世界が平和すぎるので会議を始めます
これは、魔王城で起きなかった出来事の記録である。
勇者が来なくなった結果、
世界は思ったより静かだった。
静かすぎて、
逆に何かを見落としているのではないかと疑いたくなるほどに。
魔王城では今日も、特別な結論は出ていない。
それだけが、唯一変わらない事実だった。
「本日の議題は、“平和について”だ」
魔王のその一言で、
会議室の空気が、ほんのわずかに重くなった。
「……平和、ですか」
「うむ。平和すぎる」
誰もが思っていたが、
誰もあえて口にしなかった問題だった。
記録係は、一拍遅れてペンを構えた。
“平和”という単語を議題として書き記すことに、
まだ慣れていなかった。
魔王城の会議室は、今日も予定通り使われていた。
その「予定通り」という言葉が、
最近いちばん問題視されている。
「今月の被害報告ですが」
幹部が資料を読み上げる。
「ゼロです」
沈黙。
誰かが咳払いをするでもなく、
ただ沈黙だけが、予定通り流れた。
「正確には」
幹部は一枚、慎重に資料をめくった。
「落とし物が一件。畑に鍬を忘れたそうです」
「それ、誰が困るんですか」
「本人です」
「……世界、平和ですね」
思わずそう言うと、
魔王が満足そうにうなずいた。
「うむ。非常に」
その表情は、
かつて世界を脅かしていた存在のものとは思えないほど、穏やかだった。
「議題一。世界が平和すぎる件について」
幹部は淡々と進める。
平和が議題になることにも、少しずつ慣れてきている。
「先月比で、争いは八割減少」
「残りの二割は?」
「言い争いです」
「それはもう、世界の仕様では?」
魔王が真顔で言った。
否定しづらい正論だった。
「各地の村からの連絡も減っています」
「助けを求める声は?」
「ありません」
「感謝の手紙は?」
「それもありません」
「厳しいな」
なぜか魔王は、少しだけ肩を落とした。
存在感が薄れることには、思うところがあるらしい。
「代替案として、魔物の活動量を増やす案があります」
「やめてください」
即答したのは、記録係である自分だった。
「最近の村、普通に対策してきます」
「罠の精度が上がっています」
「自衛、覚えちゃったんですね」
会議室の空気が、ほんの少しだけ重くなる。
平和は、人を賢くするらしい。
「魔王様」
幹部が言いにくそうに続ける。
「最近、各地の報告書で……」
「ほう」
「魔王城が、地図から省略されています」
「簡略化だな」
魔王は落ち着いて答えた。
「“特に脅威ではない”と注釈付きです」
魔王は少し考えた。
「正直だな」
それ以上、特に気にする様子はなかった。
「では次に」
幹部は資料を閉じる。
「議題二。今後の方針について」
「何もしない、という選択肢は?」
魔王が静かに尋ねる。
「あります」
「それは仕事ですか?」
「仕事です」
魔王は満足そうにうなずいた。
何もしないことを、正式に仕事として認めた瞬間だった。
「結論として」
魔王は席を立ち、会議を締めにかかる。
「世界が平和すぎるなら、しばらく見守ろう」
「介入は?」
「しない」
「勇者も?」
「呼ばない」
すべてが、驚くほどあっさり決まった。
会議が終わり、片付けをしながら思う。
勇者はいない。
魔王も動かない。
それでも世界は、ちゃんと回っている。
――回りすぎているくらいに。
「平和すぎる世界は」
魔王が、独り言のように言った。
「そのうち、自分で均衡を取り始める」
その言葉を聞きながら、
次回の会議予定を書き込む。
議題は、まだ白紙だ。
平和には、
話し合う理由が、少なすぎた。




