第81話 再起 #1
エルスウェンは、『祝福の聖堂』隣の診療所の一室にいた。
ベッド脇の椅子に腰掛けて、本を読んでいる。黒燿の剣士対策の本ではなく、診療所への道中にある古本屋で買った詩集だった。
ベッドには、ファルクが寝ている。
迷宮から帰還してからは、まだ一日しか経っていない。エルスウェン自身は迷宮から脱出後、たっぷりと睡眠を取ることができたため、疲労はなかったが。
ただ、脱出直後は大変だった。ベルハルトとアガサの首を魔法で繋ぎ直し――ベルハルトはさらに腹部の切創を直す必要もあった。ファルクの腕も繋ぐ必要があった。それらは全て、魔法を何度でも使えるエルスウェンが担当した。
彼らの傷を修復する時には、相当な神経を使った。
というのも、死体には回復魔法が効かないからだ。
回復魔法は、対象の生命力に働きかけることで再生などの効果を発揮する。傷を治療するための魔法も同じだ。
が、魂を失い、生命力を失ってしまった肉体には、再生を促すことはできない。
そのため、死体の修繕は、完全にものを直すということと同義になる。つまり、にかわでものを接着して修繕する時のように、バラバラの部品を魔法でくっつけていく、ということだ。
蘇生の儀式には、ほぼ完全な状態の死体が必要である――が、これは場合にもよる。望ましい、という程度だった。探索者の死に様というのは、基本的に悲惨なものになる。万全な状態で回収できる死体ばかりではない。
なので、蘇生時に即死するような欠損状態でなければ蘇生を優先し、蘇生に成功すればその後に回復魔法をかける、ということをしたりもする。蘇生さえ成功すれば、生命力に働きかける回復の魔法が効くようになるからだ。
首を切断されている場合は、繋がなければ蘇生はできない。首を元通りに繋ぐというのは、かなり難易度が高い作業である。診療所や聖堂の司祭に依頼することで繋いでもらえるものの、その場合かなりのお金を取られることになる。
だが、エルスウェンは、母の手ほどきで人体構造については知悉していた。
なので、こういうときにはまず出番が回ってくる。探索者となってからの数ヶ月の間だけでも、他パーティの遺体の修繕を、何度となくこなしている。お金を取ることもしていないので、探索に出ていない時は、よく声をかけられた。
その経験のおかげもあり、ベルハルトのこぼれた腸を元通りに戻し、切断された首を、神経、血管のひとつひとつまで寸分の狂いもなく元通りにする、ということまで、たったひとりでこなすことができる。
それが可能なのは知識に加え、もちろん、無限の魔力あってのことだが。今回は、黒燿の剣士が相手である、ということも大きかった。
切創は修復しやすい。しかも黒燿の剣士が卓越した剣技を身につけているせいか、その切創は、今までエルスウェンが見たことのあるどんなものよりも綺麗だった。感謝して良いことなのかは分からないが……少なくとも、不幸中の幸いではある。いいや、運命の皮肉と言うべきか。
もし黒燿の剣士が剣士でなく、凶悪な棘付きメイスを振り回すような敵であったら。間違いなく、ベルハルトたちは今頃灰になり、撒かれていたことだろう。
三人の肉体を復元してからは、アミディエルが転移魔法で三人を聖堂へと運び、蘇生の儀式を受けさせた。
結果は、幸いにも良好だった。ベルハルト、アガサ、ファルクの三名とも、初めての蘇生だったのが大きかった。
成功の報告を聞くまで、生きた心地がしなかったが。成功さえしてしまえば、こちらのものである。
ただ、魂を肉体へ呼び戻すことに成功しても、目を覚ますには時間が掛かる。
ベルハルトにはマイルズとキャリスが。
アガサにはフラウムとカレンが。
そして、ファルクにはエルスウェンとラークがついて、その目覚めを待っているところだった。
ラークはエルスウェンとは反対側のベッドサイドの椅子に座り、見舞いに買ったというりんごを剥いているところだった。皮を器用にうさぎの耳や星の形に残して切る、飾り切りをやっている。
彼は先ほど、この病室へ来たばかりだ。今回の戦いについての一部始終を、朝からアミディエルに報告しに王宮へと行っていた。りんごは、その帰りについでに買ってきたらしい。
入ってくるなり、肩が凝ったとぼやいていたが、それはもう忘れてしまったらしい。口笛混じりに楽しそうにりんごを剥いている。
彼は切ったりんごを小皿に載せて、訊いてきた。
「エルス、食べるかい?」
「ああ、うん。もらうよ」
本を閉じて、膝の上に置いて皿を受け取る。すでに楊枝が刺さっていた。
まず一切れ、口に運ぶ。九月はまだりんごの旬には早いはずだが、これは早生の品種らしい。エルスウェンの舌には十分おいしく感じられた。
「しかし、ラークは手先も器用だね」
星型に切り取られたりんごの皮を眺めて言う。
ラークはナイフを手に、得意げな顔をしていた。彼は自分の分のりんごを示してくる。それは……いやに複雑で、立体的な蝶々の形をしていた。
「母譲りなんだと思うよ。小人族が手先の器用さをウリにしているけれど、淫魔も大したものだって母さんは自慢していた。まぁ……あまり昼間から話題にするようなことじゃない方向の器用さのことなんだけどね」
「ああ……。なるほど」
「どうやってそれで父さんを骨抜きにしたかとか、そんな話ばかりするんだぜ。子供にね。とんでもない母親だよ」
「あはは」
とりあえず笑いながら、ラークの顔を見る。
「でも、お母さんのこと、好きなんだね。ラークは」
「まぁ、嫌いではなかったよ。尊敬も、感謝もしている。ただ、なんというか……長生きしている内に、君たちの社会を見て色々学習して。どうも変な親だったんだなと思い知ったよ。それこそ君たちの感覚に合わせて表現するなら……そうだ」
りんごを切る手を止めて、ラークは言った。
「すごく面倒を見てくれる親戚のおばさん。実態はそんなところだな。たぶん」
「へぇ。分かるような、分からないような……」
「ああ、そうか。エルスも、普通の家庭ではないんだものな」
「うん。母さん……は、いわゆるご先祖様だから」
「それもすごい話だよな。それとも、探索者というのは、やはり訳ありな連中が集まってやるものだから、境遇も訳ありな人が多いのかな。エルスは、他の連中と境遇の話はしないのかい?」
「そうだね……。あまり身の上話を聞こうなんて、僕は思わなかったな。そういう話をするのは、大抵が探索後の打ち上げだろうし。僕はお酒が飲めなくて、探索後もすぐ宿に戻って寝てしまうから、あんまりそういうのに付き合ったこともないんだ」
「そうなのかい? フラウム辺りに、引っ張っていかれてそうだけど」
「ああ……それはあるね。でも、参加をしてもそういう話をする暇がなかったっていうのもあるかも。いつも、お酒が弱いのに飲もうとするフラウムの面倒を見ないといけなくなるし」
探索後の酒場での打ち上げは賑やかで、楽しいのはエルスウェンも知っていた。二度ほどしか参加したことがないが。
ただ、そういう場で積極的に話に参加して盛り上がるよりも、遠巻きに眺めてその雰囲気を味わうほうが、エルスウェンにとっては楽しかった。
主な打ち上げの思い出は、フラウムの吐瀉物の処理だ。というか、二度ともそれで決着している。楽しい思い出もあるにはあるが、そのインパクトに大体が上書きされそうになっている。




