一緒に
‥‥‥確かに霊体だ。
月夜の頬へ伸ばした腕は、何にも触れることなくすっぽり通り抜けている。当然感触はない。
まさか本当に、その言葉の通り、月夜は全てを紅葉に注いで助けてくれたと言うのか?
自身が霊体になってしまうほどのチカラを使って?紅葉自身、何を考えているのかわからなくなりそうだ。そんな魔法のようなことがあるのか。
だが事実として、霊体の彼女が目の前にいる。
月夜はベッドの上を浮遊したまま紅葉と少し距離を取り、涙が流れている顔を手で隠してしまった。
このまま放っておくわけにもいかない。紅葉はおそるおそる話しかけた。
「な、なぁ月夜」
月夜は手を下にずらし、目だけを露にして答える。
(な、に?)
「月夜はいったい何者なんだ?」
(月夜は月夜。コウヨウがコウヨウで月夜は月夜)
「‥‥‥はあ」
よくわからない返事が返ってきた。哲学の教本にありそうな一文である。
「そ、そうか。じゃあ月夜はどうして俺を助けてくれたんだ?」
(月夜を見つけてくれたのはコウヨウが初めて。月夜はずっとひとりぼっちだった。月夜には、コウヨウしかいないから)
「ひとりって...月夜はお父さんやお母さんはいないのか?」
(.............っ)
会話が止まる。何かマズイこと言ってしまったか。と思ったが月夜は手で隠していた顔を出し、返事をした。
(いたのかもしれない。いないのかもしれない。けど、頭の中にお母さんの声が残ってるよ)
変わらず難解な言い回しだ。今はいなくなってしまったが、お母さんの声を頭の中に記憶してるってことだろうか?
「お父さんやお母さんの他には誰かいなかったのか?」
(いない。月夜が起きた時には誰もいなかった)
月夜がまたこちらに近寄ってきた。
そして、溜め込んでいたものが溢れるかのように言葉を放った。
(もう月夜は!月夜はコウヨウとずっと一緒にいたい。ずっとずっと)
月夜の瞳が俺をまっすぐ見つめる。頼れるのは秋風紅葉しかいないのだと。
こんな目で自分を見られたのは生まれて初めてだった。独りの少女が自分を求めている。応えは決まっていた。
「わかった。いつでも一緒にいるよ。俺を助けてくれた恩人だしな!」
(‥‥‥ほんとに?)
「ああ、本当だ」
(月夜はコウヨウに触れないのに?)
月夜は紅葉の頭に腕を通して上下左右に振る。その腕が貫通したまま答える。
「本当だって。触れるか触れないかの問題じゃない。俺と月夜がお互いを認識できれば一緒にいることになるさ」
少しカッコつけたセリフを言ってみた。が‥‥‥
「‥‥‥おい」
無視された。相も変わらず月夜は無表情のままだ。だが先程の悲しげな雰囲気はなくなっている。
(ありがと.‥‥‥やっと月夜はふたりぼっちになれた‥‥‥!)
「ぼっちは付けるなよ。『ふたり』でいいんだ」
今少しだけ月夜の口角が上がっただろうか?見直してみたがその口角はいつもの通りまっすぐだった。
(ありがとう、コウヨウ)
「ああ。好きなだけ一緒にいよう。月夜」
ここで紅葉の腹の虫が鳴った。時計を見たら午前10時を過ぎていた。
窓から太陽の光がほどよく差し込んでいる。
思い返してみれば、月夜に朝食のパンを食べられていて自分は何も口にしていなかった。
「‥‥‥あれ?ちょっと待て。月夜、お前どうやってパンを食べたんだ?何にも触れないんだよな?
月夜は首を傾げて考える素振りを見せる。自分でもわからないのか?
(あっ‥‥‥!)
ハッ、と小さく口を開け、思い出したような仕草をとる。
霊体で無表情。しかしちょくちょくとるその仕草が可愛らしい。
「どうなんだ?」
(たぶん、食べようと思ったものだけ触れるんだと思う)
「なんだそりゃ‥‥‥えらい都合のいい体になっちゃったな」
(なりたくてこうなったんじゃないもん)
「そうだ。月夜は俺を助けるために自分の全てを入れたって言ってたよな。そこら辺はどういうことなんだよ?」
次の質問はすぐに答えが返ってきた。
(月夜は変なチカラを持ってたから、それをコウヨウに渡して助けた)
「アバウトな説明だな‥‥‥もうちょっと詳しく教えてくれよ。一番気になることなんだし」
(月夜もよくわからない。けど、そのチカラがなくなったらこうなっちゃった)
また月夜は腕を紅葉の体に貫通させる。
遊びで人の体に腕を貫通させるのはやめていただきたいものだ。
「人の命を救えて、チカラがなくなると持ち主は霊体になる...とんでもなくヤバそうなチカラだな。そんな物が俺の体に入ってるなんて実感がないぞ」
(月夜が持ってた時は体に黒い花の印がついてた。たぶんコウヨウもついてる)
黒い花、それには心当たりがある。いくら洗っても取れなかった烙印のようなものだ。
上着を脱ぎ、胸についた禍々しい花を月夜に見せた。
「これのことか?」
月夜は上半身を必要以上にまじまじと見てきた。恥ずかしいのでさっさと着直す。
(そう。その花が月夜が持ってたチカラの源)
「やっぱりそうだったのか‥‥‥あ、じゃあ月夜から俺にこの花を渡せたのなら俺から月夜に返すこともできるんじゃないか?そしたら月夜も元の体に戻れるぞ」
(やめたほうがいいよ。コウヨウはこの花のお蔭で助かってる。この花が月夜に戻ったらコウヨウは死んじゃうかも)
「おっ‥‥‥‥‥‥」
流石に命を助けてもらった直後、ここで死ぬ訳にはいかない。紅葉とて未練ありまくりの高校生だ。
しかし月夜もいつまでも霊体のままでいさせるわけにもいかない。
(気にしないで。月夜はコウヨウと一緒にいられるだけで嬉しいから)
突然、病室の扉が開いた。
「秋風さ~ん。遅くなりました、部屋の掃除に参りました」
さっきの看護婦さんだ。入室してくるや否や、テキパキと上布団を整え、朝食のトレーを片付けていく。
そうだ。先ほど月夜に食べられてしまった分の食事を追加で持ってきてもらおう。
「あの~看護婦さん、朝食なんですけど、この子が食べちゃって。まだあったら欲しいんですけどいいですか?」
月夜の方に手を向けて言った。
「はい?」
看護婦は紅葉の言っている意味がわからない様子だった。
「いや、俺の隣に浮いてる子で‥‥‥あっ、驚かないでください、一応この‥‥‥」
(コウヨウ、やめてっ)
月夜が瞬時に口を挟む。こちらへ飛び込んできた霊体に怯み、言葉を途切れさせてしまう。
「申し訳ございません秋風さん。決められた量の食事でないと体調を崩してしまう恐れがあります。12時頃にお昼食をお持ちしますのでお待ちください」
と言って看護婦は病室を出ていった。月夜には全く興味を示していなかったようだった。
「なぁどうして止めるんだよ。月夜は食べたからいいけど俺は食べてなかったから腹減ってんだぞ?」
月夜が気にしているのはそんな些細なことではなかった。
(月夜のことをコウヨウ以外に言うのはやめて。みんな月夜のことが見えないから、月夜のことがわからないの)
.........確かに看護婦の反応を見るに、月夜の姿が見えていなさそうだった。
「そうか、ごめん。でも俺が月夜のことを話せば月夜の存在を知ってくれる人がいるかもしれないぞ?」
(月夜にはコウヨウしかいないの。みんな月夜のことわかってくれない。だから月夜のことをみんなに言うのはやめて)
トラウマと言うのだろうか。他人に認識されないことに対して酷く怯えているようだった。
「あ、ああ、わかったよ。ごめんな」
(うん‥‥‥)
月夜は紅葉の側に腰を掛けた。正確にはベッドより少し高い位置で浮遊しているのだが。
(月夜も‥‥‥ごめんなさい。勝手にコウヨウのご飯食べちゃって)
顔を下に向けたまま月夜は謝る。
「いいよ、気にすんなって。もうすぐ昼飯だしさ。次は一緒に食べりゃいい」
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『はい、こちらヴァージーです。ようやく永遠の月の所有者が見つかりましたよ。‥‥‥彼は協力的だと良いのですが』
修正済