試作
カシスの黒い果皮と赤い果肉は、自然界のエネルギーを凝縮した生命力爆弾だ。鍋のなかで踊る果実ときび砂糖をスパチュラでかき混ぜていると、そんな言葉が頭に浮かんできた。
(2018年9月20日。これから先、今日という記念日を忘れることはきっとないだろう)
メモ帳の上でペンを走らせる。
十日ほど前、危機的状況からなんとか守り抜いたカシスの実は、粒数にしておよそ十万。その果汁と果肉の総重量は約百二十キロ。
これが全て驚天動地のジャムへとその姿を変えるのだ。血湧き肉躍るとはまさにこのこと。
準備は整った。今夜、ついに積年の念願が叶う。ありったけの愛情を注ぎ、傷ついた羽の下で温め続けてきた渾身の作品が、今まさに殻を破って孵ろうとしているのだ。
鍋のなかの果汁が沸点に達した。僕はガスレンジの火加減を強火に変え、マグマのように沸き立つ小さな湖を黙って見つめた。
甘酢っぱくて、どこか懐かしみを覚える個性的な香りが立ち昇る。
「良い匂い」
「ね、良い匂いだね」
居間のテーブルでPC作業をしている柄ちゃんと、真向かいで指スケの練習をしている颯くんが口々にそう言った。
「製造開始はいつから?」と柄ちゃん。
今日中にレシピの内容を固め、明日の朝一番で授産施設に持っていって試作してもらうつもりだと伝える僕。
試作が滞りなく進めば、すぐにでも本格的な製造を開始する予定だ。
「ルプスフーズに納品するのはいつの予定だっけ? 冷凍ブルーベリーもでしょ?」
そう聞かれ、スマホのカレンダーアプリをチェックする。
「来月二十日。それまでにまずはカシスジャム五百本と、ブルーベリージャム五百本の合わせて千本をつくらなきゃ。あとは、冷凍ブルーベリーを二百キロ。ジャムの追加注文は売れ行きを見てから決めるって」
納品まであと一ヶ月ちょっとしか残っていないことを知って、「大丈夫?」
と心配がる柄ちゃん。
僕はやや深刻な口調で、なにがなんでも間に合わせるしかない旨を伝えた。
本格的な冬がやってくる前までにまとまった収入を得ておかなければ、来年の収穫期まで食いつなぐことはほぼ不可能だ。
「バイト辞めちゃったから、他に収入源はないんだし。絶対に間に合わせるしかないんだって」
「……」
ひとつの売り先に頼りきるのは賢明ではないと相も変わらず主張したげな様子の彼女に、僕はまたしても不本意な苛つきを覚えてしまった。せっかく仲直りしたばかりだというのに。
コップにシンクの水を注ぎ、大げさに喉を鳴らしつつ煽る。
危うく口から突いて出そうになった余計な一言を、無理矢理にでも制止したかったからだ。




