先駆者
金井さんが両親の水田を引き継いで新規就農したのは、二十歳そこそこの頃。
それから七十年代に入って実施された減反政策の煽りを受け、大豆栽培に思い切って転向するも、土質が合わず大失敗を喫した。
以降は広大な圃場の片隅で細々と無農薬野菜をつくりながら、郵便局員の職を続け、定年まで勤め上げたという。
転機のきっかけは、趣味の山登りをしている最中に野生のハスカップを偶然発見したときだった。
切り取って持ち帰った枝を用土に挿して、その三年後、いくらか成長した苗木から収穫した実でつくったジャムを食べたその瞬間、彼の頭上に落雷が。人生の命題を悟ったのだ。
それからというもの、来る年も来る年も、彼は覚醒したかのように挿し穂をつくり続けた。五年後には、圃場の半分近い面積に苗木を植え付けたという。
勢いはそれだけにとどまらず、カシスの苗木もあちこちから取り寄せ、手探りでの栽培をスタート。
開園からちょうど十年が経過した時点で、園の隅から隅までを埋め尽くす果樹の本数は、現在の五千株あまりに達していた。
北海道で、いや、恐らく日本で初めて本格的なハスカップ・カシス栽培農園を立ち上げた彼は、正真正銘「誰もなったことのないもの」になった人なのだ。
「モノ創りは楽しいぞぉ。自分の気持ちを無我夢中で形にしている間だけはな、どんなに苦しいことがあっても全部パーッて忘れちまえるんだよ。モノ創りは俺にとっての救いさ」
ひとしきり自らのストーリーを語った後、タバコを旨そうに味わいながら、徒手空拳から育て上げた自慢の農園を見渡す金井さん。
その目を細めた煙まみれの横顔が記憶中枢にしっかりと焼き付いたのを、僕は客観的に認識したのだった。
快晴から一転、機嫌を崩した空が大粒の雨を降らせ始めた。
分厚い雲の層に阻まれて、太陽の姿は嘘のように見えなくなっていた。
真珠のように重量感たっぷりな雨粒が、規則正しく整列したハスカップのポット苗木たちに降り落ちていく。
ほんの二時間ほど前までは汲々としていたであろう彼らの根は、今頃、嬉々として水分を摂取しているに違いない。
間もなく夜を迎えようとしている農園全体の空気は一気に冷たくなり、湧き水を連想させるマイナスイオンが立ち込め始めた。
事務所兼作業所である正面の倉庫のなかで、僕たちは出前で取り寄せた温蕎麦を食べた。金井さんの奥さんがいつも握っているというハスカップおにぎりもご馳走してもらった。
熟す手前の実を塩漬けにして、おにぎりの具材にすると相当美味いらしい。半信半疑で食べてみると、なるほど確かに、高級な梅干しに似た味わいで相当美味かった。
それにしても、出会ってから少しの時間しか経っていないというのに、さらには五十歳以上も年齢が離れているにもかかわらず、僕たちはすっかり旧知の仲のようになってしまった。
金井さんの口を突いて出てくる、これからやってみたいこと、実現させたい夢や目標の数の多さ、さらにはそのスケールのでかさに、僕はただただ圧倒されるしかなかった。
若者であるはずの僕より、老境の域に達して久しい彼の方が、ずっとずっと若々しい魂を持っているように思えてならなかったのだ。




