始まりを告げる黒の蠢き
まだ夢を見ているのだろうか。
目を開いたのに視界が薄暗かった。目を擦って二、三度瞬きをしても、ギリギリ天井が見えるか見えないかくらいの暗さが視界に居座っている。
「‥‥‥ああ」
上半身を起こしたら視界は開け、原因はすぐに判明した。同じベッドの上で紅葉と体を重ねるように、月夜は踞っていたのだった。
寝ている間も変わらず、黒ワンピに翡翠色の水晶の髪止め(?)を常備している。
紅葉の腹からは艶のある黒髪が伸びており、さらに少女の首が突き刺さっている。
なんとも奇妙な光景を目覚めと共に目の当たりにして、紅葉は改めて実感する。
「そうだったよな‥‥‥俺がなんとかしてやるって決めたんだったよな」
体を横にずらせば月夜の寝顔が露になる。
再会した時は普通ではない要素をありったけ詰め込んだ風貌の月夜であったが、こうして寝顔を見るとそこらの少女となんら変わらない。一人の人間だった。
紅葉はベッドを降り、カーテンを開けて部屋に日光を取り込む。
(んぅ‥‥‥)
月夜の顔に光が差し込み、小さな唸り声をあげて眉を寄せた。
「ああ、悪い悪い」
彼女の顔に日光が差し込まない程度にカーテンを閉め直し、顔を洗いにトイレの手洗い場へ向かった。
「‥‥‥は?」
手洗い場の鏡に映った自分を見るなり、紅葉の思考は完全に停止する。
何故ならその鏡には、自分のものとは思えない顔が映っていたのだから。
首元から伸びる、禍々しく黒い痣。
それが紅葉の顔の左半分まで侵食している。
「なんだ‥‥‥これ」
放心状態でようやく声を発する。
「待て‥‥‥落ち着け。とりあえず落ち着こう」
深呼吸を一息。浮いていた心が元に戻ってくる。
落ち着いて黒い痣を観察すると、その黒には見覚えがあった。
上着を脱いで確かめる。
そう、紅葉を延命した月夜のチカラの象徴、胸に刻まれた【薔薇の刻印】と同じ色だった。
黒い薔薇はまるで蔦を伸ばすかのように、紅葉の顔を黒く染めていた。
「昨日寝る前はこんなことにはなってなかった。じゃあ寝てる間、それか朝起きたらこうなってたってことか?」
黒くなった頬をこねたり、つねったりしてその痣を観察する。
「痛みはねぇ......けど、どうすんだこれ。こんな見た目じゃまるっきり化け物じゃないか」
顔半分が黒く染まって、道化師のような見た目になってしまっている。
病院内の人に見られたら、奇異の目で見られることは間違い無い。
そして紅葉の予感はすぐに的中する。
「あ、悪魔じゃ!!」
「は?」
急に後ろから叫び声がして、振り返ると病衣を着た老人が尻餅を突いていた。
鏡に映された紅葉の姿を見て腰を抜かしたのだろう。しわくちゃの唇を震わせ、紅葉に罵声を浴びせる。
「悪魔めぇ、ここまでわしに執着するかっ!忌々しいっ!!出ていけっ!出ていけっ!この化け物がっ!!!」
「なんだっ!?」
立ち上がらない体を右腕で後退させ、背を壁に掛ける。残った左腕で紅葉を執拗に払った。
老人のオーバー過ぎるほどのリアクションに押されて紅葉もトイレの奥へ、一歩退く。
「違う!これは、違うんだよ!」
老人のペースに乗せられている。これでは弁解のしようがない。
面倒なタイプの人とエンカウントしてしまった、と紅葉は頭を抱える。
老人の声はさらに大きくなっていく。朝の病院だということをものともしない。
しばらくして老人の元にヘルパー?が駆けつけた。
ヘルパーは老人に肩を貸し、軽く背中を叩きながら言い聞かせた。
「大丈夫ですよ!悪魔なんていませんから!ああ、申し訳ございませんでした!さあ、行きますよ」
老人並のマシンガンボイスで場を片付ける。
こちらには見向きもせず言葉だけをかけて手洗い場から退散していった。痣を見られなかったのは幸だったか。
「ああ‥‥‥てかヤバいな。そろそろ廊下も人が増えてくるだろうし早く部屋に戻んねぇと、また誰かに見られるぞ」
手洗い場の出口から顔だけを出して、廊下を見渡す。
第一遭遇者があれだけ盛大にリアクションする老人だったのだ、紅葉は必要以上に周りを警戒する。
何故か目が異常なほど冴えていたが、今の紅葉は気にする余裕はなかっただろう。
「よし、今だ」
小走りで自室に戻る。
部屋では窓の外の景色をじっと見ている月夜が一人、佇んでいた。
その姿は日光に照され、本当に消えて無くなってしまいそうである。
「おう、起きたか月夜」
(コウヨウ‥‥‥どこに行ってたの?)
呼びかけに気付いた月夜は一目散にこちらへ飛んでくる。その時の表情は深い憂いを帯びていた。
飛んできた月夜は床に足を着け、紅葉の体に顔を埋める。
「おいおいどうしたんだよ。ちょっと顔洗ってきただけだぞ?」
本当は洗えなかったが、と心の中で付け足す。
(月夜が起きたらコウヨウがいなかったから、いなくなっちゃったと思った)
触れることができなくても、安心させるつもりで月夜の頭を優しく撫でる。
体を引いて表情を伺うが、やはり月夜の表情からその憂いは取り除くことはできなかった。
「大丈夫だよ。俺は月夜を置いて居なくなったりなんてしない」
しゃがみこんで目線を合わせ、今にも涙が溢れてしまいそうな少女をあやす。
(‥‥‥いなくならないでね)
.効果はあったようだ。月夜の表情は少し和らぎ、コクンと頷いた。
紅葉もふう、と胸を撫で下ろす。
(あれ‥‥‥?コウヨウの手、黒くなってる。どうしたの?)
「ああ、そうだった。そういや忘れてたわ。あの花から顔に‥‥‥って手!?」
(コウヨウ、手が黒くなってる。顔も)
慌てて自分の右手に目をやると確かに手の甲が痣で黒く染まっている。
シャツの衿から刻印を覗いてみたら、薔薇は蔦を伸ばして腕を通り、今もなお成長しているかのように見えた。
「うわぁああなんなんだこりゃ!!そうだよこれだよ月夜、これどうやって治すんだよ!?」
(わかんないよ。初めてそんなの見た)
怯える様子は見せないものの、やはり驚いているようだ。
一方の紅葉は、体がどんどん黒くなっていくことに比例して焦り、不安が大きくなっていく。
薔薇の刻印に体を支配されつつあるのでは、と気が気でない。
「わからないってこれ月夜のチカラの副作用じゃないのか?絶対ヤバいやつだろこれ!」
(そんなこと言われても‥‥‥月夜はわかんない)
今一度考えたらとんでもないチカラに出会ってしまったものである。
黒獣に襲われた時の傷の完治、さらにそのチカラを失った者が透明化してしまうほどの影響力。
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「どうやら永遠の月の所持者は、現在病院で入院中のようです。年齢は十七。性別は男性。名前は秋風紅葉」
『エェークセレェェェントッ!!!素晴らしい!!』
「状態は良好のようで、今日中に面会することは可能だと思われます」
『どう誘うかはあなたに任せるのデェース。‥‥‥ああ、ああ!!永遠の月!!!結界の外からでもビシビシとルナを感じるのデェーッス!!!!』
「本当ですか。私は月華の感知には拙いので感じられないですが‥‥‥」
『この莫大な量のルナ、身の毛が逆立ってしまうのデェース!!』
「では、失礼します」
『健闘を祈るのデェース!!』
修正済