す: ず っ と 見 て る よ
誰かが見てる。
いつでも、外から。
あたし達はいつも見張られてるのよ。
ほら、コツコツ聞こえる。
あれはただの風の音じゃないの。
幽霊の爪おとなの。
窓を引っ掻く、幽霊の爪の音。
こっちに来いって呼んでるのよ。
だから、いい?
こんな遅い夜には、絶対にカーテンを開けちゃダメ。
窓に近付いちゃダメ。
死にたくなければね。
お姉ちゃんはなにを怖がってるのかな、とボクは思ってた。
「窓の外でコツコツ言う音」なんて、何か小さなゴミとか飛んできたのが窓ガラスにぶつかってるだけなんじゃないのかな。
昔ボクが控え目にそう言った時、お姉ちゃんは怖い位真剣に違うわ、とボク達を否定した。
気配がするでしょう、分からない?
それから、おちゃらけてカーテンを開けようとした夜人の手を怖い位素早くつかんで、すごい勢いでつかんで、止めたんだ。
いつもの優しいお姉ちゃんじゃないみたいだった。それがボクには怖くて、何より恐ろしくて、だからボクは絶対に窓には近付かない。
大好きなお姉ちゃんに、嫌われたくないんだもん。
姉ちゃんはなにを怖がってんのかな、とオレは思ってた。
オレらは三人で一人。
朝人とオレは双子で男だけど、姉ちゃんはオレらより7つ上で女だけど、心は一つだ。
姉ちゃんはオレらの親代わりに、オレらが寝つくまでいつも一緒にいてくれる。昔から、もちろん今でも。
おかしいのかな、高校入ってもそれが普通だっての。オレらさ、反抗期とかなかったし。これからもないし。
だってダレに反抗すんのさ。こんな優しくて大好きな姉ちゃん。
でも、最近なにか脅えてる。いつも後ろを気にしてる。
あれかな、最近やたらすれ違う気がする、帽子の男? ストーカーでもされてんのかな?
じゃあ、オレらがちゃんと姉ちゃんを守ってやらないと。今まで守ってもらってきた以上に。
大好きな、オレらの大事な姉ちゃんを。
帰り、遅いね。
遅番とかやめてもらえばいいのに。
ボク達が迎えに行くって言っても、夜遅くに危ないでしょう、って止めるんだ。
気持ちはすごく嬉しいわ。でもね、あたしなら大丈夫。
護身の為に、合気道習ってるでしょ。あなた達でその強さは実証済み。あたしに勝てたら、その時からはお迎えに来てね。
……確かに、お姉ちゃんは強いんだ。それ言われると、ボク達はなにも言い返せない。
政治家の子供なんてやってると、色々危険な目に会うみたい。ボク達が産まれる前の7年の間にも、誘拐されかかったとかなんとか。お母さんに聞いた事あるけど。
お姉ちゃんが窓の外に脅える理由を、ちゃんと聞いてみた事はないけど。
単純に、心配、なんだけどなあ……。
平気よ、ありがとう。
そう言って頭をなでられるより、じゃあお願いね、そう言って迎えに行く事を許してくれる方が、数倍嬉しいのに。
ボク達、それ位にはお年頃なんだけど。
……夜人から、それ言ってもらおうかな。
近い内にでも。
最近よく見かけてた帽子野郎を、もう見ない。
ストーカーかも、とか疑ってたから、なんだか安心した。
姉ちゃんにそう言ったら、帽子の人? って驚いてた。
知らなかったわ。夜人達、あたしのことそんなに気にしてくれてたの……。
ありがとう、夜人、朝人。あなた達、もう立派な紳士ね。
姉ちゃんが泣きそうな顔で笑うから、オレは言ってやった。散々朝人にせっつかれてたから。
遅番終わったら、オレら迎えに行くからさ。ちゃんと連絡してこいよ。嫌だっつっても、これからオレら勝手に店の外で待っとくからな。
……ああ、恥ずかしい。ぎゅっとされて、オレの照れた顔姉ちゃんには見られてないからいいけどさ。
覚えてろよ、朝人。今度学校帰りにコロッケ買う時は、お前のオゴリな。コロッケと、あとカラアゲも。
一緒にぎゅっと姉ちゃんに抱きついてる朝人が、シスコン一直線の顔で実に嬉しそうに笑ってる。心底嬉しそうに、でもさっきの姉ちゃんみたいに泣きそうな感じに。
――ま、いっか。オゴリ、なし。
お前以上に、オレもシスコンなんだよ悪いけど。
『変わってって急に言われて、今日遅番になっちゃった!! ご飯は何か適当にすませてね、ごめんねm(_ _)m』
夕方入ってきたお姉ちゃんからの慌てたみたいなLINEを見て、迷わず二人でカレーを作る事にした。
お腹を空かせて帰って来るお姉ちゃんが食べるのをチュウチョしない様に、鶏ミンチのヘルシーカレー。ガリガリのくせにカロリーばっかり気にするお姉ちゃんのお気に入りなんだ。
美味しく出来て、ボク達は大満足。お姉ちゃんからの『迎えに来て』LINEが待ち遠しい。
夜人は早くにお風呂に入っちゃった。ボクは宿題に手をつけてた。
静かな部屋。とん、と急に小さな音が窓の方から聞こえた。
ボクはびくっと飛び上がる。幽霊の爪音だ!!
とん、ともう一つ。指先で窓ガラスに触れる様な、弱い物音。本当に、幽霊が力をふりしぼったみたいな弱い音。
……お姉ちゃんは、嘘を言わない。本当に、幽霊が呼んでるんだ。
息を止めてたのに気付いて、ボクは焦りながらも音をたてない様に立ち上がった。ととん、弱い音はまだ確かに聞こえてる。呼吸も忘れた口からは盛大な叫びが飛び出しそうで、ボクは両手で口を塞いで急いでお風呂場に向かった。
振り返らない。きっちり閉めたカーテンの向こうが、見える訳はないんだけど。
とん、少し音が強くなってる――ボクは走った。
「夜人!!」
叫びながら、浴室のドアを開ける。ちょうどこっちを向いてた夜人に、ボクはシャワーの音に負けない様に声を張った。
「来て、夜人!! 窓の外から、とんとん音がするの! お姉ちゃんが言ってた幽霊が来てるんだよ、とんとん叩いてるの!!」
真剣なボクに、夜人はすぐにお湯を止めた。急いで浴室から出て、体を拭いてくれる。
馬鹿にもしないで、ボクの言葉をすぐに信じてくれるんだ。ありがとう、夜人!!
「外、見てねえんだな?」
服を着込みながらたずねる夜人に、ボクは頷く。
「うん。怖くて、慌ててここに来ちゃった。ごめんね、夜人……」
ボクのバツの悪さをなくそうと、くしゃっと頭をなでてくれる。音が聞こえたリビングに向かうなり、怖いものなんてないのか夜人はつかつか窓に近付いて行く。
その時のキョウレツな不吉な予感を――怖いの質が自分で違うと知っているボクの心のざわめきを、……夜人は気付いたのかな?
「夜人!!」
叫んでドアを開けてきた朝人の真っ青な顔に、オレはやっぱり、と思ってた。
さっき、大きく心がざわめいた。朝人がなにか動揺してる。
それは直感だ。オレらの間ではよくあること。
だから、まくし立てる朝人の言葉に、ああ怖かったのか、とオレは思った。急いで服を着込んで、まだ怖がって震えた声を出す朝人に、安心させてやりたくて髪をくしゃくしゃしてやった。
それにしても。『幽霊』が、ホントに出て来るなんて。
悪いけど、オレはその非科学的なことを信じちゃいなかった。昔から、一度だって。
姉ちゃんの脅えは本物、でも音に結びつけた空想の産物。気を付けろ、と言うただの警告。そう思ってきた。
だから、オレは勢いよくカーテンを開けた。ほらな、なにもなかったろ。
そう言って笑う準備をしてた口元が、――凍りついた。
子供を怖がらせるなんて、母親失格よね。
だからあたしは母さんが苦手。
窓の外で、強く吹く風。びゅうびゅう言う音は、子供には結構に怖いもの。
なのに、縮こまるあたしに、母さんは笑ったの。
"あれは風のお化けよ。いい子にしてないと、拐われちゃうわよ。"
普通、言うかしら? 怖くないよ、風が強いけど家の中にいたら安心だからね。母さんもいるからね。
普通は、そう言わない? あたしのトラウマは、それで出来たのよ。風が、窓の外が怖い病。
なのに、二人にもそれを植えつけてしまった。それをされたあたしが、それだけはしちゃダメって思う事を、あたし自身で。
ごめんね、朝人に夜人。
だからなのね、これは、報い。
だけど。
今は、窓の外を見て。
お願い。朝人、夜人。
窓の外を見て。
カーテンを開けて。
お願い。
開けて、あたしをみ て
とん、すがる様な音――カーテンを開けたオレは目に飛び込んできた光景に息を呑んで、立ちすくんでた。
「お姉ちゃん!!」
意外にも、朝人の動きは素早かった。呆然と立つオレの横にばっと走って来て、窓のカギを開けてる。
今まであんなに怖がって近付かなかった窓に。すげーなお前、つい呟きそうになった。
「夜人!!」
怒った様な鋭い声で、朝人がオレを呼んだ。はっと窓の外にオレは目を向ける。しゃがんだ朝人が、倒れた姉ちゃんを抱きあげようとしてた。
血まみれの姉ちゃん。ナゼか血まみれの姉ちゃん。
恐ろしさが先に立って、動けなかった。
「……夜人」
もう一度、朝人がオレを呼んだ。今度は小さな声。
泣いてる声。
もう、分かってた。朝人がオレを呼ぶ前、朝人の腕の中で、姉ちゃんの命が終わったことに。
不吉な予感、不吉な予感、不吉な感じ――!!
ボクは思い出してた。お姉ちゃんのLINEに感じた小さな違和感。
前世紀の遺物みたいな絵文字なんか、お姉ちゃんは使った事がなかった。絵文字?! びっくりして、お姉ちゃん、職場の人とかにはこんな絵文字を使ったりするのかな、とか僕は戸惑いながらそう思ったんだ。職場には年上の人が多いって言ってたから。
今日は急いでて、休憩の合い間とかに慌てて打ったのかな。そう思ってた。
でもーー多分違ったんだ。遅番より大分早いこの時間。お姉ちゃんは予定どおり日勤で、でも、『何か』が起きた。
ーー『お姉ちゃんになりすまして』送られたLINE。恐らく、送った誰かが、お姉ちゃんをこんな目に。
とんとん、あれはお姉ちゃんの必死のメッセージだったんだ。なのにボクは怖がって、いち早く窓を開けて気付いてあげもせずに。
夜人は余りの事に固まってた。ほらな、何もなかったろ。夜人はきっとそう言うつもりだっただろうから、想像を超える現実にまだ対応出来てないんだ。
ボクは窓に向かって走った。鍵を開けて、いっぱいに窓を開ける。
倒れた体をひきずってきたのか、お姉ちゃんは精一杯に手を伸ばして、血まみれの指先で窓ガラスを叩いてたんだ。ボクはお姉ちゃんの体をせめて家の中に入れてあげたくて、でも力が足りなくて、後ろの夜人を呼んだ。
呼んだけど、動きはなかった。夜人は混乱の中にいる。大きく揺れる心に、ボクはそれを感じ取った。
仕方ない。喪失を受容出来る位に、ボク達はお姉ちゃんを嫌いな所なんてないから。
「お姉ちゃん!!」
必死で呼びかけるけど、どろっとしたお姉ちゃんの目は、どこにも視点が定まらなかった。
もう見えてないんだ、ボクは伸ばされたままの、多分もう意志のないお姉ちゃんの手をぎゅっと自分の手に包む。
ごめんね。音に気付いて、すぐに窓を開けてあげられてたなら。きっとそんなすぐになら。
きっと、お姉ちゃんの最期の言葉が聞けた。きっと、合った視線で最期に意思のソツウが出来てた。きっと、上げられた手がお姉ちゃんの思いのままにボクの頬にふれてた。
最期に。きっと。
――ぷつっ、と唐突にお姉ちゃんの体から力が失われた。お姉ちゃん、小さく呟いて。
ボクは、最期の瞬間を一緒に感じたはずの大切なもう一人を、救いを求める気持ちで呼んでいた。
犯人は、見付からない。帽子野郎かどうかは知らないけど、店の客にしつこく迫られてたってのは同僚達が見てたらしい事実。
ボクがすぐに窓を開けてあげてれば。悔やむ朝人に、オレは繰り返した。
お前はオレを呼びに来てくれた。もしお前がすぐに窓を開けてたら、オレは姉ちゃんの最後を見られなかった。だから、オレはお前に感謝してる。
それに、オレこそ。最後に、オレは何も動けなかった。ぼけっとバカみたいに突っ立って、何も出来なかった。
それに対して、慰める様に朝人がオレに言う。違うよ。もし夜人が取り乱してボクと一緒になって焦ってたら、ボクわめくだけでなにも出来なかったよ。お姉ちゃんにさわれたの、夜人が冷静にそこにいてくれてたからだよ。
オレらは、慰めあうことで均衡を保ってる。
そして、分かってる。もうカーテンを引くことが出来ない開けっぱなしの窓の向こうに。
いつまでも、何かを語る様に姉ちゃんがそこに現れ続けることを。
……仕方ないんだ。オレ達は三人で一つだからさ。




