第290話 吟遊詩人は語る
「イオ! ちょっと来い!」
僕が引越しの準備を始めて数日が経った頃。
いつものように仕事場で鑑定業務に勤しんでいると、ノーグさんが僕を呼ぶ声がした。
何だろう? 追加の鑑定依頼でも来たのかな。
小首を傾げながらギルドカウンターに向かうと、そこにはノーグさんの他に見慣れない姿をした細面の青年がいた。
「お前に客だ」
カラフルなチュニックをアシンメトリーに着崩したような独特の衣裳を身に着け、手に小型の竪琴を持った青年は、僕の姿を見つけると柔和な笑みを浮かべてこちらにゆったりと歩み寄ってきた。
「初めまして。私はヨシュア・リートと申します。各地を旅しながら歌を作って生計を立てております」
吟遊詩人だ。歌を作り、それを歌うことを生業としている人間である。
彼らは各地を点々と旅しているので何処にでもいるといえばいるのだが、この辺りで見かけるのは珍しい。
「イオ・ラトンです」
ヨシュアさんが右手を差し出してきたので、僕はそれを握り返した。
「貴方が、そこに貼られている新聞を書かれた御方ですか?」
言って彼が目を向けた先には、クエストボードに貼ってある僕直筆の新聞があった。
ああ、新聞を読んでくれた人なのか。
「ええ、まあ」
「私、吟遊詩人として長く旅をしておりますが、このような逸話に出会ったのは初めてです」
ヨシュアさんは遠い目をして語った。
「人と異なる種である魔族。彼らが国を興し、人と交流を持たんと世に姿を現した──素晴らしいことではありませんか」
彼が目を向けている先には、彼の想像の世界が広がっているのだろう。
その想像の世界のイメージを作っているのが僕が書いた新聞なのだと思うと、ちょっぴりむず痒い気持ちになる。
「これは、1人でも多くの人に知ってもらうべきだと私は思いました」
ヨシュアさんは遠くを見るのをやめて、僕の目に視線を合わせた。
「イオさん」
僕の手を取り、それをぎゅっと強く握って、彼は言う。
「本を作るつもりはありませんか?」
「……はい?」
唐突な申し出に、僕は思わず問い返した。
「本を、作る……ですか?」
「そうです」
こくんと深く頷くヨシュアさん。
「この新聞に書かれていることを、そのまま本にするんです。本になれば、より多くの人々がこの話を知る機会が得られます。話は、多くの人に知られてこそ価値のあるもの……やる価値は、十分にあると思います」
本に……なる。僕が見聞きしてきたことが、僕の手で。
本になって多くの街の本屋に並べば、冒険者たちだけではない、一般の人たちにも僕が伝えたいと思っている話のことを知ってもらえる。
それは、ある意味僕の理想であるとも言えた。
でも、僕は本の作り方を知らない。
本にしようと言われても、どうすれば良いのかが分からないのだ。
「興味深いお話だとは思うのですが……僕はただの鑑定士です。本を作ったことなどないのですが」
「私に協力させて下さい。私なら、貴方からお聞きした話を本にすることができます。売り歩くことも私が責任を持って引き受けましょう」
吟遊詩人はそんなこともできるのか。
僕からすれば願ってもない話ではあるが……今日出会ったばかりの人に、そんな大きな仕事を任せてしまって良いのだろうか。
僕が考え込んでいると、彼は大丈夫と自信満々に言って、頷いた。
「世に素晴らしい物語を伝え広めるのが吟遊詩人の役目。これは私が巡り合った大きな使命でもあるのです。どうか、引き受けさせて下さい」
……僕は、嬉しかった。
僕が投げた一石は──僕が思っていたよりも大きな波紋を生んで、より遠くへと広がっていこうとしているのだ。
これは断っちゃいけない。そう、僕の心は告げていた。
「……分かりました」
僕は頷いた。
「多くの人に読んで頂けるような本にしましょう。宜しくお願い致します」
「お任せ下さい。必ず、素晴らしい本にしてみせます」
そう力強く言うヨシュアさんの顔は輝いていた。
思いがけないことになったけど、彼と一緒ならきっとやり遂げられる。僕はそんな気がしていた。




