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上章

 くそが。くそったれのボケが。

 マイクロバスにうつらうつらと揺られ、寝惚けたおれの口からそんな言葉が涎と共に漏れ出た。

 慌てて目を覚まし、へつらった笑いで同乗者に謝罪をしようと思ったが、周りを見回しても、そんなおれを気にしてる奴はいなかった。

 夜勤明けで、皆気が立ってるだろうが、おれなんかに興味がある奴は一人もいない。

 それを察したおれは溜息をつき、平謝りした後、欠伸を噛み殺しながら、バスの窓から外を眺めた。すると、もうすぐ山谷に到着することが分かる。

 まだ日は登りきっておらず、薄暗さが残る空だが、労働者たちは動き始めている。

 申し訳程度の大きさの建物が並んでいるのを見て、ケツの周りのイボイボのようような街だな、といった言葉が頭に浮かんだ。

 この街に来てから10年ほどたったが、それでもそんな感想が出てくる。

 だがそんな無意味な感想も、夜勤明けの脳が織りなしているだけであって、とりあえずおれは帰ったらすぐに寝ることになるだろう。

 さて、今日はどこに帰るかと、頭の中で財布と相談した。 

 簡易宿舎ドヤに泊まる余裕はあるだろうかとか、もし無理ならどのあたりのスペースで眠れるだろう、だとか。

 そんなことをあまり回らない頭で考えていると、いつのまにか事務所に到着したので、今日の分の給料を受け取り、適当にその場を後にした。

 財布を覗いってみると、思ったより余裕があったので、パック酒を買いつつ、ひと眠りしたら風俗にでも行くかと、今日の予定を立てたが、途中の広場の隅で力尽きて眠りこけてしまう。


「おい、あんさん」


 何時間か、何分か、どれくらい寝たかわからないが、しわがれた声によっておれは起こされる。

 目を見開くと、長い白髪の、妖怪みたいな老婆がおれを見下ろしていた。


「なんだよ。ここあんたのテリトリーか?だったら悪かったな」おれは起き上がり、髪をかき上げた。

「ちがうよ。あんた憑かれてるよ。赤ん坊だな」


 おれは一瞬何のことか考えたが、寝起きの鈍い頭でも、特に意味がないことを理解できた。

 ようすりに、くるくるぱーかカルトの類だ。この街では珍しくもない。


「あーはいはいわかった。おれは、んじゃあ帰るから」


 適当にあしらって、その場を後にしようとしたが、ババアはその体躯に会わない力でおれの腕を掴んだ。


「嘘だと思ってるんだろ?本当だって水子がついてる」


 水子って生まれれなかった赤ん坊の霊だったかな、と思いだす。


「残念だったな。おれは素人童貞だ」

「いるもんはいる。この人殺しが! お前は不幸になるぞ!」


 ババアの口から唾が飛び出て、おれの顔にかかる。

 乳臭い下呂の臭いが鼻をついた。

 それにより俺のこめかみに血管が浮き出たのが分かった。


「いい加減にしろこのババア! 男がが欲しいなら孫でも犯してな! この奇形マンコ!」


 おれはババアの腕を勢い良く振り払った。

 すると、ババアは目の前で手を合わせ拝み始めた。


「ああ、恐ろしや恐ろしや。こんな救いようのないゴミクズがいるなんて。そりゃあ生まれなかった赤ん坊も浮かばれないだろうね」


 おれは、舌打ちをしたのち、唾を地面吐き捨て、その広場を後にする。

 ババアは俺が見えなくなっても何か叫び声を続けていた。


 ◇ ◇ ◇


「本当についてるよ」


 ベッドの上で杏がそんなことを言いだした。


「本当かよ。何だよ皆して」おれは裸でベッドに腰かけながら返した。


 あの後おれは銭湯に入ったり、図書館で座ったまま仮眠を取ったたりし、そして安ヘルスに向かったのであった。

 どうせヘルスで体は洗うんだし、銭湯に入るのはもったいなく感じたりもしたが、あまりにも臭いと出禁になるので、背に腹は代えられない。

 指名したのは杏子あんずこという源氏名の、自称20歳の女で、すっかり顔なじみになっている嬢であった。

 そして行為を終えた後、時間が余ったので適当に雑談ついでに、今朝のババアのことを話たのだ。


「私そういうのわかるの。だから藤岡さんには本当に憑いてるって」


 杏子は自称二十歳だが、下品すぎない化粧と、部屋の薄暗さのおかげでその通りの年齢にも見えた。髪は軽く茶色に染めており、目は少し垂れ気味であった。


「さっきも言ったけど、おれ素人童貞だって」おれは服を着ながら言った。

「本当に? 嘘ついていない」

「本当だって」


 何が悲しくて風俗嬢に、素人の女とセックスしたことがありませ~ん、なんてばらさなければいけないのだろうか。だがコミュニケーション能力が著しく低いおれからしてみれば、少ない話題を開放するしかないのだ。

 そんなくだらない話題でも、金を出せば嬢は乗ってくれる。


「でも憑いてるんだよねえ」と杏子は俺をジロジロと見回した。

「じゃあ祓ってくれよ。気味悪くって仕方ねえ」


 同じくるくるパーのカルトでも、自分より若い女―――多分―――と妖怪ババアなら対応も変わるなあ、と思いながらおれは適当に相槌をを打った。


「あーダメダメ。私見えはするんだけど祓うのは専門外だから」

「そうかい。そりゃあ残念だ」


 ちっとも残念に思っていない口調で、おれは部屋を後にしようとした。


「じゃあさ、いいお祓いしてくれる人紹介しようか? 知り合いなんだけど」

「ああ。また今度会った時に頼むよ」


 おそらく次に会うのは一か月以上先になるし、そのころには互いにその話を忘れているだろう。

 

 ◇ ◇ ◇


 おれがこの世に生を受けて28年。

 そしてこの街に来てからの10年がたった。

 あのころは就職もせずにぶらぶらし、面接に行くと言ってはパチンコに行っていた。

 そんな暮らしを続けていたら、唯一の肉親であった母が病気で死に、遺産もなく、家も訳が分からないうちに親戚にとられ、当てなくさまよって、日雇いの仕事でその日暮らしを続けているうちにこの街にたどり着いたのであった。

 多分母親が死ななくても、同じような暮らしをしてたのだろうなあとおれは思う。

 どれぐらいこの暮らしを続けるつもりなのかもわからないし、どれくらい続けられるのかもわからない。

 一日で申し訳程度の金を稼ぎ、安酒と、売女の尻で、自身を慰める毎日が永遠に続くようだった。

 だが抜け出さなくては、という気持ちもあまりわかず、この街でなんとか生きていっている。


 杏子から水子が付いている、と言われて二日が経った。

 一日休んだが、今日は仕事を探しにこうと思う。

 この地区にはアブレ手当なるものがある。アブレ手当とは日雇労働者の失業保険金のことで法律上の名称は日雇労働者給付金である。日雇労働被保険者手帳、通称白手帳を持っている日雇い労働者は仕事にでると、業者は手帳に一日に一枚印紙を貼らなければならない。そして二ヶ月で28枚の印紙が貼られると、三ヶ月目からアブレ手当がもらえる。

 しかしながら、それを利用した詐欺などが理由で、数年前から貰いづらくなっている。

 そしておれは数年前までアブレ手当を当てにして、ひと月の仕事の計画を立てていたため、どうも毎日働くということが苦手になっていた。別に仕事のない日は、図書館で時間を潰したりして暇を潰すぐらいしかやることがないにもかかわらずだ。

 おれは早朝、職安に向かい、ごった返す労働者をかき分け、張り出された掲示板から仕事を探す。

 そして見当を付け、受付に向かった。


 今日は冷蔵の倉庫の仕分け作業を行うことになった。

 日雇いと言えばドカタのイメージが強いがそういうわけではない。

 イベント設営や、印刷工場での作業など様々な物がある。

 しかしそんな中で冷蔵庫での作業はおれは比較的苦手であった。

 ライン作業は苦ではないのだが、低温下では時間の流れが遅く感じ、時給的に損をしているような気分になる。

 ただいいこともあり、低温化では感情の表現がしにくくなり、よっぽどの失敗をしない限り、怒鳴られたりすることが少なく、トラブルを最小限に抑えることが出来る。とはいえ、表には出さなくても、感情は溜まるので、大きなことをしでかすと、暴力沙汰になる。そんな例を一軒だけ知っていた。

 今日は、流れてきた荷物を積み上げていくというポジションの配置となった。

 おれはあまり筋肉が付きにくい体質なのだが、流石に何年も続けていると、力の入れどころと抜きどころというものがわかってきた。

 荷物をご段積み上げると、別の人がバールのようなものをひっかけ持っていってくれる。それは一時間繰り返し、15分の休憩を挟み、また繰り返す。

 そんなこんなで8時間が経ち、残業もないようなので本日の作業を終えた。

 立ち飲み屋で適当に酔い、宿ドヤに向かう。

 宿代に当てれるのが1000~1500円ならベッドハウス、1500円~2000円なら二畳くらいのドヤ、それ以上ならネットルームと決めていた。

 そして今日の予算は1500円。

 安酒と、豆腐を片手に帰路につく。―――帰路って何だ?

 様々な蛍光色のネオンが、路地裏を照らしていた。

 そんな時だ。おれがあいつに会ったのは。

 路地裏の真ん中で、オカッパの少女が佇んでいた。

 薄暗い闇の中、何もないくうを見ているようにつっ立っていた。

 7歳ぐらいだろうか。長袖の上にカーデガンを着ており、チェックのスカートをはいていた。

 おれはそれを見て珍しいとは思ったものの、素通りをする。迷子だろうが、構う筋合いはない。

 だがあろうことか、そいつはおれの後をついて来た。

 気味が悪いと思い、走って距離をとる。


「何なんだよクソが」


 しかしまいたと思っても、次の角を曲がるころにはいつの間にかそのガキは前に来ていた。

 とりあえず初めは猫をかぶって、諭したり、両親はどこにいるかを聞いてみたりもした。

 だが一向に園が気は口を開こうともしなかった。

 終いには人目もはばからず怒鳴りつけたりもした。だがじっとおれのことを見ているだけだった。

 そんな声に驚いてか、路地裏に座っていた浮浪者が、何事かと話しかけてきた。


「何だってんだやかましい、てお前かよ」


 見るとそいつは俺にとっては顔なじみの浮浪者だった。異臭と、酒の混じった臭いをまき散らしていた。

 確か村長、って仇名があった気がするが。

 

「ああ、聞いてくれよ」とおれは笑みを張りつけて言った「何かガキが後をつけてくるんだよ。迷惑ったらありゃあしない。親は何をしてるんでしょうかね」


 村長は眉を顰め、おれの背中をのぞき込んだ。


「で、そのガキってのはどこにいるんだ」

「いやいや、勘弁しろよ。こんな目立つガキがここ以外にどこにいるってんだ」


 村長は今度は入念におれの後ろを探し出した。だがガキとは一向に目を合わせようとはしない。

 おれの方向を向いて、自分の頭を指さした「ついにイカれたか。おれよりお前の方が速くイカれるとは思ってなかったぞ」

「はっはっは。つまらない面白い冗談だ」


 仕事前に酒を飲まないと手が震えるな重度のアル中である村長と、仕事後に飲まないと手が震える軽度のアル中であるおれを比べ、どちらが幻覚を見やすいかと万人に問えば答えは明白であろう。


「あ?何だからかってんのか?」と村長は急に怒り出した。

「いやいや、じゃあな。賭けようぜ。その辺のアル中じゃないホームレスに聞いてさ。コイツが見えるか見えないかって。いたらおれが千円もらう。いなかったらおれが払う」

「なんだてめえ。新手の詐欺の方棒でも担いでるのか?」

「違うって」

「……いいだろう。乗った」


 その数分後、おれは村長に千円払うことになった。


 ◇ ◇ ◇


 畜生が。意味が話かんねえ。

 あの後おれたちは何人ものホームレスに、ガキみついて聞いて回ったが、誰一人として見えるとは言わなかった。あまつさえスーツを着て歩いている奴にも聞いたが答えは同じだった。

 確かに俺は軽度のアルコール中毒ではあるが、他の奴らよりましだという感覚があった。

 この街の路上で、吐いては飲み、吐いては飲みを繰り返している奴を何人も知っている。そう言う奴らは大抵、冬は越せない。俺もいつかはそうなるとは思っていたが、まだ先の話だと確信していた。

 憐れむような顔をして去っていった村長の姿が、瞼の裏に張り付いていた。

 とはいっても、病院に行く余裕などないので、次の日も仕事へ向かう。

 あいも変わらずガキはおれの後をついてくる。一緒ににマイクロバスに乗って来たが、誰も反応しない。

 あろうことかおれの膝の上にの手来たのだが、どうやら触ることはできるらしい。最低でもこのガキがあと10年老けてくれたらなと、おれは思った。

 本日は宅配便の仕分け作業の仕事を行った。

 だがどうもバックレた奴がいるらしく、人員が不足していた。

 そのせいか、日雇いの俺の連中にもしわ寄せが来、本日は大忙しとなった。まあバックレた経験は俺もあるので強くは責められない、なんてことはなくおれは自分のことを棚に置き、作業中はそいつへの恨み言で頭がいっぱいであった。

 それに加えガキがずっと俺のことを睨んでくるもんだから、集中力はますます下がる。

 そんな時、若そうな奴がミスをして、荷物の入った段ボールの山を倒してしまう。

 おれは溜まっていたこと柄の八つ当たりとばかりに、その若者を怒鳴り散らしたが、初めは神妙そうな顔をしていたそいつは、次第に顔をひきつらせ言いかえしくる。

 口喧嘩になり、そして最初に軽く手を出したのは相手側だった。だがぞれはそれに全力で答え過ぎた。その後周りの皆が停めにかかり、晴れておれは途中退社、およびリスト入りとなった。


 ◇ ◇ ◇


「あー。何て言うかバアさん。頼みがあんだが」

 

 昨日眠りこけた広場にて、おれは珍妙な踊りをしていたババアに声をかけた。

 ババアは、皺だらけの瞼を細め、おれに向き直った。


「はっ、随分とはっきりしてるのが憑いてるるねえ」


 ババアはガキの方向を向いて言った。


「ついてるって、何がだよ?」


 おれはあえてすっとぼけた。

 ババアが適当言っているだけの可能性もある。


「流石にこんだけ強い霊なら、憑いている本人なら見えているだろう。疑っているんなら容姿も説明してやろうか?おかっぱの女の子で、カーデガンを着ていて、スカートをはいている」


 おれは頭を抱えた。

 つまりおれは狂ったわけではなく、幽霊が見えていたというわけか。

 この可能性に思い至ったのは、仕事場から追い出された後適当に飲んで、路上で寝て、起きてしばらくふらりと辺りを亡霊のようにさまよっていた時だった。

 しかし、杏子に聞こうにも風俗へ行く金はない。そこでこの婆さんに頼らざるをえなくなったというわけであった。


「まあ、何だ」おれはさぞ申し訳なさそうな顔になるよう、出来るだけ努力をしていった「前は悪かったな」

「はあ?なんだって?」


 ババアは目を細め、口を大きく開け、耳に手を当てて言った。


「いや、だから暴言吐いて悪かったって」

「聞こえんな。そんな誠意のせの字もないような謝罪なんざ、あたしの耳には届かんよ」


 おれは歯を食いしばり、顔をひきつらせたが、一旦深呼吸をして改めて笑顔を作り、頭を下げた。


「本当にすまんかった。こうもガキが付いて回っては仕事にも身が入らないし、セン擦りもできやしない。だからなんとかしてくれないか?この通りだ」


 しばらくおれは頭を下げていた。しかし、おれは髪の毛に何かをつけられたのを感じた。

 頭を上げ、手で触ってみる。するとそれが痰の絡まった唾液であることが分かった。

 おれは服の袖で、頭部を拭いた後、ババアに向き直った。


「調子に乗るなよくそババア!黙って下手に出たら、いい気になりやがって!ぶっ殺してやる!」

「おーほーほー!ようやく本音を言ったな!そうさ、あんたみたいなクズが、頭を下げようが、誰も信用しないんだよ!このまま憑かれ続けて、呪い死んじまいな!この梅毒チンポ野郎が!てめえの先祖皆マザーレイパー!」

「てめえ!」


 おれはババアに掴みかかろうとしたが、意外にもすばしっこくて、懐から抜けられた。

 そして横からのタックルでこかされる。

 おれは地面に這いつくばることになった。

 頭の上から、ババアのサンダルで思いっきり踏みつけられる。


「はっ!ざまあないね!」

「くそが!くだばれ!姥捨て山で野垂れ死ね!」おれは地面に顔をつけたまま言った。


 おれの顔面に蹴りが入る。首の骨が大きく軋んだ。

 慌てて体制を立て直そうとしたが、「きえええええ」と奇声を上げながらババアが追い打ちをかけてくる。

 今度はおれはうつぶせになり、その上にババアが乗るという状態となった。

 しかし、さすがのババアも息が切れかけているようだ。

 

「どうだい?観念したか?」


 おれはババアごと立ち上がろうとしたが、どうもうまくいかない。ババアの体重自体は、大したことがないのだが、重心を上手く調整しているようだった。


「観念って何がだよ……おれは最初から謝ってたじゃねえか」

「そりゃあ、あれだよ……あれ、何だっけ?」

「勘弁してくれよ惚け老人が……」


 おれは馬鹿らしくなって溜息をついた。

 首を上げると、相変わらずガキがおれを黙って見つめていた。

 憐れんでいるわけでも、悲しんでるわけでもない。ただ何の感情も浮かべずに黙っておれを見下ろしていた。しばらく目を合わせていたが、おれは耐えきれなくなり、目をそらす。

 するとおれの頭がババアに叩かれた。


「5万だ」


 頭上から、ババアは言った。今は冷静になったようで、感情の大きな寄れ幅が少し恐ろしくも思えた。


「何がだよ」


 ババアはガキの方向を指さした。


「5万円でこの霊祓ってやるって言ってんだよ」

「馬鹿言うんじゃねえよ。こちらと職安に出禁喰らって金欠なんだよ」

「じゃあこの話はお流れだ……と言いたいところだが、こちらと人手不足でね。あたしの仕事を手伝ってくれれば、バイト代払ってやる」

「まじか」

「ああ、まじだ、まじまじ」

「しかし、なんでまた態度を変えたんだ」

「あんたがむかついたから、しばきたくなっただけだよ」

「ふざけんなよ……」

「で、やるのか?やらないのかい?」


 一応職安からは1カ月仕事が受けられないようになっている。それまでの間はヤクザの手配師から仕事を受け取るか、また別の『寄せ場』にでも向かうしかなかった。

 なのでバイトがあるのだというのなら、願ってもない話であった。

 しかしきっとこのババアの仕事というのは、霊媒師だとか何とかだという胡散臭い仕事に違いない。

 このババアが、ガキの姿が見えているのだとすると、集団妄想の類でなければ、霊媒師としての腕も本物だということにはなる。しかし一部の客や、その家族からは、詐欺師の類と思われている可能性も高いわけで、そうなるとその仕事を手伝ったら一緒に豚箱行きになるということも大いにあり得る。

 そこまで考えた時、おれの腹の虫が下腹部から鳴いた。

 

「……やるよ。仕事があるって言うのなら、多少きな臭く手も仕方がねえ」

「何馬鹿言ってんだい。あたしは正真正面の霊媒師だから、後ろめたいことなんざありゃあしないよ」

「やっぱり、霊媒師なのかよ」


 おれは反吐にも似たため息を、地面に向かって吐いた。


 ◇ ◇ ◇


 ババアに連れられて着いたのは今にも朽ち果てそうな安アパートであった。

 木製であり、表面を腐りかけの蔦が這っている。

 中に入ると、歩くごとに軋む床に出迎えられる。

 6畳半の自分の部屋に入るなり、ババアは大きく音をたてて座った。


「さて、取りあえず夕飯でも作ってもらおうか」


 おれは口をへの字の間がながら、そういうことかと納得する。

 霊媒師の仕事の手伝いって何をするんだと、不安だったが要するに家政婦まがいのことをすればいいということのようだ。


「食材はあるのか?」とオレは、冷蔵庫らしきものがないか辺りを見回した。

「ないよ、だから買い出しも頼むよ」


 おれは了解しながら、ババアが金を出すのを待った。


「何だい?」とババアは訝し気に言った「ぼさっとしてないで、とっとと行ってきな」

「いや、買い出し用の金は?」

「ああ、悪いね。今持ち合わせが少なくて、建て替えといてくれないか」

「まあ、いいけど」とオレは財布を取り出し、中を覗いだ「いつごろ返してくれるんだ?」

「明日丁度仕事が入ったんでね。明日の夕方ごろには返すよ」

「本当にそれぐらいならぎりぎり構わないんだが」


 おれはババアの言葉に少し不安になっっていた。

 本来なら仕事で建て替える必要のことなんて、偶にあることなのかもしれない。しかしながらその日暮らしをしてきたおれにとっては、一日一日の金が生命線であるので、貸した金はすぐに返してもらわなくては困る。


「ならさっさと行ってきな。堅いものは嚙みきれないのと、あんまり脂っこいのは苦手なんでその辺りはよろしく」

「まあ、それはいいんだが。ちょっとこれは提案なんだが、契約書の類を書かないか?金のやり取りが発生するんだし、書類で残しておくと、トラブルも少なくて済むだろ」

「いやだね」

「何故?」

「あたしは役所だの書類だのが嫌いなんだ。あんたもチンピラもどき風情のくせに常識人ぶるんじゃないよ」

「いや、か常識とかそういうのではなくて」


 おれは頭を思いっきりかいた。

 まあ、確かに今更おれが正当な金銭取引なんて望むのも、行き過ぎた願いなのかもしれない。だが、最悪力づくでも、働いた分と貸した分は払ってもらう。絶対にだ。


「わかったよ、買ってくる」


 おれはそういいながら部屋を後にする。


 部屋を出る扉を開くと、丁度目の前に女がいた。


「わっ」


 どうやらこの部屋に用があるようで、突然出てきたおれに驚いたようだった。

 そこそこ若いが、見るからに商売女といういでたちだった。おれは適当に頭を下げ、その場を後にしようとした。


「あれ、もしかして藤岡さん?」


 聞き覚えのある声に振り向き、女をよく見るとヘルス嬢の杏子だった。ヘルスの部屋は暗いので、あまり顔を意識してなかったので気づかなかったようだ。


「ああ、今日からこの部屋の婆さんの手伝いをすることになった。数日だけだろうがな」


 風俗嬢に店以外出会うのは正直気まずい。しかしこのババアの部屋に用があるというのは気になることであった。



「へー!そうなんだ!実は私もこのおばあさんの弟子なんだけど、お手伝いとかしてるっていうか」


 店でと変わらない笑顔で、言った杏子の言葉におれは顔をひきつらせる。


「弟子……?」

「そうそう。ここのお婆さん凄いイタコなの。私もその素質があるらしくて、弟子としてお手伝いしてって感じ?」

「ほー」


 イタコときたか。

 ガキのことがなかったら、真っ先に詐欺師と断定している人種だ。


「ならさ」とおれは振り向いて、ついてきているガギに向かって指をさした「これについてはどう思う?」

「あ、かわいいー」


 彼女の言葉におれは目を丸くした。

 可愛いだって?この気味の悪い亡霊が?

 おれはガキの顔をよく見た。

 確かに顔は整っているようにも見える。しかし文字通り病的な肌の白さと、瞳孔が開いているようにも見える虚ろな瞳のせいか、恐怖しか感じなかった。

 おれは杏子の顔を再び見る。

 彼女は笑顔のまま、次の言葉を待つように首を傾けた。

 理解が出来ない、これだから年ごろの女は苦手なんだ。

 そう思ったが、その後買い出しのことについて聞いてみたら、建て替える分は返すという書類を書いてもらえることとなった。

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