焦燥
道の駅の駐車場に停まっている車は、僕の乗るレンタカー一台のみ。風にそよぐ木の葉の音と、小鳥数匹のさえずりが耳をかすめる。
今時期が晩夏だとは思えぬほど澄んだ空気が、ここら一帯を優雅に漂っている。
そのなかには、果てしない広さの農場から立ち込めているらしい、田舎っぽい香りが多分に含まれていた。
眼前に広がるのは、初めて目にする十勝岳連峰の隆起。
これほどの絶景を目の当たりにしているにもかかわらず、これほどまでに居心地の良い空間に身を置いているにもかかわらず、僕の頭のなかは、考えたくない事柄で、無性に、無性にいっぱいだった。
ゴローと過ごした一昨日の時間が、すでに遠い過去のように思えてくる。
札幌市周辺の三軒の農家を訪問した昨日の日中も、ご多分に漏れず早々と過ぎ去ってしまった。
電話口のチーフは、いつも以上に不機嫌そうな声色だったな。仮病を使って休みを延期させるなんて、こんな小賢しい手口を用いたのは小学生の頃以来だ。敏い彼女のことだ、きっと全てバレているに違いない。
ふと、両親に支払う今月分の家賃と、不当に高い携帯代、ジャブのように効いてくる光熱水道費、刈払機の修理代、それに各種農業資材の購入に使用したビザカードの支払期限が、早くも来週頭に迫っていることを思い出す。
こうして僕は深夜帯に働くフリーターとしてのつたない身分を保ったまま、やりたくもない退屈な仕事を日々淡々とこなして、支払いやら出費やらに急かされる人生を、これから先もずっと漕ぎ続けるのだろうか。
つつがなく質素な生活を送ることですら、僕にとっては連なる峻険を制覇し続けるのと同じくらいに困難だ。
夜通し運転したせいか、身体も、気分も、まるで鉱石のように重たい。
考えまい、考えまいと必死に努めても、僕の厄介極まる脳みそは、隙あらば明日からの憂鬱な日常について思いを巡らせ始める。
(大した目的もなく、突発的な衝動に任せて自分探しの貧乏旅行に出かけたところで、何も見つからないに決まってるじゃないか。徒労、徒労。いい加減現実を見据えろよ。哀れなこった)
今日はいつも以上に容赦がない。これでは奴の思うツボだ。
考えてみれば、あの無機質なギフトショップで作業をこなしながら旅の計画を立てていたあの夜が、この一週間で一番充実した時間だったような気さえしてくる。
昨日の奔走が全て無駄だったとは絶対に思いたくない。だけど、あれだけ方方の生産現場を回っても、見つけようとしていた「何か」を見つけることはできなかった。それは揺るぎない事実だ。
だからこそ、今日という今日は何がなんでも見つけてやるんだ。新たなる栽培品目を。創造の種を。人生のモチーフを。
胸にしつこく居座り続けるマイナス感情を抱えたまま、きつく瞼を閉じてみる。
大きな溜息を繰り返し吐いているうちに、予想していたより遥かに早く眠りの帳が降りてくるのを、僕はじんわりと実感したのだった。




