第90話 再出発 #1
フラウムのパンケーキ(?)を片づけた後は、それぞれが自分のやるべきことへと戻っていく。
マイルズは早速、ファルクとベルハルト、ドゥエルメと共に訓練所で汗を流すつもりらしく、すぐに酒場を出て行った。
キャリスは、アミディエル、ロイドと一緒に、王宮で調べものをしたいらしい。女王と王女も、一緒に王宮へと戻っていった。
酒場に残っているのは、エルスウェン以外には、ジェイ、ラティア、アガサ、カレン、フラウム、ラークだけだ。
「で、これからはどうするんだい? 無敵の正体とやらも掴めたことだし、またエルスの家で古書をひっくり返すのかい?」
「それもやらないといけないけど。僕はまず……古代の戦術書の翻訳を完成させないといけないかな。マイルズたちにも読んでもらいたいし。だから、誰か、書物あさりを手伝ってほしいな、とは思っているんだけど……」
ラークの言葉にエルスウェンが答えると、アガサが興味深そうに訊いてきた。
「あの……私も、エルス君の家の、古書というのを……読んでみたいんですが」
「アガサ、賢いもんなー。ちょうどいいじゃん。手は多いほうがいいって。カレンは馬鹿だから戦力になんないけどさー」
「誰が馬鹿だって? パンケーキひとつまともに作れないヤツから馬鹿呼ばわりとか、この世の終わりよね」
「あれー、ババアだから耳遠いのかなー。カレンってちゃんと言ったのになー」
「やめなって、もう」
無造作にケンカを売るフラウム。とりあえず、エルスウェンが割って入る。
「アガサが手伝ってくれるなら、すごく心強いよ。カレンはどうする?」
「私は大陸古語も森人語も苦手なのよね。むしろ、エルスくんが、なにかお姉さんにしてほしいことはない? あなたは命の恩人なんだから、今ならなんでも言うこと聞いてあげるわよ」
と、カレンはウインクをして言ってくる。
それを見て、フラウムが悲鳴を上げた。
「ウエー! エルスこいつ無視しろ! ババアの色目って浴びると肉が腐って溶けるらしいぜー! 無視だ無視!」
フラウムの方を無視して、考える。カレンにやってほしいこと。カレンにしかできないこととは、なんだろうか。
爆発の魔法を、唯一無二と言っていい出力で使用できることが、カレンの良さなのだが。
あとは、面倒見がよいことと、さりげなく常識人であること。
「カレンも一緒に作業してくれないかな。さっき言った通り、なんだかんだで手は多いとすごく助かるから」
「ババアの手も借りたいってところではあるんだよなー」
「……相当切羽詰まってるものね。苦手とは言っていられないか」
カレンははあ、と息を吐くと、思い出したように言った。
「正直なことを言うとね。あの黒燿の剣士とは二度と戦いたくないわ。……フルパワーの爆発魔法を受けて、無傷だなんてね。それに……あの。ベルハルト、アガサに対する容赦のなさ。……今も、恐怖が焼きついてる」
話すカレンの声音には、隠しきれない恐怖が滲んでいる。
エルスウェンは、小さく頷いた。
ベルハルトとアガサの死に様を思い出す。エルスウェンですら戦慄したのだから、長くパーティを組んできたカレンの受けた衝撃は、察することもできない。
カレンは、テーブルの面々を眺め回した。
「本当に勝てるのかしら。あんな……怪物に。あ、エルス君、ごめんなさい、そういうつもりで言ったんじゃないけど……」
「いえ、いいんです」
エルスウェンはカレンに首を振った。
「黒燿の剣士は、確かに父の死体なんでしょう。未識別の呪いのせいで、未だに確認すらできないですけど……。でも、どちらにせよ、あれは怪物です。魔族に操られている、単なる怪物です。一切、遠慮はいりません」
「そもそも、遠慮をしていられるような相手じゃないけどね、最初から」
ラークは言うと、肩をすくめた。
「ぼくはなにをすればいい? 個人的な希望を言っていいなら、エルス、ぼくも君の家に行ってみたいな。お母さんの結界に弾かれなければだけど」
それに、エルスウェンは笑った。
「ラークは弾かれないよ。ラークもジェイも、戦術書の内容について、使えそうかどうかを判断するために、ついてきてほしいな。ラティアも」
「分かった」
ジェイもラークも頷く。
最後に、ラティアが言った。囁くような、小さな声で。
「しかし……」
「なに? ラティア」
聞き返すと、彼女は顔を挙げて、首を振った。疲れたような笑みを浮かべている。
「いや。単なる独り言だ。……色々と、考えるときが来たのではないかとな」
「考えるとき?」
「ああ、そうだ」
ラティアは首肯すると、真剣な顔つきになった。
「黒燿の剣士を、無事に討伐できたとしよう。その正体は、エルスの父親だということだが……彼は、第九階層で消息を絶ったと伝わっている」
「うん」
「少なくとも、黒燿の剣士に苦戦しているようでは、第九階層の踏破など、夢のまた夢だ、ということなんだ。それは」
それに近いことは、ジェイとも話した。ジェイは、より上の階層に挑むための試練のようなものだと言っていた。
ラークはテーブルに頬杖をつきながら、ラティアに言う。
「仕方がないんじゃないか? そもそも、ひとつの階層の踏破をすること自体が、何十年とかけて探索者たちがやってきたことなんだろう? 君たちが第九階層まで辿り着けなくとも、当たり前の事なんじゃないかな」
「……そうだな。だが、それでは困るんだ。ひとつでも上の階層に行かねば……」
ラティアは、歯を食いしばるようにして、声を出した。
ふと、エルスウェンは思った。
ラティアは、何のために迷宮に潜っているのだろうか。
元女王守護隊の近衛兵である彼女は、それを辞して探索者になった。
それには、なにか尋常でない理由がありそうだ。
今まで特に意識したことはないし、詮索したこともなかったが、診療所でラークと交わした言葉のせいだろうか。今になって、無性に気になった。




