異世界で小説家になろうと思ったら、現代日本に転生させられて社畜になった件について
「ナロー。今度は――“異世界転生モノ”が読みたい」
その日も魔王ルリスは堂々と玉座に座り、原稿用紙の束を床に落としながら言った。
「ジャンル、変わりすぎでは……?」
「いや、異世界恋愛も良かったが……**“死んで目覚めたら別の世界”**という展開、あれこそ究極。強くてニューゲームだろう?」
(うわー、絶対“なろう”知ってる顔だこれ……)
その横で編集精霊エディナが控えめに手を挙げた。
「ちなみにルリス様、『テンプレでいいから』と仰っていますが、“なろうテンプレ”に詳しいのはナローさんの方ですよね?」
「テンプレの解像度なら僕が異世界最高峰です」
(誇っていいのかわかんないけど!!)
⸻
「……よし、じゃあ“現代日本に転生した異世界勇者”とかでどうだ?」
「新境地ですね!」
「ふむ、そなたに任せよう」
(それ、誰得なの……?)
だが筆は乗った。ナローの中の何かが火を吹いた。
⸻
◆ 執筆開始:「転生したらブラック企業の総務部主任でした」
「月曜、午前七時。俺は満員電車に押し込まれていた――」
ガリガリガリガリ……。
ナローは目を血走らせ、羽ペンを握る手が震えるほどに没入していた。
「窓の外には青空。だが心は灰色。繰り返すだけの日常。“異世界”とは、かくも……非情……」
「ナローさん!? 冒頭から重いです!!」
「だが書けるッ……筆が止まらない……! なぜこんなにも胸が熱くなるんだッ!」
⸻
小説を読んだ魔王ルリスは驚嘆していた。
「……なぜ、異世界のはずなのに、心が痛いのだ?」
ルリスは真顔だった。
恋愛ものや婚約破棄には“萌え”を見出していた彼女が、今回ばかりは手が震えていた。
「この……“始発での出社”という文化は……何だ?」
「“上司が昼食代を経費に乗せてこっそり部下に払わせる”って何!? どういう異能!?」
エディナが呻く。
「ナローさん……これ……“社畜召喚”ですよ……」
「すごい……すごい筆が走る……! 俺の魂の叫びが活字になってるぅ……ッ!!」
⸻
そして執筆は続いた、涙で視界をかすめながら。
「“わかりました課長”そう呟いた俺は、会議室の空気より冷たい心で、また今日を始める――」
「ぐぅぅぅ……この段落……会社辞めたくなるっ……!!」
ナローは嗚咽を漏らしながら書き続ける。
だが止まらない。止まれない。
彼の手が生み出した異世界は、まぎれもない“日本”だった。
「エディナ……ルリス様……続きを書かないと、今夜の僕が浮かばれない……!」
⸻ そして
「よくやった、ナロー」
そう言ったのは、魔王ルリスだった。
彼女は涙を流しながら、最後の一文を読み上げる。
「“定時に退社できる異世界があるなら、俺はそこに転生したい”」
「……転生ものとは、こんなにも切実だったのだな……」
「ナローさん……次は“定時退社できる異世界”編でいきましょう」
「もう少し……心が回復したら……」
ナローはティッシュで目をぬぐいながら、次のプロットに向けて、また筆を取った。