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覚醒

 窓の外に顔だけを出して、いくら伝えても伝えきれないお礼を連呼してから、僕はハンドルをゆっくりと横に切った。


 暗闇のなかで手を振る金井さんの人懐っこい笑顔が、白いヘッドライトに照らされている。


「いつになるかは分かんないすけど、ジャムが完成したら、俺、絶対金井さんに送りますから!」





 果樹の軍隊は、十勝の闇夜よりもさらに濃い影となって、地平線のど真ん中を占拠していた。


 名残惜しさを置いてけぼりにして農園を去った後、僕は、田んぼのあぜ道に車を寄せた。


 室内灯を点け、今日の出来事をメモ帳に記録する。


 いつもなら耳障りな蛙たちの鳴き声が、今日はどことなく応援歌のように聞こえてくるから不思議だ。


 お土産にもらったハスカップのジャムとレッドカラントのジャムも開封し、それぞれを指ですくってじっくりと舐めてみる。


 すくって、舐めて、すくって、舐めてを繰り返すうちに、気がつくと、どちらも半分近くまで平らげていた。


 目から無尽蔵にこぼれ落ちる涙がどんな種類の感情によって誘発されたものなのか、自分でも全くもって分からなかった。こんなにも泣けてしょうがないのは、一体いつぶりのことだろう。


 はっきりと分かっているのは、いつもなら僕の心中に巣食っている、悲しみや、辛い思いや、虚しさが、今は胸の内のどこにも見当たらないということだ。


(よし、えっと、まずはあれだな。畑の隅にあるじいちゃんのカシスを雑草から救い出す。それから枝を切り出して挿し木をつくって、ポットに挿して毎日欠かさず水やりをして、丸一年かけて育てる。二百本程度の挿し穂をつくるくらいなら、別にどうってことないだろう。そうだ、念のため、他の品種がどんな味なのかも調べておかないと。五種類くらいの苗を取り寄せて、試験的に栽培してみようか。その次は、あの笹だらけのエリアをトラクターで耕耘して、植穴を掘って用土を入れて……。あ、待てよ、カシスが好きな用土ってどんなだろう? それも調べなくちゃな。で、植えた苗を大事に育てて、順調にいけば三年後くらいから収穫できるようになるはず。初年度から百キロくらい実らせてくれたら最高だよなぁ。そしたらそれを気合で全部収穫して、そこからいよいよジャムづくり開始だ。でも、収穫に必要な人手を確保するのが何よりも大変なんだっけ。しかも、ジャムの製造って一体どこに頼んだらいいんだ? 自分でつくるにしたって、色んな許可とか設備が必要だろうし……。まあ、それは追々考えよう。なんとかなるはずだ。うん、きっとなんとかなる)


 突如として、僕の未来はやらなければならないことでいっぱいになった。だけど、その「やらなければならないたくさんのこと」は、ひとつも余すことなく、全て僕のやりたいことだ。


 だから、昨日まではあんなに来てほしくなかった明日が、未来が、今は待ち遠しくて仕方ない。なんだか、そんな自分が自分じゃないみたいで、自分でも信じられなかった。


 山に自生していたハスカップを見つけた時の金井さんも、こんな気持ちになったのだろうか。


 明日からのアルバイトだって、相変わらず憂鬱には違いないけれど、今までほどは憂鬱じゃない。よし、いいぞ、この感じ。最高じゃないか。やってやる。やってやる。


 ハンドルをきつく握り、フロントガラス越しの眩い星々を思い切りにらみつけた僕は、頭のなかで決意の言葉を叫んだのだった。


(今に見とけよ、俺の渾身のジャムを喰らわせてやる!)

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