出立
搭乗手続きの開始を知らせるアナウンスが流れている。出立するのは僕たちじゃないのに、こっちまで緊張してきてしまう。
手荷物検査場で見送りの友人たちに手を振る女の子。大きな声で話す外国からの旅行者たち。出張先へ飛び立つ夫を見送る母子。
そういえば僕は、幼い頃、目に映る様々な人間が背負った人生ドラマをひたすらに突き詰めて妄想することが、好きでしょうがなかった。
案内表示機のフラップがパタパタと回転し、颯くんの乗る便名が一番上に。
「うわぁ、もう出発か。早いなぁ。大丈夫かなぁ。なんか凄く変な感じ」
セキュリティーゲートのガラス越しに、手袋同士を重ね合わせる柄ちゃんと颯くん。
颯くんが背負うリュックにぶら下げられたつぎはぎ布のしずく型チャームが、度々風鈴に似た音を発している。
彼の左手には、長年の友人である白クマのキーホルダーがぎゅっと握られていた。
「やばい、どうしよう。もう出発する? まだ? あれ、なんか何人か乗り始めた。これってもう行っていいってこと?」
「もういいんじゃない? あそこにいるお姉さんに搭乗券を見せたら、ちゃんと案内してくれるはずだよ」
期待と不安ではち切れそうになっている彼と、インターコム越しに会話する。
あれは確か、僕が颯くんと同じ年の頃だったか。初めてひとりきりで飛行機に乗ったあの日、僕も彼と同じで、呼吸も満足にできないほど気持ちが張り詰めていて、だけど無性に興奮していたっけな。
見送ってくれた母さんと父さんの眼差しは、どこまでも暖かかった。流氷のように凍りついた緊張感を、じわじわと溶かしてくれるほどに。
東京の母さんに送ったカシスジャムは、今頃もう届いているだろうか。喜んでもらえたらいいな。
なにせあのジャムは、元を辿ればふたりの耕した土から生まれたものなのだから。
「指スケの大会、頑張……じゃなかった、楽しんできてね」
「うん。ふたりとも、颯がいない間仲良くね」
こんな時にまで僕たちの心配をしてくれる彼は、図体がでかいだけで中身は子供そのものの僕よりも、よっぽど大人に思えた。
声をかけてくれた添乗員にぴったりとくっついて、搭乗ゲートへ歩いていく颯くん。
飛行機の胴体に繋がるジェットウェイを、心細そうな表情とともに、振り返り、振り返り、ちょっとずつ進んでいく。
口元で手を合わせ、最愛の息子の旅立ちを一心に見送る柄ちゃん。
どんな時だって、片時も離れ離れになったことのない親子にとって、今日という日は、感慨深い一日として記憶されることだろう。
彼女が十年あまりにわたって創り上げてきた「彼」という生きた作品は、今、生まれて初めて、自らの意思で選択した道を歩み始めたのだ。
「じいちゃん、ばあちゃんもきっと喜んでる」




