところもあるし」
まあ、あれだけ間違ってればなぁ。ていうか、一ノ瀬が間違ったところは花梨の間違ったところに全部含まれていると思うぞ。
「それに、私は後でおじいちゃんに教えてもらいますから」
「え?おじいちゃんって・・・、教文さん?」
「そうそう。砌のおじいちゃんって、頭良いんだよ」
うきうき、と上機嫌の花梨が言う。
「なんでも、東京の大学出た後、先代の後を継いで、今の神主の仕事を始めたらしいんだけど、すぐにこの辺一帯の神主のまとめ役みたいになっちゃって、今ではこの村はもちろん、周りの集落の祭事をみんな取り仕切っているのよ」
・・・な、なるほど。ただ者ではないと思っていたが、やはり凄い人だったのか。
「でも最近は忙しいみたいで・・・。しばらくは、教えてもらえそうにないんですけど」
・・・確かに、今は教えている暇はないだろうな・・・。
同時に、俺が今置かれている状況を思い出してしまう。
「それじゃあ、砌は今度教えてもらうことにして、今日はもう帰ろう」
「そうだね、もう外も真っ暗だし。早く帰らないと」
花梨の提案に、一ノ瀬が賛成する。
「ほら、ちゃっちゃと仕度する!それと、もう遅いんだから、ちゃんとわたしたちをエスコートするのよ!」
「お、俺が?」突然の任務に、思わずうろたえてしまう。
「あったりまえでしょ。誰のせいでこんなに遅くなったと思ってんの」
花梨、貴女のせいです。
帰り支度を終え、校舎を出た頃には、既に完全に日は落ちてしまっていた。
「しかし、なんだ。ほんとに真っ暗だな」
「まあね。この辺田舎だし、日が落ちると車とかほとんど通らないし」
「だから、街灯とかは交差点とかは、要所要所にあれば十分なんです」
俺の問いに、花梨と一ノ瀬が解説してくれる。確かに、ところどころに灯りは見られるが、それでも暗いことには違いなかった。
「確かに、これはエスコートが必要だな」俺は納得する。
「でしょ?じゃ早く行こっ。しっかりエスコートするのよ!」
「よろしくお願いしますね」
「おう、まかせなさい」
正体不明の怪物がうろうろしているところを、女子だけで帰すワケにはいかないからな・・・。
まずは、家が遠いのと、俺が知らないということで、花梨を先に送り届けることになった。
「じゃあ案内するから、しっかりわたしたちを守ってね」
花梨を先頭に、俺たちは歩き出す。
「はあ、やっぱりこの辺はみんな農家なのか」
「うん、まあ、他に仕事もないしね。先祖代々農家って人ばっかりだよ」
「この辺りは盆地ですから、稲作よりも果樹栽培の方が盛んなんです」
なるほど、だからところどころにネットを張った低木や、ビニールハウスが目立つのか。
「すると、花梨の家も農家なのか?」俺は気になったので聞いてみる。
「まーねー。と言っても果樹栽培の方ね。つくってるのは梨が一番多いかな。後はメロンとか」
花梨の反応は少し素っ気無い。「家が農家」ということには、あまり触れない方が良いかもしれない。
年頃の女子高生には、あまり嬉しい事実ではないのだろう。きっと。
「で、砌の家は神社、と。神社って普段なにするんだ?」
「うーん、たとえば―――」
―――その時、微かにだが、「気」の流れを感じた―――
「!!??・・・まさか」
それは、前の暗闇から発せられていた。俺は思わず足を止める。
「どうしたの?」
ぬっ、と暗がりから姿を現したのは、長身の人型。
「え?誰?こんな時間に」
しかし、その人型は、服らしい服も着ていなかった。そしてなにより、普通の人間と決定的に異なるのは―――
「え、あ?・・・あたまに・・・角?」
これが、これが、「鬼」か。
実物は初めて見るが、虚ろな目をしているその鬼が、まともな思考力を持っていないことだけは解る。
「・・・花梨、一ノ瀬。早く逃げろ」
「え?だって、あれ何?貴弘は?どうすんの?」
「・・・・・っ」
困惑する花梨。一ノ瀬にいたっては、声すら出ないようだ。
「エスコートするんだろ?俺が時間を稼ぐから、そのうちに逃げるんだ」
一ノ瀬はともかく、花梨のいる前では美々子が呼びづらい。
そうしているうちにも、鬼はゆっくり近づいてくる。よく見ると、そのだらしなく下げられた手には、金属バットのようなものが握られている。まあ、鬼といえば「アレ」だから、「アレ」なんだろうが・・・。
それはあまり嬉しくない事実だ。
「早く逃げろ!もうヤバ―――」俺は後ろの二人を急かす。
「!!貴弘っ!前!!」
花梨の叫びに前を見ると、いつの間に距離をつめたのか、目の前の鬼が右手に持った金棒を振り上げていた―――!!!
「くそっ!!命!来いっ―――!!」
術式によって此処までの行程を省略し、瞬時に命を呼び出す。
―――眩い白光の中、御珠上が顕現する―――
「防げ!!」
俺と鬼の間の空中に出現した命の周りに、見えない壁が現れる。それは鬼の振り下ろした金棒を阻み火花を散らし、そして鬼の方を弾き飛ばした後、消える。
鬼は無様に八メートル程飛ばされ、地面に叩きつけられる。
その隙に俺は花梨と一ノ瀬に指示する。
「どこか、安全な物陰に隠れていろ!!」
「た、貴弘くん、君は一体・・・」
「説明は後!!すぐにあいつを倒すから、待ってろ!!」
そして俺はまだ体勢の整っていない鬼に向かい、追撃する。
「我が名、貴弘の名において律する!!御珠上 命!!直ちにあいつの喉笛を切り裂け!!」
戦闘モードの命が一瞬で鬼との距離を詰め、その首に腕を振り下ろす!!
「良し!!切り裂け!!」
数倍に硬化した命の爪は、しかし空を掻いた。
「?!上か!!」
人間では考えられない跳躍をした鬼は、その勢いを利用し、上空でバック転する。
加速された金棒が命に向かって投げ下ろされる!!
「よけろ!!命!!」
地面に突き刺さる金棒を右に避け、命は空中で身動きの取れない鬼に向かい追撃する。
止めを刺さんと再び命は右手を掲げるが―――
「な!?なんだあれは!!」
鬼の右手には今投げたはずの、金棒が握られていた。鬼はそれを命の死角から振る!!
「くっ、間に合え!!」
今度は命の左わき腹を、ピンポイントで見えない盾が守る!!
しかし、その反動で鬼は命の攻撃範囲から逃れてしまう。
ほぼ同時に地面に着地する鬼と命。
「貴弘さん!?今のは?」すかさず俺の前まで移動してきた命が問う。
「俺にだってわからん。さっきまでは確かに一本しか持っていなかったぞ」
俺はチラリ、とさっき突き刺さった金棒の方を見る。そしてそれは確かにそこにあった。
くそっ、これだから最近の鬼はっ!!
俺は着地した鬼の方を見る。鬼は無闇に攻撃するのは危険だと判断したのか、じりじりとこちらの隙を窺っている。
虚ろな目してる割には、戦闘能力だけは高いな。狂戦士ってか?
「命、お前はどう思う?」
「正直わかりません。あれは私が今まで戦ってきたどんな鬼とも、違います」
そのとき、こちらが会話しているのを隙と判断したのか、金棒を構えもせずに鬼が突進してくる!
力でゴリ押しってか、だったらこっちも―――!!
「命!!まずはあいつの金棒を切り裂け!!」
頷いた命は、瞬時に鬼との距離を詰めにかかる。
鬼は命の左側頭部を狙い得物を振る。
命は力強く地を蹴り、振り下ろされた金棒に手をつく。そしてその手を支点に、バック転!!
命は金棒の上空に逃れ、地に落ちる力を利用し金棒に斬撃を加える。
すると、金棒はきれいに十一等分され、ばらっ、と崩れた。
一瞬うろたえる鬼、命はすかさず鬼の懐に入る。
「よしっ!!命!!そいつの腕を噛み千切れ!!」
命は鬼の片腕に食らいつき、噛み千切った。バランスを崩し、倒れる鬼。
「ゴオオオオォォォォ!!!」鬼の咆哮。
・・・やったのか?
鬼は身動きしない。俺の前に命が戻ってくる。
「命、お前は一ノ瀬たちを探してきてくれ。たぶんその辺にいるはずだ」
「わかりました」
俺は倒れた鬼の方に近づいてみる。片腕を失った鬼は、大量の血を傷口から溢れさせ、白目をむいている。
それにしても、初めての実戦とはいえ、野生の鬼なんかにこんなに苦戦させられるとは・・・これも今回の「気」となにか関係があるのか?突然金棒がもう一本現れるなんて・・・。
「?金棒がもう一本??」
そのとき、いままで身動きしなかった鬼が突然起き上がり、残った左腕を振るう!!
その手には、三本目の金棒が―――!!
!!しまった―――!!
咄嗟に自分に防壁を張る。しかし、一撃の目標は俺ではなかった。
「!くっ!!狙いは―――!!」
俺の背後で花梨の介抱を始めた―――命!!
鬼は命に向け、金棒を全力で飛ばす!!
「命!!避けろ――――!!」
俺の声に振り返る命。しかし遅い!!俺も自分の防壁を張ったせいで、そのぶんのタイムラグが―――!!
「!!美々子さん!!危ない!!」
叫び、命を庇おうとするのは、命と一緒に花梨の介抱を始めていた―――
一ノ瀬だ。
「な!?やめろ一ノ瀬!!!」
俺は術式を使おうとするが、間に合わない!
「!!きゃあああああぁぁぁぁぁぁぁ――――――――――!!!」
一ノ瀬の肉体が人型でなくなることが決定的になったこの瞬間、何かが起こった。
次の瞬間も一ノ瀬は、人型を保っていた。ということは、金棒のほうが、その形を失ったということになる。
事実、金棒はその形を失い、灰燼に帰した。
一ノ瀬の張った、その、燃えるような、紅葉色の、防壁によって―――
な、なんだあれは??あんなの、見たことないぞ!?
「―――さあ、美々子さん。今のうちに、花梨を連れて離れてください」
一ノ瀬は、さっきまでの混乱ぶりとは対照的に、極めて冷静に、落ち着いて命に指示した。
な、なんだあの変わりようは?別人格?無意識に発現したのか?
唖然とする俺にも、一ノ瀬は冷静に指示をする。
「荒川君も、その怪物から離れてください。―――みんなを傷つけたそいつを、私は許さない!!」
ありえない程の殺気が、一ノ瀬から放たれる。
鬼も同じように感じ取ったのか、片腕だけで立ち上がり、逃げようとする。
「!逃がさない!!」
防壁を解いた一ノ瀬が、ゆっくりと鬼へ向かい踏み出す。
そしてゆっくり、右手を掲げ、振り下ろす。
そこから生まれたのは、衝撃波か?淡く紅に輝くそれは、暗闇の通学路にくっきりとその軌跡を刻みながら進んだ。
ひたすら真っ直ぐに、鬼へと。
「――――!!」
鬼は声を上げる瞬間すら与えられず、紅に輝く衝撃に飲み込まれた。
「・・・・・」
一体、なにがどうなっているんだ?一ノ瀬のこの力は何だ?
「・・・・・」
「・・・・・砌・・・」
命と花梨もただ唖然とその様子を見ている。
鬼の消滅を確かめた一ノ瀬は、花梨の無事を確かめる。
「・・・よかった・・・無事・・で・・・」
安心したのか、気を失う一ノ瀬。ガクン、と膝から崩れる。
「!一ノ瀬!!」
「砌!!」
俺たちは倒れた一ノ瀬に駆け寄る。
「・・・大丈夫、気を失っているだけだ」
ほっ、と安心する花梨と命。俺自身も安心する。
「とにかく、まずは砌さんを神社まで送りましょう。花梨さんもそこで手当てを」
テキパキ、と命が進言する。
「そうだな。・・・教文さんとも話し合わなくてはならないしな・・・」
俺は後半は命たちに聞こえない程度に、呟いた。
「?なにか言いましたか?」
「い、いや、なんでもない。花梨、歩けるか?」
俺はさっきからずっと立ち尽くしている、花梨に言う。
「え、うん。大丈夫だよ・・・」
花梨のその瞳には、強大な暴力から解放された安堵と、常識を逸脱した全てのものに対する不安と、そして、明らかな恐怖の色が浮かんでいた。
「・・・とりあえず、一ノ瀬神社に行こう」
俺は一ノ瀬を背負い、事態の収拾と今後の打開策を得るため、一ノ瀬神社へと向かう。
「!―――砌っ!!」
ぐったりと横たわっている砌に、教文さんが駆け寄る。
「大丈夫、気を失っているだけです。命に別状はありません」
「そうか・・・。君たちも無事でよかった。怪我はないかい?」
安堵の表情で教文さんが問う。
「花梨が怪我をしています。――命、花梨の手当てと一ノ瀬の介抱を頼む」
「はい、貴弘さん」
命が一ノ瀬を持ち上げ、奥の部屋の襖を開ける。
「救急箱は戸棚のなかだ。詳しくは花梨君に聞いてくれ」
「わかりました」
答える命。花梨はうつむいたまま、何も喋らない。
「・・・花梨君」
部屋に入ろうとする命と花梨に、教文さんが声をかける。
「今回のことは、私や荒川君や、私の仲間で必ず解決する。だから、君は今日のことは忘れて、明日からいつも通りに振る舞いなさい。あまり人にこのことを話さないこと。無駄に混乱を招くだけだからね」
「!でもっ!・・・でも砌が、砌が怪我したんですよ!?」
戸惑いながらも、親友を傷つけた奴を放っておくことはできない、と抵抗する。
「では聞くが。君がいて、一体何ができるというんだい!?」
普段とは違う教文さんに、花梨だけではなく、俺や命まで反応してしまう。
「・・・すまない。恐い声を出してしまったね。しかし、このことは、君は既に体感したと思うが、常識を超えた次元の話だ。一般人の君を、巻き込みたくない。わかってほしい」
花梨は再びうつむいて、しばらく何事か考えた後、
「・・・わかりました」
と答えた。そして、下唇をかみ締めながら、ちら、と一ノ瀬を見た。
「・・・だったら砌も、砌も巻き込まないでください。お願いします」
さっきの、砌の超常的な力が花梨を不安にさせたのか、花梨は教文さんに頼んだ。
「・・・もちろんだ」
神主は重々しく答える。その答えを聞いて花梨は、「良かった・・・」と呟き、命と共に奥の部屋に入った。
「・・・一体なにが起こったのか、詳しく説明してくれるね?」
奥の部屋へと続く襖に目を向けたまま、神主が言う。
「もちろんです」
そして俺は事の顛末を、神主に出来る限り正確に伝える。それを聞いた神主は、「なんということだ・・・」と頭を抱えてしまう。
「そんな強力な鬼はもちろん、ただの鬼さえ、この地域には確認されていないというのに・・・。「気」の力がここまで濃いとは・・・」
「なにか対策は?」俺は一番聞きたかったことを聞く。しかし、その返答は、根本的な解決ではなかった。
「・・・君はこのまま「気」の発生源を突き止めることに専念してくれ。村の警護は、私たちが交代で行おう」
「しかしそれじゃあ!」
「私たちが攻勢に出るには、この事件の根本を突き止める以外にない。それだけは確かだ」
「!!」
それは、最初からわかっていたこと。そして、事態が一切進行していない、証でもある。
「・・・それは、わかっています」
わかってはいるが・・・。
「・・・大のおとなの私たちに見つけられないものを、若い君ひとりに押し付けるのは、正直、虫のいい話と思われるかもしれない」
神主は、眉間にしわをよせ、苦しそうに言い放つ。
「しかし、既に事態が私たちの手の届かないところにまで来てしまい、そして、この事態を解決できるのは、陰陽師として修行を受けた」
その瞳には、一点の曇りもない。
「君しかいないのも、確かなんだ」
「・・・・・」
俺は、この期待に答えられるのだろうか?俺は・・・
その大元の、その気配さえ感じとれていないというのに。
「不幸中の幸いか、今回死亡者はでなかったし、なによりついに敵が姿を現した。活動が活発になるほどその痕跡は多く残ってしまうものだ」
神主はすっ、と立ち上がる
「私たちは、奴の「気」を感じることはできない、が、奴を見つける作戦を立てることはできるよ。・・・ここは冷えるし、中に入ろう」
そして、奥の部屋に歩いていく。
今回ついに俺の目の前に姿を現した、鬼。
これは、俺たちが攻勢に出る唯一の方法である「『気』の発生源である「黄泉の門」とその近くにいると思われる「邪悪なる存在」を倒す」ことの出来る時間が、刻一刻と減り続けている、ということに他ならない。時間がないのだ。
「だが・・・その、肝心の「黄泉の門」が見つからない」
神主が、眉間を揉みながら、呻く。
そこが重大かつ根本的な問題だ。姿が見えさえすれば、10年前と同様に封印することができる。
・・・ん?待てよ?
「封印したってことは、10年前は見えたんですよね?姿が」
「ん?・・・そうだね、10年前は確かに見えていた。こんな、姿が見えないなんてことはなかった」
神主はじっ、と床を見つめている。
「え、じゃあ、今回のように「黄泉の門」が開くのは、一回や二回の話ではないのですか?」
「ああ、・・・「黄泉の門」が開いて、この世が黄泉の世界とつながってしまうのは、遥か昔から不定期的にあった。間隔は10年〜100年と非常にまちまちだがね」
「もちろん、姿は見えたんですよね?」
それは、一体どんな姿なのだろうか。空前の規模の『気』を発している「黄泉の門」と、そこから這いずり出てきた「邪悪なる存在」とは。
「もちろんだよ。さっきも言ったが、今回のようなことは今までなかった。現れる度に姿を変えてきたがね」
「そ、それはどんな?」
「鬼のような人型だったり・・・、ただ、漠然とした気体だったり・・・、真ん丸の体にびっしりと目玉が付いていたり、それこそ様々だったようだよ。もちろん「邪悪なる存在」のほうだけどね。「黄泉の門」も姿は変えるものの、一応は門の形をしているらしい。私も文献で調べただけなので真実かどうかはわからないが」
その姿は、どれも規則性がなく、妖怪のイメージからもかけ離れたものだ。
「しかし、なぜ毎回姿が変わるのに、それが「邪悪なる存在」だとわかるんですか?」
「それは、「気」だよ。奴らが発している『気』は、君も知ってる通り、どす黒いんだ。だからわかるんだよ」
そうか、だから毎回姿を変えて現れても、それが「邪悪なる存在」だとわかるのか。
「そうしたら、なぜ奴らは毎回姿を変えるのでしょうか。発している『気』でわかってしまうなら、そんなことしても無駄じゃないですか」
「ふむ、それは確かにそうだね・・・」
神主は顎に手を当て、考える。
「・・・もしかしたら、それは私達に見つからないためではなく、そういう奴らの「習性」なのかもしれない」
「「習性」・・・ですか?」
「うん。奴らは無意識のうちに、何らかの「習性」によって姿を変えるのかもしれない」
「すると・・・その変わる姿には、何か規則性があるのでしょうか」
神主は顎に手を当てたまま、「それはどうかな」と答える。
「いままでの姿から規則性を見出すことはできないが・・・。意外と盲点なだけかもしれないし・・・。規則性というより、その姿が、何によって、あるいはどうやって決められるのか、と言うふうに考えたほうが適切かもしれない」
・・・その姿が、どうやって決められるのか。・・・か。
神主との話が終わり、花梨の様子を見に行くと、そこには美々子しかいなかった。
「あれ、花梨はどうした?」
「あ、貴之さん」
ひとり行儀よく座っていた美々子に尋ねる。
「花梨さんは治療が終わったあと、家まで送り届けました。疲れているようすでしたので」
「そうか・・・」
花梨の安全が確保されたことに、純粋に安心する。
「荒川君」俺の後を歩いてきた教文さんが、静かに言う。
「明日からも、花梨君や砌とは今まで通り接して欲しい」
―――もちろん、そのつもりです。
「わかりました」
秋も終わりに近づいているのか。虫の鳴き声は、聞こえない。