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研修

 表向きだけは、あたかも見えないグローブでワンツーを繰り出すように頷きながら、しかし、頭のなかで僕は冷ややかに分析していた。


 求めてもいないアドバイスを浴びせかけてくるこのおっさん、その魂胆は一体どこにあるのだろうと。


 長机数個分を隔てた会議室の隅の方では、友達のゴローが先輩の板前らしき人に捕まっている。あいつの世界も、きっと色々大変なんだろうな。


 自分ひとりで参加するのがおっかないからと、この講習会に誘ってしまったことを申し訳なく思う。しかし、ここまできたらもう後の祭りだ。


 僕は、どうやったらこの口の止まらない先輩農家とやらから逃げおおせることができるか引き続き思案し、すぐに諦めた。この状況下では、どう考えたって逃げ場なんかない。


 日焼けして真っ黒になった彼の顔に視線を据えたまま、ピントだけを後方の空間にずらしてみる。


 そして、話半分でしかアドバイスを聞いていないことがバレないように神経を尖らせ、改めて広い室内をくまなく観察。


 来場しているたくさんの生産者のほとんどは明らかに五十歳を過ぎている印象で、二十代前半の若造は恐らく僕たちくらいのものだ。


 抜け目ない面構えのいかにも儲かってそうな生産者の前に、スーツ姿の男たちが列をつくっていた。

 

 一番前の若い男が、両手で名刺を渡しながら、人形浄瑠璃みたいなお辞儀を繰り返している。


 これと同じような光景が他に二箇所でも展開されていて、この業界の縮図をはっきりと表しているように感じられた。


 それはそうと、目の前でなおも喋り続けているこのアドバイス好きのおっさん、どうもどこかで見たことのある顔だな。


 そうか、思い出したぞ。この人、僕の地元で議会議員もやっているはず。家の近所でポスターを見かけたことがある。


「……にしてもお前の親父さんはちゃんとしていて、本当に大した人だよなあ。で、畑をやり直すってんなら、収穫物の規格をちゃんと揃えて成果市場に出荷するのが何よりも大事だぞ。これはちゃんと覚えておけよ。それから反収にもちゃんと気を配って……」


 彼の話題の道筋をよくよく辿ってみると、だんだんとその意図が透けて見えてきた。


 とどのつまり、全ての話題が「ウチの農園では」という共通のフックを経由し、最終的に「いかに自分が凄いか」というひとつの結論へと集約されていくのだ。


 そこかしこには、僕の頼りなさや呑気さを糾弾する、オブラートに包まれた説教も散りばめられている。


 僕みたいに、経験も実績もなく、おまけに頭が悪そうに見える若者は、彼みたいなタイプからしてみれば、怒張した自尊心を慰めることができる格好の標的なのだろう。


 この集会が終わったら、どこそこの誰々さんに紹介してやるから顔を出せ。そんな内容のことを言っている時は、ひときわ自分の口ぶりに酔いしれているような印象さえ受けた。油で光った鼻腔がパッと膨らむから、この上なく分かりやすいのだ。


 困り果てながらも、僕は容赦なく襲ってくる眠気に抗いつつ、なんとか相槌を打ち続けた。


 そんな自分自身だって、向こうにいるスーツの彼らと同じで、感情のない浄瑠璃人形みたいなものじゃないか。そう思わずにはいられなかった。


「おい、盤悟。電話」


 いつの間にか席に戻っていたらしいゴローが、おじさんの機関銃みたいな喋りを遮る形で、僕に携帯を差し出してきた。


「あ、すんません。ちょっと」


 僕はゴローの手から携帯を受け取り、電話に出たフリをした。


 諦めたおじさんが自分の席に戻った後、「ありがとう、助かったわ」とファインプレーに対するお礼を言う。


「いや、なんもなんも」


 健康的な顔をにんまりさせ、小ぶりだけど筋肉質な肩を上下に揺らして微笑むゴロー。


 その人当たりの良さと快活さに久しぶりに触れて、僕は体内で凝り固まっていた緊張感がみるみる融解していくのを実感したのだった。

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