自由
無心でハンドルを握っているうちに、僕はふと、駅のホームで目にした人たちのことを思い出した。
スーツを着た彼らは、今頃オフィスで一生懸命仕事に取り組んでいることだろう。制服に身を包んだあの学生たちは、二時限目あたりの授業を受けているはずだ。
そこへきてこの僕はといえば、世界の隅っこみたいな耕作放棄地にへばりつき、延々と笹退治。
もちろん、こんなことをいくらやったところで今は一銭にだってならないし、この作業が何がしかの未来に繋がっている保証なんてどこにもない。
後ろ盾も保護もなく、どこまでも孤独な「創る日々」を送ることは、雪山の只中で満足な物資さえ持たずに彷徨い歩く暴挙に等しい。
いつの間にか社会という名の群れからはじかれていた子羊のごとき僕は、これから先、ちゃんと生き抜いていけるのだろうか。
今ならはっきりと分かる。自由な生き方とは、理不尽と不平等まみれの人間社会に叩きつける「拒」の意思表示に他ならぬのだということを。だからこそ、誰からの指図も受けず、後ろ指刺されることのない獣道へと進路を定めてしまったが最後、当然、「安定」の二文字は今後望むべくもないのだ。
背骨のあたりから、かつて経験したことのないような恐怖が込み上げてくる。
情けないことだが、底が見えないほどに深い「自由」という名のクレバスを目の前にして、小動物のごとく小刻みに身を震わせるしかないのが今の僕の有り体だ。
(このままじゃダメだ。なんとかしねえと)
僕はトラクターのエンジンを切って、荒い息のままハンドルにもたれかかった。
そうさ、僕が拠って立つことのできるものは、「孤羊」へと進化した自分自身が創り出す渾身の作品しかない。
遭難の真っ只中で、迷いや不安に心を絡め取られて立ち止まってしまったら、それこそ一巻の終わりというもの。即命取りだ。
たまらなくなって、残り僅かな水で命を繋ぐかのごとく、駅のホームで祈りすがったハードコア・パンクのアルバムの続きを再生する。
嗚呼、やっぱり、心が打ちひしがれている時はこれに限る。
冷え切った魂が熱を帯び、鼓舞されていく頼もしさ。鼻先に熱いものがジンと込み上げ、目頭が熱くなる。今しがた耕されたばかりの土の表面が、しょっぱい液体に溺れてみるみるにじんでいく。
(忘れるな。今の俺には、何でも教えてくれる頼もしい師匠がいる。父さんだって、そりゃ今まで色々あったけど、今はなんだかんだで応援してくれているじゃないか。母さんも、本当は俺のことを誇りに思ってくれているはずだ。悲観に暮れるほど酷い状況じゃないはずだろ?)
己にそう言い聞かせると、突如として、抑えがたい尿意が込み上げてきた。手近な木の真下まで移動して、鼻水をすすりながら、ズボンのチャックを下ろす。
幹の根本に向かって威勢の良い放尿を開始すると、すぐ隣の茂みのなかから、さっきのどでかいオス雉が、けたたましい羽音を響かせて飛び立った。
瞬間、心臓の鼓動と尿がいっぺんに止まった僕は、首を肩の付け根まで引っ込めてその場に立ちすくんだ。
泥みたいな眠気と疲労感に覆われた瞼を見開き、顔を右へ向けると、花札の世界からそのまま飛び出してきたみたいなあいつが、力いっぱい、必死で羽ばたいていた。




