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第88話 虫の知らせ

 夢を見た。

 街中の人間がドッペルゲンガーになっているという夢だった。

 ヘンゼルさんも、シークさんも、ジャド君も、僕の周囲にいる人間は全てドッペルゲンガーに取って代わられていた。

 僕はひたすら彼らから逃げるだけだった。

 何もできないことがこんなにも歯痒いものだとは思ってもみなかった。

 僕に魔物と戦えるだけの力があったら、ヘンゼルさんたちを助けることができたであろうに。

 成り代わる人間を探しているドッペルゲンガーが、僕を殺して成り代わろうと迫ってくる。

 逃げて、逃げて、追い詰められて、ドッペルゲンガーの腕が僕の身体を掴んだところで──目が覚めた。

 こんなにも寝覚めの悪い朝は初めてだ。

 うっすらと汗をかいた額を掻いて、僕は静かに身を起こす。

 僕が動いたので目が覚めたのだろう、スノウが伏せていた頭を持ち上げて僕のことを見た。

『おはよう、イオ。もう朝?』

「……おはよう」

 早い鼓動を打っている心臓に手を当てて落ち着かせながら、ゆっくりと息を吐く。

 あれは、夢だ。悪い夢……

 自分に言い聞かせ、寝床から立ち上がる。

 洗面所に行き、洗面台の前に立つ。

 微妙に眉間に皺を寄せた顔が、目の前の鏡に映っている。それを見て何とも言えぬ気分になり、僕は水道の水を乱暴に顔に叩き付けたのだった。


「……それで、そんな冴えない顔をしてたんですか? 先輩」

 ジャド君は苦笑をして、鑑定していた鑑定依頼品を机の上に置いた。

「でも……ぞっとしますね。街中の人間がドッペルゲンガーに取って代わられるなんて」

「夢にしては生々しくて……何かの警鐘なんじゃないかって思いたくなりましたよ」

 ジャド君をじっと見つめ、何気なく僕は鑑定魔法を発動させてみる。


『【ジャド・レスマインド】

 STR:180 DEX:198 VIT:180 AGI:175 INT:230 MND:206

 状態:正常』


 ジャド君って、結構実力のある冒険者だったんだな。

 鑑定結果から得られた情報を見つめていると、目をぱちくりとさせた後にジャド君はあっと声を上げた。

「先輩、俺のこと鑑定したんですか? 恥ずかしいからやめて下さいよ」

「すみません、つい」

 僕はふにゃっとした笑いを見せて頭を掻いた。

 鑑定の終わった依頼品たちを抱えて席を立つ。

「あんな夢の後だから……どうしても気になってしまうんですよ」

「……その気持ちは分からなくもないですけどね」

 言葉を遣り取りしながら、ギルドカウンターへと向かう。

 カウンターではヘンゼルさんが鼻歌を歌いながら台帳のチェックを行っていた。

 僕は何気なくヘンゼルさんに近付こうとして、

 唐突にジャド君に腕を掴まれ引っ張られ、歩みを止めた。

「?……何ですか、急に」

「先輩」

 振り向くと、鋭い目つきをしたジャド君がそこにいた。

 鑑定依頼品の短剣を鞘から抜いて、胸の前で構えている。

 僕の顔から、笑みが消えた。

「……ジャド君?」

「先輩の夢、きっと虫の知らせだったんですよ」

 僕を押し退けるように脇にどかし、ジャド君は大股でカウンターへと向かっていった。

 物音に気付いたらしいヘンゼルさんが、僕たちの方を向く。

「あら、どうしたの2人共。怖い顔して──」

 ヘンゼルさんの言葉は半ばで途切れた。

 ジャド君が繰り出した短剣が、ヘンゼルさんの脇腹に深く突き刺さったのだ。

「……な」

「そこにいたのか。通りで見つからないわけだ」

 獲物を狙う蛇のような目でヘンゼルさんを睨み、ジャド君は低い声で言った。

 ヘンゼルさんの表情が、魂が抜け落ちていくように希薄になっていき、無となる。

「俺たちの目は誤魔化せない。正体を見せろ、ドッペルゲンガー」

「…………」

 ヘンゼルさんは目を閉じる。

 短い沈黙の時が流れていき、

「……酷いわぁ、いきなり人をこんなもので刺すなんて」

 にぃ、と笑って、彼は狂気を孕んだ瞳で僕たちのことを見つめたのだった。

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