第98話 決して、変わらないもの #1
「どうしたの? シャーロット。このお菓子、大好きでしょう? 食べないの?」
酒場でエルスウェンのネタばらしを聞いて王宮へ戻り、しばらく経ち――現在の時刻は、午後三時頃。
今日も体調は良好だというシャルロッテと、シャーロットは三階のテラスでふたりきりでお茶の時間を楽しんでいた。
シャルロッテは食欲も旺盛な状態に戻り、数日前まではやつれていた身体も、今や見違えるほどだった。こんなに嬉しいことはない。
ただ、焼き菓子を勧めてくるシャルロッテに、シャーロットは無理に笑顔を作った。曖昧に答える。
「ええとね……。なんだか、お腹がいっぱいで」
「そう? お昼も、そんなことを言ってあまり食べていなかったわよね? どこか体調でも悪いの?」
「まさか。元気よ。ただ、ええと……。午前に酒場でいただいた、パンケーキ……的なものがちょっとお腹に残っていて」
それを聞いて、シャルロッテはまあ、と手を合わせた。
「シャーロットばかりずるいわ。私も、そういう下町のものを食べてみたいと思っていたのに。下町グルメと言って、近頃話題なのよ。そういう本も出ていてね、私たちが食べているものとは次元が違うほどおいしいものが、いっぱいあるんですって!」
無邪気に言うシャルロッテを見て、シャーロットは自然と笑顔になった。体調は本当に良いらしい。
探索者になりたいと言ったシャーロットを、シャルロッテは真剣に止めようとしてきたが。彼女こそ、身体さえ元気ならば己の好奇心に従って下町に繰り出してしまう、そんな性格をしている。
「ねえ、どんなパンケーキを食べたの?」
「え? そうね……。いただいたのは一口だけなんだけど。真っ黒で。丸くて。なかなか切れなくて。固いのよ」
「……なんだか……あんまりおいしそうに聞こえないけど……?」
「いえ、味はとてもおいしかったわ。すごい愛情がこもっていて」
「そうなのね。愛情……」
ふと、シャルロッテは寂しそうな顔をした。
「どうしたの?」
「いいえ。昔、お母さまもお菓子を焼いてくださったことがあったでしょう?」
「ええ、あったわね」
シャーロットは、焼き菓子を見下ろして、思い出そうとした。
それはいつ頃だっただろう。少なくとも、十年以上は前のことだ。
――母が、女王として即位をする前のことだから。
十年前に、この王国を流行り病が襲ったことがあった。
流行り病は、当時の女王クローディアと、王配アロルドを、そして王女であったマルガレータの夫君、ルーベンの命を奪い、王宮を大混乱へと陥れた。
それ以前の王宮は、とても活気があった。
しかし、十年前の流行り病の後は、どこか陰惨とした気配が漂うようになったと思う。国内に漂う穢れを払おうと、病が去ったのちに盛大な国葬と、女王の即位式が行われはしたが。それは市井の雰囲気を改善できても、肝心の王宮内にはあまり効果がなかった。そんな気がしていた。
女王として即位してからも、母はシャーロットたちとの距離が遠くなりすぎないよう、常に気を配っていてくれたが、それでも、王女としてあった頃よりは遠くなったように思う。それは仕方のないことだと思っていたが。
と、シャルロッテが静かに言った。
「……物事って、常に移り変わっていくものなのよね。お母さまは女王になって、シャーロットも、探索者に……」
その言葉にはすぐに返事できず、シャーロットはシャルロッテの目を見返すに留まった。
彼女は、柔らかい微笑みを崩さずに、続けた。
「私ね、あなたが……シャーロットが探索者になりたいって聞いて、すごく驚いた。そんな危ないこと、絶対にダメだと思って、即、反対しちゃったけど。でも……」
シャルロッテは、遠くを見た。岩山の方向、東の空を。
「最初は、私のためだと思ったから。私の身体を治すためのものを、迷宮へ探しに行くのだと思っていたから。私のためにあなたが危ないことをするなんて、絶対ダメだって思って、反対していたの」
それからシャーロットに視線を戻してきた。どこか虚ろに見えた表情には、優しい笑みが戻っている。
「でも、違うのね。あなたは、本当に探索者になりたいって思ってる。この王国の、みんなの手助けになることをしたいから、探索者になりたいのよね、シャーロットは。だから、黒燿の剣士の事件も、気になっているんでしょう?」
シャルロッテは、小さく息をついた。
「それなら、私も応援する。ずっと、今まで考えてたの。あなたに危ない目に遭ってほしくない。でも……あなたに、あなたの好きなことをしてほしい。だから」
「……シャルロッテ」
シャーロットは、溢れそうになる涙を堪えていた。
シャルロッテも似たようなものだと思った。大きく丸い瞳が、潤んでいる。
それでも彼女も涙は零さずに、気丈に笑ってみせた。
「でも! ひとつ約束して。絶対に……死んだりしないって。あと、私には隠し事はしないで。迷宮を探索して、どんなことがあったのか、どんなものを見てきたのか……私に、全部教えてほしい。ね?」
「シャルロッテ――」
シャーロットは、まぶたを拭って首を振った。
「ふたつ言ってない?」
「あ。……でも、いいでしょ? ちゃんと約束してくれないと、私はまた、反対の立場に回るわ」
それに笑って頷いた。
「分かった。約束する。隠し事はしない。それに、絶対に死んだりしない。シャルロッテをひとりにはしないし、あなたの身体を治せるものを、絶対に迷宮から見つけてみせる。その後は……あの迷宮を踏破するために、全力を尽くすわ」
「うん。ありがとう、シャーロット」
シャーロットが手を伸ばすと、シャルロッテもそれに応じてくれる。
子供の頃からのふたりだけの慣例である、約束をするときのやり方で握手を交わして、笑い合った。
「欲を言えばね、私もなにかお手伝いができればいいのだけど。シャーロットが、この身体を治してくれるお薬を見つけてくれたら……私も探索者を目指そうかしら?」
「ふふ――それも、いいかもね。でも、今は応援だけで十分だから」
「うん。ねえ、シャーロット」
それから、シャルロッテは訊いてきた。
「酒場で、どんなことを話したの? 早速、教えてちょうだい」
約束はもう有効なのだなと理解して、シャーロットは説明をした。
黒燿の剣士とは、未識別の呪いがかかっているために無敵であることや、それを解呪するには魔法消去の加護をどうにかせねばならないことなど。
加えて、酒場に集まっていた探索者たちの印象などを、話して聞かせた。
聞き終えたシャルロッテは、一転して不安顔になっていた。
「私も、報告書というものを読んでいるけれど……。やっぱりダメよ、シャーロット。少なくとも、黒燿の剣士が討伐されるまでは、じっとしていないと」
「でも……」
抗弁しようとして、シャーロットは口ごもった。
彼女の言うことは、もっともだったからだ。
シャーロットは魔法使いとしての修練を積んできた。
だが、魔法消去の加護を持つ黒燿の剣士を相手にしては、何の役にも立てない。
酒場で、もし機があると判断できれば、討伐への参加を表明してしまおうという打算がないわけではなかった。
が、あのエルスウェンの説明と、黒燿の剣士と実際に対峙してきた探索者たちの険しい雰囲気を目の当たりにして、そんな無神経なことを言う気にはついぞなれなかった、というのが現実だった。
だが、力になりたい、という気持ちも大きくなっていた。




