第291話 それは、ひとつの物語
ヨシュアさんと知り合って5日が過ぎた。
僕は変わらず、冒険者ギルドで鑑定士としての勤めに励んでいる。
ヨシュアさんは、あれから姿を見せない。
僕から聞いた話を本にするのには時間がかかるのだろう。
どんな本になるのだろう。完成が今から待ち遠しい。
彼が訪ねてくるのを待ちながら、僕はギルドカウンターから外の景色を見つめていた。
ヨシュアさんが僕の元に訪れたのは、それから更に3日が過ぎた頃のことだった。
彼は右手に竪琴を、左手に上質な羊皮紙で装丁された本を抱えていた。
「完成しましたよ。試作品ですが、これが製品になります」
「そうですか。これが……」
僕は彼から本を受け取った。
書物、と言うには薄い本だが、作りはしっかりしている。表紙はタイトルがシンプルに記されたデザインで、下の方には著者として僕の名前があった。
表紙を捲ると、こんな一文が顔を覗かせた。
隣人とはあなたにとって知を与えてくれるもの。生涯をかけてそれを探す歩みこそが、我々が人生と呼んでいるものなのです──
ぽろん、と流れるような竪琴の音色が鳴り響く。
ヨシュアさんが、竪琴を爪弾きながら歌うように言葉を紡ぎ始めた。
「客人のために語りましょう。平穏を求める鑑定士が歩んだ、一時の旅路の物語を──」
彼が奏でる竪琴の音色は、通りを歩く人々の歩みを止め、冒険者ギルドという何の変哲もない空間を舞台へと変えた。
多くの人々の目に注目されながら、彼はゆったりと竪琴を奏でて物語を語る。
その姿は、まさに吟遊詩人。歌で舞台を作り上げる業人のそれであった。
彼を誘う秘境よりの使者に導かれ、訪れたるは明るき闇の中に築かれた都。そこには黒き鱗を持つ魔の者の姿あり──
これは、本の内容を語った歌なのか。
僕が話した体験談を、彼はひとつの物語として書いてくれたのだ。
僕自身の話なのに、まるで全然知らない物語を聞いているかのような、そんな新鮮さが彼の語りにはあった。
魔を統べる王は友愛を紡ぐ。右手を伸べて、永遠の平穏を求め共に歩まんと彼らを諭す──
僕は自分の仕事のことを忘れて、いつの間にか集まってきていた多くの観客と共にヨシュアさんの語りに聞き入っていた。
語りが終わり、観客が帰って元の空気に戻ったギルドカウンターで、ヨシュアさんは僕から受け取った本の表紙を撫でながら言った。
「こうして各地で歌いながら、本を売り歩こうと思っています。必ず、道行く人の目に留まると信じております」
確かに、本は普通に売っても本に興味のない人は絶対手に取らない。
しかし歌ならば、興味がなくても耳には入る。それで立ち止まってくれる人は少なくはないはずだ。
吟遊詩人ならではの商売の仕方だ。考えたものだね。
「試作品で申し訳ありませんが、この本はイオさんに差し上げます」
「……良いのですか?」
僕は尋ねた。
ヨシュアさんは微笑みながら、頷いた。
「素晴らしい物語に巡り合わせて頂けたせめてもの御礼です。御自分が経験なされた物語を、時々は紐解いてゆっくりと体験なさって下さい」
僕に本を渡し、静かに一礼をして、言う。
「それでは、私はこれで。遠い空の下で、貴方がこれからもっと素晴らしい経験をなされることを、お祈りしておりますよ」
もう旅に出るのか、ヨシュアさん。
まあ、彼にはこれから各地を巡業して本を売り歩くという大きな仕事がある。それをわざわざ引き止めるのは無粋というものだろう。
僕も、彼の旅が平穏かつ素晴らしいものになるように、願っていよう。
それで、またいつか、巡り合うことがあればいいな……と、思う。
「ヨシュアさんも、お元気で」
僕は冒険者ギルドを出ていくヨシュアさんの背中を、穏やかな気持ちで見送った。




