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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

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なーろっぱ世界の短編 婚約破棄とか聖女とかドアマットとか転生とか

三日後に婚約破棄されると嘆く友人 ~夢だと笑い飛ばすのは友のとるべき態度ではありません~

作者: マンムート
掲載日:2026/08/03




 グロリアが何か話したそうなのはわかっていました。


 お気に入りの豪華な写本を広げているものの、目には入っていない様子で。


 ためらいためらいためらった末に、


「わたくし……三日後、婚約破棄されてしまうんです」


 と消え入りそうな声で言いました。



「……2学期終わりの夜会の場でですか」


 おそらくキュレンゲ侯爵家の情報網なりが探知したのでしょう。



 彼女はキュレンゲ侯爵令嬢グロリア、わたしはマイラ子爵令嬢キサナ。


 筆頭侯爵家の御令嬢と貧乏子爵家の三女。


 波打つ豪華な金髪と、手間を省くため肩のあたりで切りそろえた黒髪。


 誰もが惹きつけられる美貌の持ち主と、誰もが気づかない地味なその他大勢。


 しかも他派閥。


 本来なら言葉を交わすこともない間柄だったのですが、同学年で首位争いをしているうちにお互い意識するようになり。



 ある日、稀覯本を探して迷い込んだ図書館の奥の奥。


 増築を重ねに重ねた古い古い本の迷宮の最深部。館内図にさえ載っていない場所で。


 わたしたちは出会って。探していた本も同じで、意気投合し。



 この秘密めいた本の花園だけで、会話する仲になったのです。



「ちがうんです」


 わたしの考えを察したらしくグロリアは首をちいさく振りました。


「ちがう?」


 しばらく彼女はためらい、とても恥ずかしそうにちいさな声で、


「……夢で見たんですの。しかもここ半月ばかりずっと何回も何回も」


「……」



 普通なら、笑い飛ばすか、気のせいだと言ってしまうところですが。


 ここ2年のつきあいで、彼女がこういう様子の時は、わたしにしか言えないのだと判ります。



「信じられませんわよね」


「はい。ですが。急な婚約破棄が起きるということはありえます」


「え」


「政治情勢の変化、降りかかった災難、陰謀の発覚による爵位剥奪。それらによって結びつくメリットがなくなれば、ありえない、とはいえません」



 そういう場合、公衆の面前での婚約破棄も戦術のひとつとして行われます。


 相手の家と完全に手を切るという対外的な宣言。もしくは宣戦布告。



「……そういうのではないんですの」


「具体的にどのような理由で婚約破棄をされるのですか?」


「信じてくれるのですか」


 すがるような目。


 グロリアはキュレンゲ侯爵家という強大な一族の姫君。


 そのひとが、こんな目をしてくるのですから、いちもにもなく頷きたくなるものでしょう。



 ですが、わたしは残念ながらそういう性分には出来ておりません。



「いいえ、まだ。ですが、そこまで貴女が言うのですから、きっとその夢には切迫性があるのでしょう。具体的にはどんな夢なのですか?」


「……2学期終わりの夜会の場で、カンブロナ小侯爵様がわたくしに婚約破棄を告げるのです」



 ありえない。



 真っ先に浮かんだのはそれでした。



 彼女の婚約者である小侯爵――カンブロナ侯爵令息ジェームズはまともな人間です。


 そんな場で公然と婚約破棄。


 しかもまっとうな理由もなく告げたら、両家にどれだけの損害を与えるか分っているはずです。



 ただ、カンブロナ侯爵家にそれ以上の利益が得られるなら、別です。


 いえ、そういうのだったら、グロリアはこんなにも怯えはしないでしょう。



「……婚約破棄を告げる、ということは、新しいお相手が?」


「ミラボー子爵家のマリア嬢です。その場でも、小侯爵様とよりそうように立っていらっしゃいます……」



 これもまたありえません。



 たかが子爵家。


 しかも田舎の、その上、マリア嬢は庶子だったはず。


 尻軽で有名で、女子のあいだにひとりも友達がいないという、困った方です。



 そんな方と婚約して、カンブロナ侯爵家になんのメリットが?



 ですが。



「……貴女は流行りの娯楽小説などは読みませんね」


「え、あ、はい」


「そういう小説が流行っているのです」


「と申しますと?」


「主人公は子爵以下の令嬢、または庶子、または平民から男爵家以下の家に養女に入った娘。それが学園で婚約者がいる高位貴族の男性と恋におち結ばれるという」


「まさにそういう展開なのですわ!」


「……」



 ですが、小説は小説。


 絵空事です。


 政治上の駆け引きもあって結ばれた婚約が、そんな風に爆沈したら各方面に大混乱です。




「小侯爵様はマリア嬢の腰に手を回しながら、わたくしにおっしゃるのです『彼女こそ真実の愛』だと」



 政治的な駆け引きのカモフラージュ?



「立ち入ったことを聞きますが、カンブロナ侯爵家とグロリアのキュレンゲ侯爵家のあいだに、何か抜き差しならぬ事態が?」



 グロリアは長女。


 しかも強大な侯爵家の長女です。


 家の浮沈を左右するような事態が起きていて、彼女がそれを何も聞いてないことはありえません。



 ですが、グロリアは弱弱しく首を振りました。



 つまり、合理的な理由でそんな暴挙が行われるわけがなく。


 そうだとすれば、小侯爵は、家の方針としてではなく、自分の勝手でその行動を選択する、ということでしょう。



 ありえない……。


 単なる夢だと結論づけるべき――。



「……おかしいですね」


「え」


 いろいろとありえなさすぎです。


「そもそもです。小侯爵と貴女の婚約に、そんな邪魔者が入ったのですから、普通なら、こうなる前に排除されるはずです」


「あ……」


「御両親には?」


「……若い頃にはそういうことがある。目をつぶってやれと。ゆくゆく侯爵夫人になるのだから学生時代の遊びくらい寛大に」


「それも、おかしいですね」


「え?」


「キュレンゲ侯爵夫妻は、そんな方でしたか? かなり厳格な方々だと伺っておりますが」


「あ……確かに」



 彼女とわたしが友人だということを、周りに知られないようにしている理由。


 それは、他派閥でしかも実家の爵位に格差がありすぎる友人などいい顔をされないからです。



「小侯爵とその娘に関することには、やけに寛大ですね」


「そういえば……そうですわね」


 わたしは、ふと、思いついたことを訊いてみた。


「マリア嬢は、いきなり小侯爵様にアプローチをしてきたのですか?」


「いいえ。最初は、大商人の息子さんだったと聞いております」


「最初は、というと、次が?」


「はい。次は、伯爵家の小伯爵様。その伝手で生徒会に入って、小侯爵様のお側に」



 つまり、ふたりの殿方を踏み台にして、小侯爵様へ近づいたということ。



「……今、踏み台にされた方々は?」


「踏み台……あ。そうですね……そう口に出されると確かに……」


 グロリアは、今、気づかされた、という顔です。


「当然、マリア嬢から離れてますよね?」


「いいえ……」


 まさか。


「まだ、彼女の側にはべっております」


「……」



 異様な展開です。



「全員同じクラスで、生徒会室は彼らの交流の場と化しております……」


「……周りはそれを?」


「遠巻きに――」


 グロリアは、そこでいったん言葉を切りました。


「キサナが何をいぶかしんでいるのかわかりましたわ……殿方の皆さまは、婚約解消までしているのに、次の殿方に乗り換えられても、側にいる……変ですわね」


「そういうことです。それに、周囲もそれを遠巻きにはしているものの、受け入れている……」


「……そのような生徒は、早い段階で退学させられるはずですわね」



 わたしの背筋が震えました。


 かくいうわたしも同じだったのです。


 尻軽で有名な生徒。


 そこに嫌悪があるにしろ、マリア嬢の存在を、そういう形で受け入れてしまっていたのです。



 この学園で、ありえないことが、起きている。



「……もしかしたら」


 わたしは、あり得ないと思いつつ、告げた。


「グロリアの夢がまことか否か、確かめる方法があるかもしれません」




    ※      ※      ※




 その日。


 夕刻。



 わたしは滅多に通らない廊下を歩いておりました。


 生徒会室のある第二別館へ続く廊下です。



 本館から第二別館へは。


 教室のある本館、中央ホールの2階吹き抜け回廊を抜け、別館へ続く長い渡り廊下を通り。


 その途中で、他の別館へつながる廊下を幾つも通り抜けていきます。 



 幾つもの廊下を経て繋がったそこは、隔てられた場所です。


 一般の学園生には、ほぼ用事がない場所。



 今の時間。


 マリア嬢は生徒会室にいるはずです。



 グロリアから話を聞くまで、わたしは彼女のことをほとんど意識していませんでした。


 意識する時も、少し眉をひそめつつ『尻軽で有名な困った方』で片付けていました。


 それ以上は考えませんでした。



 ですから改めて。


 出来れば、彼女を観察してみようと思ったのです。



「……」



 何か変です。


 妙に、辺りがきれいに感じます。



 いえ、本館や他の施設が汚いというわけではありません。


 ですが……妙に……。


 なんというか作り物めいた感じがするのです。



 床を撫でてみても、ホコリ一つありません。


 窓ガラスはどこまでも透明です。


 日差しまでが、透き通っています。



 絵。



 という言葉が浮かびました。



 細部まで精巧に写生された絵。




 わたしは思わずつぶやきました。

 

「なに、これ……」


 

 生徒会室に近づくにつれて、その違和感は高まっていきました。




 次の角を曲がれば生徒会室。


 廊下の窓から、生徒会室の窓が見えました。



 夕暮れに染まる生徒会室。


 中には、何人かがいました。



 第二王子殿下、小侯爵、小伯爵、大商人の息子……そして中央に立つマリア嬢。


 実に仲睦まじそうです。



 その光景は、額に飾られた美しい絵としか呼びようのないものでした。



 殿方たちは、マリア嬢を中心にして引き立てるように配置され。


 美しい光景を窓枠が縁取っていました。



 そして夕日に映えたマリア嬢の髪は……。


「!」


 ピンク色をしていました。



 ぐらり、と世界が揺らいだ気がしました。


 思わずわたしはしゃがみこんでしまいました。


 

 あんな奇妙な髪の色は……ありえない。


 なのに、絵の中では何の違和感もなく、夕日を受けてうつくしく輝いている。



 彼女の髪を、いえ、彼女を美しく見せるために全てが計算されているような……。




 いえ、そんなことはありません。


 ピンク色の髪はありえるでしょう。


 だって、現実に存在しているのですから。



 わたしは何を――



「これは……」 



 なにかに捻じ曲げられていく感覚。



 寒気がしました。


 ここにこれ以上いたら、わたしも呑み込まれる。



 弾かれたように窓から離れ。


 背を向け。


 わたしは、引き返し。


 いつのまにか走り出していました。




 ピンクの髪。




 改めて思い出すと、ありえない髪。


 いえ、あのような色もないとは――。



 ありえない!



 気づけば本館へ戻っていました。



「はぁはぁ……」



 息をあえがせながら、見たものを整理しようとして。


 なにに違和感を感じたのか思い出せなくなっていることに気づきました。



 わたしは何かを見た。


 それが何なのか、思い出せない。


 でもそれが、ありえないことだった感触は、脳の奥にこびりついていました。




    ※      ※      ※




 翌日の図書室。


 グロリアの婚約破棄まであと二日。



「どうでした?」



 昨日、わたしはグロリアに頼んだのです。



 大商人の息子と小伯爵、それぞれに婚約破棄された令嬢達も婚約破棄される夢を見たか、確認して欲しいと。


 見ているはずだと。



「キサナの推測通りでしたわ」


 大商人の息子に婚約破棄された令嬢も、小伯爵に婚約破棄された令嬢も、同じような夢を見ていたのです。


 しかも婚約破棄されるだいたい半月ほど前から。


 そして。


「あまりにもその夢が生々しくて、その通りになってしまってうちのめされてしまったそうです」


「なるほど……」


 夢のせいで、かなり不自然な展開を受け入れさせられてしまったようです。


「そして、その先の夢は見ていないと」


「……」


 つまり、夢はマリア嬢に関することだけ、ということです。



 そんな予知夢があるでしょうか?



「そして、みなさん、わたくしと同じく、それ以前には予知夢など見たことはないそうです」


「……」



 都合がいい。


 余りにもマリア嬢に都合のいい展開です。 


 夢さえも、マリア嬢にとって好都合な展開を受け入れさせる道具としか思えません。



「今、ジェームズ小侯爵様は?」


「マリア嬢の側にはいません。ですが……彼女は始終ジェームズ様の側に来ています」


「護衛は?」


 侯爵家ともなれば、学友という名目で寄子で忠実な者を同学年に送り込んでいるはずです。


 小侯爵にあやしげな女が近づいてきたら……普通は阻止します。


「……なにもしません」


「なにも?」


「ええ、なにも」


「庶子の女が不自然にかつなれなれしく近づいてきているのに?」


「はい……」


 グロリアも、どこか、うすら寒いものを感じているようです。


「小侯爵様ご自身の態度は?」


「……側にいるのを許しておいでです。問い詰めれば、誤解だと言われるだけです」 


 グロリアはつけくわえた。


「でも確かに……ジェームズ様がマリア嬢を見る目には、熱がありません。今は、まだ」


「婚約破棄二日前で、ですか?」


「はい……」



 二日で、婚約破棄するほどの熱情が発生する?


 確かに、恋は突然始まると申しますが……二日で婚約破棄まで?



「以前にマリア嬢が原因で婚約破棄をされた方々も同じでした。側にいるのを受け入れてはいたが、それ以外の時間は普通だったと」



 これは尋常ではありません。


 小説が現実化している、かのようです。


 しかも、描写されるシーンだけが。



 思い出します。


 夕日に染まった別館の廊下。


 そして未だに胸の奥をざわりとさせる強烈な違和感。



 それが何だったか思い出せない。



「……キサナ?」


「……あ。すいません」


「昨日。何か……あったの?」


「え、どうしてですか?」


「わかります。キサナは、疑問に思うと、すぐ確かめようとするから」


 少し迷いました。


 ですが……グロリアならちゃんと聞いてくれるでしょう。


「……生徒会室のある別館へ行って来ました」


「何かあったんですの?」


「いえ、何も……いや……何かがあったのです」


 わたしの口から、ふと言葉がこぼれました。


「マリア嬢の髪……何色でしたか? なにか、その……」


「ピンクですわ」


「ピンク……そうでしたよね」


 ひどく珍しい色。



 珍しいからといって、変ではない。


 だって、そこに存在するのだから。



「でも、確かに、わたしは何かを見たのです。ものすごく違和感があるものを……」


「そして、それを思い出せないんですのね?」


「ええ……」



 もどかしい。そして恐ろしい。


 第二別館に近づいた時に感じたのだから、それは関係あるはずなのに。




「……マリア嬢を排除することはできませんか?」


「え」


「グロリアの実家の力をもってすれば……いえ、無理ですね。侯爵夫人になるのだったら、それくらいうまくあしらえ、と言われるだけでしょう」



 つまり、グロリアの実家の力は使えない、ということです。



「他の元婚約者の方々も……同じだったようですわ。本来なら、この件。もっと大事になっていてもおかしくないのに……」



 同一人物によって二つの婚約破棄が引き起こされ。


 各家が計算していたであろう利益が、喪われたのですから。



 それなのに家という存在は機能せず。


 婚約破棄という過激は婚約解消という穏当な手続きに丸められ。


 個人的な関係の破綻というレベルで、処理されている。



 各家の大人たちがなぜそんなことを受け入れて……。



 おかしいのに受け入れさせられている……?


 わたしが違和感の元を思い出せないのと同じように……?



「あ……」


 わたしも同じでした。


 あのマリア嬢を『尻軽で有名な』という枠で受け入れてしまっていたのですから。



 もし、グロリアから話を聞いていなければ。


 嫌悪を感じながらも、受け入れたままだったでしょう。



「なんでこんなことに……」


 グロリアの声には、怯えが含まれていました。


「キサナ。わたし、ジェームズ様にこの話を打ち明けます。そうすればこの違和感にジェームズ様も気づいて……夜会への出席をとりやめてもらえるかも……」


「今までの方々と同じ結果になるだけだと思います。夢の話だと」


「そう……ですね」


「それに……生徒会室には第二王子殿下もいらっしゃいました。本来ならマリア嬢の行動を制止するお立場のはず。なのにそうはなっていない」


「……あ」



 こんなのおかしいです。



 ありえない婚約破棄。そして婚約解消。


 そして、それがなぜか大人達に罰せられることもなく、立て続けに起こっている。



 そしてグロリアの夢通りの婚約破棄が行われたら。



 現実的に考えれば、マリア嬢は、小侯爵とは結婚できない。


 男爵家の庶子が、侯爵家の中を仕切ることなどできないからだ。


 小侯爵は後継者から外される。



 小説なら結婚してハッピーエンドになるかもしれないですが。



「……小説なら」


 まさか、でも、確かに。


「キサナ? どうかしましたか?」


「……この展開。現実とは思えません。全てがマリア嬢に都合のいいように展開していますよね。だけど、普通ならありえないことが余りに多すぎます」



 わたしはノートに箇条書きに書いてみた。


『別の殿方に乗り換えられても、女に侍り続ける殿方たち』


『それに対して何の手も打たない実家』


『不審な女性が現れてもなにもしない護衛』


『拒まない殿方たち』


『派手に婚約破棄を繰り返しているのに、なんの社会的な制裁も受けない殿方とマリア嬢』


『恋に浮かれてもいないのに、婚約破棄をする殿方』


『婚約者たちの心をへしおる都合のいい夢』


『学園で、マリア嬢の存在がうっすらした嫌悪感と共にではあるが受け入れられている』



 思い出そうとしても思い出せない強烈な違和感。



 ただひとつだけ確かなのは。


 マリア嬢を中心に、全てが歪んでいることだけ。



 わたしはノートのページを破って、グロリアに見せた。


「……ですが、現実にこうなっていますわ」



 小説のような現実。


 奇怪な現象。



 繰り返される婚約破棄。


 きっとその光景は、小説の挿絵のようだったに違いない。


 マリア嬢と殿方は輝き、婚約破棄された側は、その引き立て役。



 もし、そうだとすれば。



「……グロリア。ひとつ確認したいことがあります」





      ※      ※      ※




 翌日の図書室。


 婚約破棄まであと一日。



 ですが、グロリアの顔は晴れ晴れとしていました。



「……ありがとうキサナ」


「わたしは何もしていません」


「……そうですわね。確かに、存在しない人に何かしようがないですものね」




 わたしは、昨日、グロリアに訊いたのです。


「婚約破棄される夢に、グロリアと親しい令嬢は出て来ますか?」と。


 答えは、誰も出てきていない、でした。



 つまり、夢の中に出て来るのは、マリア嬢と、取り巻きの殿方たちと、グロリアだけ。



 その夢の世界に、グロリアの友人知人も、わたしもいない。


 いたとしても何もしないのです。


 あり得ない展開を、粛々と受け入れている。



 そこにいるはずなのに、描写されない登場人物たちのように。


 小説の挿絵のように。



 ですが現実ならば、そんなことはありえないのです。


 グロリアには、この図書館以外では、いつも寄子の家の令嬢がついているのですから。



 ならば。


 その夢が本当に小説の挿絵のようなものだとしたら。



 小説のヒロインはマリア嬢。


 殿方はヒロインの恋のお相手。


 そして婚約者の方々は、恋の行く手を阻む障害物。



 そんな小説のようななにかが、無理やり、この世界を侵食している……としたら。



 マリア嬢こそが、こちらの世界では異物。


 異物が押し入って来たから、この世界が歪んでいるのではないか。


 無理矢理混ざっているから、違和感があるのではないか。




 それを確かめる方法は、たったひとつだけでした。



      ※      ※      ※



 今朝。


 いつもよりだいぶ早く登校したわたしは。


 本館中央ホールの吹き抜け2階回廊で待ち伏せていました。



 マリア嬢が、登校してすぐに生徒会室へ行くことは、判っていました。



 柱の陰に身を隠して、息を殺していると。


 かろやかな足音が近づいてきました。


 淑女にはありえない、弾んだ足音。


 そして、寸分の狂いもなく同じリズムで繰り返される足音。



 そんな足音を出す人間、いや現象は、ひとり、いえひとつしかいません。


 マリア嬢です。



 世界が揺れる感覚が襲ってきました。


 それは、意識していたからこそ感じとれる微かさ。


 マリア嬢という現象を中心に波紋のように広がって行きます。



 ああ。昨日感じたのと同じです。


 この感じ。


 2階回廊全体が、透明な光を帯び、うつくしいが少しずつ生々しさを喪い、絵のように……。



 この世ならざる現象にわたしの身体が震えます。足がすくみます。


 でも、わかるのです。


 マリア嬢がヒロインだとしたら、その障害物であるグロリアは、ヒロインに勝てない。



 おそらく、その小説のようなもので、何の役割も与えられていないわたし。


 その、わたしが、わたしだけが、出来る事なのだと。



 足音がすぐ脇を通り過ぎようとした時。


 わたしは、柱の陰から踏み出しました。



 真横を通る、ピンク色の輝く塊。


 この世界に、ありえない鮮やかすぎる色。



 ぐらり、と世界が更に歪みました。



 なにひとつおかしくない。


 なにもおかしいことはおこっていない。 



 不意に。


 自分のしようとしていることに、恐怖を感じました。


 わたしは、なにをしようとしている?


 自分の、あやふやな推測だけをもとに、人を階段から――



 だけど、だけど。


 グロリアの、弱弱しい顔が浮かびました。


 彼女のあんな顔は見たくない。



 目の前にいるのは――



 人ではない。


 人ではなくて、現象だ。



 ちがう! 現象ではなく人だ! わたしがしようとしているのは――



 わたしは全てを振り切るように、一歩を踏み出す。


 粘り気のある水を無理やりかきわけるように、ゆっくりとしか動けない。



 それでも。


 たった数歩をあえぎながら溺れそうになりながら歩み。



 目の前で背中を向けている何かを、両手で突き飛ばしました。



 触れた感触は。


 制服の生地の向こうに、人の肌の温度を感じました。 



 ピンク色が、ぶわっと広がりました。



 透き通った輝くピンク。


 そんな美しいピンクを、二度と見ることはないでしょう。



 2階から降りる階段の一番上から、輝くピンクの現象は落ちていきました。



 わたしに突き落とされる瞬間、いえ、突き落とされてからも、何が起きたかわからないようでした。



 その表情は、無でした。



 挿絵が用意されていない場面のようでした。




 おそらく、わたしの姿すら見えていなかったのでしょう。



 彼女、いえ、現象にとっては、わたしこそがいるはずがない登場人物だったのかもしれません。




 光り輝くピンクの塊は、妙にゆっくりと落ちていきました。



 モノクロームの世界を、音もなく。



 床に叩きつけられた瞬間……最初からそこにいなかったかのように現象は消滅しました。



 わたしはしばらく床に座り込んで動けませんでした。




      ※      ※      ※



 あの時からずっと。


 いないはずのものを、突き飛ばした感触が手のひらに残っています。


 制服の生地越しに感じた、人肌を。



 息が。詰まる。



「キサナ」


「!」


 グロリアは、わたしの震える手に、そっと手を重ねました。



「あの子は、いない。最初から、どこにもいなかったんですのよ」


「ですが」


 グロリアは、きゅうっと手を握って来ました。


「いなかったんですの。キサナ。あなたは何もしていない。悪いことは、なにも」


「……そうですね」



 〇〇嬢は消滅しました。



 今や、〇〇嬢を覚えているのは、わたしとグロリアだけです。



 〇〇嬢……?



「あれ……あの方の名前ってなんというんでしたっけ?」


「いやですわ、キサナ。忘れてしまったの、あの子は――」 



 グロリアは一生懸命思い出そうとして。



「わたくしももう思い出せませんわ」


「……忘れた方がいいです。アレは最初からいなかったのですから」



 わからなくなってきます。


 わたしは何のことを話しているのでしょう。



 ああそれでも、


 こうして指をからめあって握り合っている手のひらの感触は、ほんものです。



 大切な友達を、わたしは助けられたのです。



「そうですわね……でも、きっと」



 グロリアはわたしに



「キサナが、わたくしに何かとてつもないことをしてくれたことは、忘れませんわ」



 それ以来、その不思議な、漠然とした件について、わたしたちが話したことはありません。



 ですが、何年も経っても思い出します。


 あの指をからめあった瞬間こそが、わたしとグロリアの生涯にわたる友情のはじまりだったのだと。




たくさんの作品の中から、本作をお読みいただきありがとうございました。


最後までお付き合いいただけたこと、とても嬉しく思います。


少しでも心に残るものがあったり、何かを感じていただけたなら、


評価や感想をいただけるととても励みになります。


別の物語も書いておりますので、もしよろしければ、そちらも覗いてみてください。


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― 新着の感想 ―
叫びもせずハイライトの無い真っ黒な目でコチラを見ながらスローモーションかつ無表情で堕ちてゆくのですね
ジャンルホラーでも立派に勤められると太鼓判を押します! GJでした。
ひぃぃぃぃ〜! ホラーかっ!!こわっ!!
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