月夜の本心
「なっ.........!!」
病院での昼食。初体験と言えば初体験なのだが、何処で昼食を食べていようと今はどうでもいい。
紅葉は隣にいる月夜の食事に目を奪われていた。皿の上で半分に分けられたクロワッサン。
半透明人間の彼女は当然のようにパンを手掴みして、口に運ぶ。
何故?月夜は紅葉の体はおろか、建物の壁や床を通り抜けてしまう霊体になっているハズなのにだ。なのに食べ物は何故か普通に触ることができている。
パンの欠片は半透明の口を通過すると跡形もなく見えなくなる。見えたら見えたで怖いのだが。
そんな月夜の異様な食事風景を見ながら紅葉も昼飯に食らいつく。
「どうだよ月夜。クロワッサン美味いか?」
(うん)
超シンプルな返事がサラッと返ってくる。返事が面倒なくらい美味いのだろうか?
ここでノックすらなしに部屋のドアが開かれた。
「紅葉、調子は良さそう~?」
「ああ、母さんか。ビックリするからノックくらいしてくれよ」
調子が良さそうだということを食事の様子から判断したのか、安心して側の椅子に腰掛ける。
「中から話し声が聞こえたからハルちゃんがいると思ったんだけど‥‥‥まさか独り事?」
「いやぁまあ‥‥‥そんな感じかな」
適当に月夜のことは茶を濁して話題を変える。
「そういや天境橋はどうなんだろう、もう起きたのか?」
「さあ。私はてっきり紅葉と話してるもんかと思ってたわ」
「後で見に行ってみるか‥‥‥」
「あ、そうだ。ちゃんと歯磨いてる?看護婦さんに迷惑かけてない?」
始まった。母親名物の説教だ。母は口と体を同時に動かし、周りの掃除と説教を両立させていた。全く器用なものだ。
気が付けば数十分ほど母の説教を受けていた。
「さて、母さんこれから仕事だからもう帰るね」
「おう」
内心飽きれながら母の後ろ姿を見送る。全く嵐のような人だ。
母が部屋を去った後、月夜は呟いた。
(あの人‥‥‥何か変わってる人だね)
母に対する月夜の評価に思わず苦笑いしてしまった。
「変わってる人て。まあそうかもしれないな。基本お節介だもんなぁ」
月夜は少し考え込んだような表情とポーズを取る。
(何か‥‥‥コウヨウと同じ感じがするの。他の人とは違う、コウヨウと同じ感じがあの人にあったの)
「んん‥‥‥たぶんあの人と俺は親子だからじゃないかな。あの人は俺の母さんだよ」
(お母さん)
ポツリ、と呟く。
(月夜にもお母さんはいるのかな)
「そりゃいるさ。いなきゃ月夜は存在しないんだからな」
(でも月夜のお母さんなんて見たことない。月夜は、ずっと独りぼっちだったから)
「そうか」
返す言葉も見つからず、黙ってしまった。月夜の表情が少し曇っているような気がした。
用意された昼食を食べ終え、ベッドから起きた。
やっぱり調子は悪くない。むしろ体にエナジーが湧いてくるくらいだ。それも月夜のチカラのお蔭なのだろうか。
「ごちそーさんっと。よし、じゃあ天境橋の様子でも見に行くか」
(てんきょうばし?)
「俺と月夜が初めて会った時に俺と一緒にいた女の子だよ、天境橋ハル。たぶん天境橋も月夜が助けてくれたんだよな?」
(あ、うん‥‥‥)
どうもさっきから月夜の機嫌が悪いようだ。
食事中、あれから一言も話さない。考え事でもしているのだろうか。
「じゃあ行くぜ」
ベッドの側にあったスリッパを履き、病室を出る。
月夜も見よう見まねで床に足を付け、紅葉のの後を歩く。
廊下は看護婦やリハビリ中の患者、見舞いの人が行き来している。この町の病院はここしかないため、人が集中してしまいがちだ。
「たしか、天境橋の部屋は301番だったかな?」
壁に掛かった札?を頼りに天境橋の部屋を探す。
廊下の窓からは暖かい光が射し込んでいる。空には雲ひとつない、まさしく快晴と言ったところだ。病院にこもっているのがもったいない。
と、そうこうしてるうちに見つけた。301の部屋だ。
軽くドアをノックする。するとドアは開き、看護婦が一人出てきた。
不意を突かれて後ずさってしまった。後ろにいた月夜は紅葉の体にめり込んだ。
「あら、何か用でしょうか?」
「あぁ、いや。ちょっと様子を見に来ただけです。どうですか?天境橋は」
看護婦は微笑み、天境橋の状態が良好であることを伝えた。
「ええ、天境橋様は順調に回復に向かっています。ただ、まだ目を覚ますのは先になると思われます」
「そうですか‥‥‥」
「それでは失礼しますね」
と言って去っていった。
「暇だし顔だけ見てくか」
閉まったドアを開け直し、ゆっくりと入室する。
部屋には仕切りのカーテンが広がっていた。少しだけカーテンを開け、中に足を踏み入れた。
「よう、天境橋。大丈夫か~」
返事が来ないことはわかっているが、小声で呼びかける。
案の定返事は帰ってこなかったが、すやすやと眠る彼女の顔がお出迎えした。思い返せば天境橋の寝顔は初めて見たかもしれない。
「まぁ大丈夫そうだよな。ほんじゃ、戻るわ」
カーテンを元に戻し、ベッドから離れる。
ここで気が付いた。月夜がいない。周りを探してもその姿は見えなかった。壁の中に消えた訳でもなさそうだ。
「どこにいったんだ?」
部屋を出て、廊下を端から端まで見渡す。いない。
いったいどうしてしまったのか。月夜の性格的に自分からいなくなるような奴ではないだろう。
「病院の中じゃあの服装は目立つだろうし、すぐ見つかると思うんだが」
自分の部屋まで戻ってくるまでには見つからなかった。
仕方なく受付のほうまで足を運んだ。
「あっ」
いた。半透明の少女。月夜は壁際に立ち、あるものに釘付けになっていた。
「どうしたんだ‥‥‥?」
あえて呼びかけず様子を見守ってみる。
月夜の視線の先には、腕を抑えて泣き叫ぶ月夜と同じ歳くらいの子ども、そしてその子を優しく抱く母親がいた。
聞き耳を立ててみると、どうやら子どもが注射を打ち終えたところらしい。
さて、そろそろ月夜に声をかけるとしよう。
「おーい月夜。何やってたんだ?勝手にいなくなってよ」
月夜はすぐに振り向いた。
(コウヨウ‥‥‥)
またしても不意を突かれた。
月夜は紅葉の名を呟くなり、こちらに突進してきた。
「おわっなんだ!?」
月夜が抱きつこうとする体勢をとる。が、やはり体を通り抜けてしまう。
一歩下がって重なった体を開けさせる。
露になった月夜の顔は、さっきよりもさらに悲しみを帯びているような気がした。
–––––––ああ、そういうことか。
『一緒にいられるだけで嬉しい』
これは間違いなく月夜の本心だろう。
だが誰にも触れられなく、紅葉以外に言葉が通じないのでは独りのようなものだ。
自分を知る者、親すらいない幼い少女。頼れるのは秋風紅葉、ただ一人。
「大丈夫だよ。月夜には俺がいるじゃないか」
(うん‥‥‥)
俺がなんとかしてやるからな。そう心の中で呟いた。
修正済